「オマエなら大丈夫」
 関本大介は、試合前、いつもおまじないのようにこう呟く。リング上で命を懸けて闘うのは、プロレスラーの宿命。恐怖心に打ち勝たなくては、対峙する敵との勝負にならない。それでも関本はプロレスラーを自らの「天職」だと言い切る。「人からは“大変だね”などと言われますが、自分では痛いだのしんどいだのと思ったことはない」。その居場所を守るためには、自らの強さをリング上で証明するしかない。


 “ストロング”の証明

 今月14日の大日本札幌大会はBJW認定ストロングヘビー級7度目の防衛戦だった。相手は関本が「プロレスの先生」と慕う高岩竜一。2年ほど前にコーチとして道場で大日本のレスラーを指導してくれた人だった。「高岩さんからは基礎の部分を徹底して教えてもらいました。基本を見つめ直すきっかけとなりました」。道場で繰り返した反復練習が関本の強さの礎になっている。だからこそ勝って恩返しがしたいという思いがあった。

 とはいえ高岩は新日本プロレス、ZERO1のマットで活躍した“超竜”の異名を持つパワーファイターだ。体重は100キロ足らず、本来はジュニアヘビーの階級(105〜100キロ以下)ながら「パワーはヘビー級でした」と関本が舌を巻くほどだった。さらにその力強さだけでなく長年第一線で戦ってきた豊富な経験値からくる巧さもあった。

 それでも王座は揺るがなかった。関本も自らの出しうる全てを尽くして戦った。破壊力抜群の逆水平チョップやラリアットは、“超竜”を痛めつけた。そして、最後はジャーマンスープレックスホールドを決めて勝利を手にし、“恩返し”を叶えた。

 V7を達成した関本は、次なる挑戦者にWRESTLE-1(W−1)の近藤修司を逆指名した。タッグパートナーの岡林裕二とのシングルマッチを制した近藤から売られたケンカを買ったのだ。
<「自分がドイツに行っている間、岡林に勝って俺の名前を出した選手がいるって聞きました。どんな選手かと思えば近藤修司、対戦したいのはお前じゃなく俺の方だ。会社同士が良ければ前哨戦など取っ払って俺とタイトルをかけて闘おうじゃないか」>(大日本プロレスオフィシャルサイト10月15日付)

 かつてはアジアタッグ王座を争い、旗揚げしたばかりのW−1のリングでも熱戦を繰り広げ相手だった。「同じような体格で同じようなタイプ。(シングルで)やりたかった」という近藤との決闘は、11月4日の横浜文化体育館大会に正式決定した。神奈川県横浜市に本社を置く大日本にとって、旗揚げ興行の会場でもある横浜文体での大会は、目玉興行だ。団体の名誉としても当然負けるわけにはいかない。「勝って、この1年を良かったなと締めくくり、今年1年をチャンピオンとして終わりたい」。ストロングヘビーというタイトルを守ることは自らの強さの証明する作業でもある。

 王者同士の死闘

 今月19日には、PRO-WRESTLING NOAH(ノア)のリングに初参戦した。東京・ディファ有明でのグローバルリーグ開幕戦で、前年度の覇者で現GHCヘビー級王者のKENTAと戦った。大日本のエースとノアのエースの対決は、リーグ戦の優勝を占う一戦として注目度も高く、観衆は超満員の1600人を集めた。

 その期待に両者が応え、試合は大熱戦となった。蹴り技を中心とした打撃系ファイターのKENTAとは、身長差はほとんどないが、体重は40キロ近い差があった。パワーの関本vs.スピードのKENTAという図式が大方の見方だったが、力と力の勝負がリング上では展開された。

 豪快なラリアットや逆水平チョップ、逆エビ固めやサソリ固めなどでダメージを奪いにいったが、「芯の強さがあり、タフでした。それに力の逃がし方や身体の使い方も巧かった」と試合を優勢に運ぶことはできなかった。KENTAの破壊力抜群の蹴り技は「相当練習を積んでいる」というイメージを抱かせるほど効いた。決着をつけるべく放ったジャーマンスープレックスホールドは2カウントで返され、2発目はかわされた。

 最後はKENTAが関本を抱え上げ、自らのヒザへ叩きつけると同時にヒザ蹴りで迎え撃つ必殺技go2sleepで撃沈。関本は片エビ固めで3カウントを奪われ、ノアデビュー戦でもあったリーグの初戦で黒星を喫した。

「技を全部受け切られた」と完敗を認めた関本。ただ、負けはしたが彼のファイトは敵地のファンの心を掴んだ。試合後、関本が引き揚げる中、会場からは「関本」「大日本」のコールが飛び交った。

 リング上ではKENTAがマイクを持ってこう言った。「他団体なんてクソ食らえといつも思ってるけど、こういう出会いがあるから、たまにやるのはやめられねぇ。おい、関本、これで終わりじゃねぇぞ。またいつか交わる時がくるよ。その時を楽しみにしておくよ」

「相手にも伝わり、お客さんにも伝わるプロレス」。関本が理想とするプロレスが体現できた一戦だった。この勝負は年間ベストバウトに入ると言われるほどの死闘だった。だが、彼は勝負の世界に身を置く格闘家である。「(評価してくれたことは)嬉しいです。ただ、結果が伴っていない。負けたのは悔しい」と満足はしていない。

 これまで全日本のチャンピオンカーニバル、ノアのグローバルリーグ、ZERO1の火祭りと、各団体の看板と言えるリーグ戦にも出場し、火祭りでは優勝も果たしている。唯一、参戦が叶っていないのが新日本の真夏の祭典G1クライマックスだ。「オファーがあれば出たい気持ちはある」と関本も興味を隠さない。新日本にはオカダ・カズチカ、棚橋弘嗣、中邑真輔、内藤哲也らと、関本が合いまみえる姿を待ち望んでいるファンも少なくないだろう。

「色んな選手、色んなタイプとやってみたい」という関本の視線は、何も日本だけにとどまらない。「いい選手は全世界にいる。できたら戦ってみたい」。既にフランスやドイツでも戦っている彼だが、プロレスに対する探求心は尽きない。現在のプロレスを研究するだけでなく昭和のプロレスの映像を見て、勉強することもある。

  プロである以上、常に120%を尽くす

 関本は「僕のプロレスを見たくてお金を払って会場に足を運んでくれるお客さんに、満足して帰ってもらいたい」と語る。そのために毎試合、どこの会場でもコンスタントに120%を出し切ることを心がけている。試合終盤に飛び出すトップロープからのフロッグスプラッシュ。実は高いところが苦手な関本は「(普段であればトップロープなどに)できれば上りたくない」と苦笑する。それでも「あれをやらないと物足りなく感じるのかな」との思いから大技を繰り出す。事実、巨体が高く舞う姿は、迫力満点で、観客も沸く。

 そのための自らの鍛練は欠かさない。普段の練習は若手時代から自らを磨いてきた大日本の道場で行う。時には練習生と一緒に汗を流すこともある。道場の2階には練習生が寝泊まりする部屋もある。かつて関本もそこで寝食をし、プロレスラーとしての大成を夢見て日々を過ごしてきた。「道場は原点です。僕にとって大事な場所。この風景は誰にも譲りたくないです」

 今では関本に憧れて大日本の門を叩く者も少なくない。タッグパートナーであり、大日本の成長株である岡林もそのひとりだ。かつて関本はレジェンドプロレスの興行に参加し、長州力、初代タイガーマスク、藤波辰爾の背中を見て、プロレスラーとしての心構えや準備の仕方を学んだ。「今は24時間プロレスのことを考えられるので環境に恵まれている。それはすごく幸せなことで感謝しています。だからいい試合を見せて、支えてくれるスタッフや若手選手たちにもいい循環を与えたい」。今度は自らの背中で、後輩たちを引っ張る番なのだ。

 かつてスタン・ハンセンに憧れたプロレス少年。今では精悍な顔付きとなり、強靭な肉体を手にしているが、プロレスを愛する気持ちは変わらない。技のひとつひとつに重みがあり、真っ向勝負が信条の関本のファイトスタイルは、プロレスファンでなくとも一見の価値はある。

 関本にとって、プロレスラーという仕事は「天職」である。レスラーとしてリングに上がることが「幸せ」だと断言する。相手の技を受け止め、はね返す。最後までリングに立ち続けたものが強い。それがプロレスだ。そして自らの全てを出し切ることがプロレスラー関本大介の仕事であり、彼の流儀なのだ。

(おわり)
>>第1回はこちら
>>第2回はこちら
>>第3回はこちら

関本大介(せきもと・だいすけ)プロフィール>
1980年2月9日、大阪府生まれ。小学3年で野球をはじめ、中学・高校は高知の明徳義塾へ進んだ。高校在学時、チームは4度甲子園に出場したが、ベンチ入りはかなわなかった。高校卒業後、大日本プロレスに入団。99年8月にデビューすると、01年1月にMEN’SテイオーとのタッグでBJW認定タッグ王座に史上最年少(19歳11カ月)で輝いた。11年3月には岡林裕二と組み、征矢学&真田聖也に挑戦し、全日本のアジアタッグ王座を奪取した。同年の8月には、ZERO1の火祭りリーグ戦を制し、NWAプレミアムヘビー級王者となる。今年3月にBJW認定世界ヘビー級王座のベルト獲得し、現在7度の防衛に成功している。07年にプロレス大賞技能賞を、11年には岡林と最優秀タッグチーム賞を受賞しており、所属の大日本のみならず他団体にも活躍の場を広げているインディー屈指のレスラー。身長175センチ、体重120キロ。

☆プレゼント☆
 関本選手の直筆サイン色紙をプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「関本大介選手のサイン希望」と明記の上、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、この記事や当サイトへの感想などがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は2013年11月30日(土)迄です。たくさんのご応募お待ちしております。



(文・写真/杉浦泰介)


◎バックナンバーはこちらから