2009年、日本のフリースタイル・フットボール界の頂点に立った徳田耕太郎は翌年、南アフリカ・ケープタウンで行われた「Red Bull Street Style(RBSS)」ワールドファイナルに出場した。晴れて“世界デビュー”を果たした徳田だったが、結果は4勝2敗で予選敗退。世界の壁は高く、分厚かった。
 目指した100パーセントの完成度

 帰国後、彼は世界で勝つために、あることに取り組んだ。新しいオリジナル技の精度を上げることだった。実は09年のRBSS日本大会直後、徳田は「これができたらかっこいいんじゃないか」という新技を思いついていた。それが、後に彼の代名詞となる「Tokuraクラッチ」だった。空中に蹴り上げたボールを、バック宙しながら両ヒザで挟み込んで着地するという大技である。

 技を考えついた徳田は、すぐにアイデアノートに技のイメージを書き込み、実践した。技自体は約1カ月でマスターできたという。しかし、大会などでパフォーマンスのルーティーンに組み入れるには、精度が低かった。
「100パーセントに近い確率で成功できるようになるまで、約2年かかりました」
 ゆえに、技をマスターして約7カ月後に出場したRBSSワールドファイナルでは「Tokuraクラッチ」を披露することなく、予選敗退に終わった。もし、同技を繰り出していたら、結果は違っていたかもしれない。
(写真:空中でボールを挟み込む)

 徳田は2年の月日を費やして「Tokuraクラッチ」を成熟させ、「余程の疲労がない限りは失敗しない」というところまで精度を上げた。そして11年9月に参加した「World Freestyle Football Championships」(マレーシア)で初披露すると、その反響はすさまじかった。

「見ている人からの反応がすごかったですね。もうウワァーっと。『RBSS2008』ワールドファイナルのチャンピオンも、興奮して、立ってボールを投げるぐらい興奮していました(笑)」
 日本人選手が世界に衝撃を与えた瞬間だった。徳田は「Tokuraクラッチ」を武器に、同大会で4位入賞。国際大会で自己最高の成績を収めた。

 掴んだ2度目の大舞台

 12年、徳田は「第3回RBSS」ワールドファイナル出場を目指し、日本大会に参加した。予選は大阪と東京で行われ、各会場の上位8名が名古屋でのジャパンファイナルに進出。徳田は東京予選に出場し、3位で通過を決めた。
(写真:RBSS2012日本大会を制した徳田。Jason Halayko/Red Bull Content Pool)

 ジャパンファイナルでは、大技を温存しつつも、持ち前の流れるようなパフォーマンスで会場を魅了。準決勝までの3試合すべてを3−0(3分間で2人が交互に30秒ずつパフォーマンスし、3人の審査員がジャッジする)で勝利し、決勝へ駒を進めた。決勝の相手であるNaoはアクロバティックな技は少ないが、技術の高さに定評があった。これに対して徳田はエアムーブやシッティングなど、バランスのとれたルーティーンで挑んだ。

 途中まではミスの少ないNaoが優勢かと思われた。だが、徳田は最後の30秒で「Tokuraクラッチ」を披露。日本大会では初めて披露した大技で会場の雰囲気を一変させた。審査員が勝敗を話し合い、審査員長のMarcoが2人の腕を握る。09年に続き、日本の頂点に立ったのは徳田だった。そして、2大会連続のワールドファイナル(イタリア・レッチェ)出場権を手にした。

 迎えた同年9月、徳田はカルチョ(サッカー)の国・イタリアに降り立った。予選敗退を喫した前回大会から2年。「Tokuraクラッチ」という大技を引っ下げて臨んだ徳田は、予選6試合をすべて3−0で勝利する圧倒的な内容で決勝トーナメントに進んだ。

 決勝トーナメントでは、1回戦を4−1(決勝トーナメントから審査員が5人)で突破。順調に勝ち進む徳田だが、続く2回戦では、厄介な相手との対戦となった。相手は「Tokuraクラッチ」をアレンジした技を使ってきたのだ。
「実は、11年9月にマレーシアで初披露した時の動画が動画共有サイト「YouTube」に投稿され、世界中の選手が真似するようになったんです」

 お互いに2ターン目が終わると、相手はラストターンの終盤でボールを頭の上に乗せた状態からの「Tokuraクラッチ」を仕掛けてきた。自身の必殺技を目の前で披露され、普通なら動揺してもおかしくない。しかし、徳田は冷静だった。自らのターンが回ってくると、すぐさま「Tokuraクラッチ」を敢行。見事に成功し、両手を広げて「オリジナルはオレだ」と言わんばかりに会場にアピールした。結果は4−1で、徳田が準決勝進出を果たした。

 徳田は難敵を下し、世界一まであと2勝と迫った。しかし、2回戦終了後にトラブルに見舞われた――技のアイデアや演技構成を書き記していたアイデアノートがバッグの中から消えていたのである。

(第3回につづく)

徳田耕太郎(とくだ・こうたろう)
1991年7月21日、愛媛県生まれ。中学1年の冬にフリースタイル・フットボールと出合う。選手名は“Tokura”。2009年にレッドブル・ストリートスタイル(RBSS)日本大会で優勝し、翌年の同世界大会に出場。12年RBSS日本大会を連覇。同年にイタリア・レッチェで行われたワールドファイナルでは、アジア人初、史上最年少で世界王者となった。その後、レッドブル社とアスリート契約を結んだ。機械のような正確さと速さに加え、空中のボールをバック宙しながら両ヒザで挟み込んで着地する「Tokuraクラッチ」といった大技も併せ持つ。身長169センチ。



(写真・文/鈴木友多)
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