「今、自分が抜けるわけにはいかない……」
 今夏、上田晃平は苦しんでいた。3年となった今年、春は先発の一角を担い、リーグ戦で5試合に登板して2勝1敗、防御率2.67。同級生の島袋洋奨とともにチームを牽引した。しかし、リーグ戦後の夏の遠征で右ヒジに痛みが走るようになった。監督やコーチに告げようかどうか悩んだが、自分の立場を考えると、チームを離れるわけにはいかなかった――。
「ピッチャーは4年生がいなかったので、僕たち3年が一番上だったんです。だから“今年はオレらが頑張らないと”という思いが強くありました。昨年までなら、上級生がいましたし、自分が抜けても特に影響はないと思っていたので、大事をとって休んだかもしれません。でも、今年は2戦目を任されていた立場でしたから、自分が抜けることでチームに迷惑がかかるようなことは絶対にしたくなかった。だから正解かどうかはわかりませんでしたが、投げられている間はヒジのことは言わずに頑張ろうと思ったんです」
 幼少時代から人一倍責任感の強い上田らしい決断だった。

 だが、ヒジをかばってのピッチングでは、本来のボールを投げることはできなかった。
「徐々に痛みが増してきて、ボールがいかなくなってしまった。練習試合でも打ち込まれるようになってしまって……」
 上田は秋季リーグ開幕には間に合わず、メンバーから外された。それでも上田のモチベーションはまったく下がることはなかった。まずはボールの勢いやキレを取り戻すことに専念した。

 来季への収穫をつかんだ3試合

 復調のきっかけとなったのは、秋田秀幸監督からのアドバイスだった。ブルペンでピッチングをしていた時のことだ。
「ためがなくなっているんじゃないか」
 自分ではまったく気づいていなかった。

「腕を振りにいくまでに軸足1本で立った際に、しっかりと重心が乗っていなかったんです。それからは意識しながらやってみたのですが、正直、最初はしっくりこなかったですね。言われるまで、ためのないフォームでやっていたものだから……。でも、継続してやっていくうちに、要領というか、コツをつかんだんです」
 上田は以前よりもボールに勢いが出てきていると手応えを感じていた。

 実戦に復帰したのはリーグも終盤に入った10月17日。以降、上田は3試合にリリーフ登板した。
「メンバーから外されてからはずっと球の勢いを戻すということを課題にしてやってきたので、その成果を出すためにも、とにかくストレートで押そうと思って投げました。結果的に、ホームランを1本打たれたのですが、それ以外は3試合を通してヒットらしいヒットはほとんどなかった。ストレート中心のピッチングで抑えることができたので、来年につながる収穫を得ることができた3試合になりました」

 そして、こう今シーズンを振り返った。
「3年になった今年は上級生ということで、責任感をもってやっていこうと思っていました。昨年まではどちらかというとチャレンジャーという感じだったのですが、今年は自分というよりも“チームのために”ということを意識して練習や試合に臨んだんです。春はずっと主戦で投げることができたので、ある程度の充実感を得ることができましたが、秋はケガでチームを離れてしまった。意気込んで入ったシーズンだっただけに、悔しい思いが残っています」

 その悔しさこそが、来シーズンへの糧となるはずだ。上田に残された大学でのシーズンは残り1年。「最終目標はプロ入り」と語る彼にとって、勝負の年となる。今年の分も取り戻すつもりだ。

(第2回につづく)

上田晃平(うえだ・こうへい)
1992年5月10日、愛媛県生まれ。小学校でソフトボールを始め、中学校では軟式野球部に所属。南宇和高校時代には2年時からエースとして活躍した。2011年、中央大学に進学。同年秋にリーグ戦初登板を果たすと、2年春には初勝利を挙げる。秋は先発を務め、駒澤大戦で初完投初完封勝利を収めるなど、2勝をマーク。今春も2勝(1敗)を挙げるも、夏にヒジを故障し、秋はリリーフでの3試合にとどまった。リーグ戦通算成績は13試合5勝2敗。177センチ、72キロ。右投右打。



(文・写真/斎藤寿子)
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