11年ぶりに埼玉西武ライオンズの指揮を執る伊原春樹は、就任早々、選手たちにこう問うた。
「西武鉄道の初乗り運賃がいくらか知っているか?」
 キョトンとした表情を浮かべ、互いに顔を見合わせる選手たち。無理もない。球場まで電車を使う選手はほとんどいない。球場から離れて暮らす主力組は“マイカー通勤”が基本である。

 伊原の質問には、次のような狙いが込められていた。
「お客さんたちの多くは電車に乗って球場にやってくる。電車の運賃を知るということは、第一にお客さんのことを知ることにつながる。球場に来てくれたお客さんたちにプロとして恥ずかしいプレーは見せられない。そのことを自覚してもらいたかったんです」

 また伊原は、ユニホームの着こなしについても言及した。最近はパンタロンのように広がった裾のズボンでプレーしている選手をよく見かける。伊原は以前から、この「だらしない恰好」が気になっていた。

「だから選手には、こう言ったんです。“お客さんは、オマエらのそんな恰好を見に来ているんじゃないぞ。豪快なホームランや150キロの快速球、スピード感あふれる盗塁や守備を見に来ているんだ”と。選手たちは、僕の言いたいことを理解してくれたと思いますよ」

 西武の前身である西鉄でプロのキャリアをスタートさせ、9年間に渡って内野手としてプレーした。通算成績は189安打58打点12本塁打とパッとしない。

 頭角を現したのはコーチになってからだ。1987年の巨人との日本シリーズでは、巨人ウォーレン・クロマティの緩慢な返球の間に、一塁走者の辻発彦が本塁を陥れるというスーパープレーを三塁ベースコーチとして演出した。

 その際の伊原のコメントが振るっていた。
「センターのクロマティが緩慢な送球をすることははじめからわかっていました。キーマンはショートの川相昌弘。ボールをキャッチするなり、川相は三塁ベース手前を走る辻の方ではなく、打者走者の秋山幸二の方を向いた。もし川相が一瞬でもサードの方に顔を向けていたら、僕は辻をストップさせていました」

 2002年には西武の監督に就任し、90勝を挙げて4年ぶりのリーグ優勝を果たした。80年代から90年代にかけて我が世の春を謳歌した西武だが、近年は5シーズン、リーグ優勝から遠ざかっている。

 伊原はコーチを24年、監督を3年経験している。中には「反面教師にしたいような指揮官もいた」と苦笑を浮かべる。

「コーチには任せるところは、ちゃんと任せる。余計な口出しは一切しません。打撃コーチが指導している横で、僕が選手に、こうしろ、ああしろと言ったら、コーチも選手も戸惑うでしょう。一番大切なのは信頼関係ですから。しかし、疑問が生じた時には説明を求めます。最後に責任を問われるのは監督ですから」

 腹は決まっている。ちなみに西武鉄道の初乗り運賃は140円である。

<この原稿は『サンデー毎日』2013年12月15日号に掲載されたものです>

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