二宮: 沖縄には陸上競技の選手たちも冬場のトレーニング場所としてよく訪れています。朝原さんが短距離コーチを務める大阪ガス陸上部も例年、沖縄で合宿を張っていますね。冬の沖縄は雨も多いですが、練習環境としてはいかがですか。
朝原: 雨が降っても室内の練習施設が充実しているのでトレーニングに支障はありません。寒くて体を動かしにくい時期に、温かい沖縄でシーズンに向けて準備ができるのはありがたいです。

 シーズンへ状態を上げる場所

二宮: では、沖縄は大事な準備の拠点だと?
朝原: そうですね。人によって方法は異なりますが、冬場はウエイトトレーニングや有酸素運動などの量をこなして体力をアップさせ、沖縄で徐々に春の実戦に向けた作業をやっていきます。温かいのでスピード練習などを取り入れて、状態を上げていくんです。

二宮: 沖縄合宿中は、だいたい1日の流れはどのようになるのでしょう?
朝原: 練習は朝の9時30分頃から18時頃までになります。僕たちがいつも沖縄で使っているコザ運動公園(沖縄市)は全天候型のトラックに、室内のウエイトトレーニング場や練習施設もあります。坂道を使った練習や芝生の上でケアもできますから、必要なものはひと通り揃っていますね。

二宮: 朝原さんは現役時代、オフのトレーニングスケジュールはだいたい決まっていたのですか。
朝原: 僕は、その年によって違いましたね。ドイツに行っていた際には室内で走れるトラックがあったので、1年中、スピード練習をしていました。沖縄に行って、ちょっとずつスピードを上げていった年もあります。シーズンがスタートする3月の段階で100%のスピードが出るように仕上げていくんです。

二宮: 環境は場所によって異なりますから、いずれにしてもシーズン中に最大限の力が発揮できるようプランを立てていくというわけですね。
朝原: 寒い本州から温暖な沖縄に行くと、どうしても思い切って走りたくなるのですが、最初からスピードを上げ過ぎると故障につながります。だからセーブしながら、ピークを春に持っていくことが大切です。

二宮: 朝原さんは36歳まで現役を続けました。環境のみならず、年齢に応じてトレーニング方法も変わってきたのでは?
朝原: 年齢を重ねてからは、冬場に南半球のレースに出て体を目覚めさせる方法をとっていました。試合で走らないと神経が眠ってしまう感じがしたので、あえて夏の南半球に行ったんです。

二宮: ベテランになると、一度、神経を休ませると働きが低下してしまうと?
朝原: 人によって感覚は異なるでしょうが、僕はそう感じていました。休みすぎると瞬発力が落ちてしまう気がしたんです。

 引退する気で行った沖縄旅行

二宮: 北京五輪の前、現役続行を迷われていた際には家族で沖縄旅行に行って、進路を決断されたとか。
朝原: 07年の大阪での世界陸上後、もともと沖縄旅行の予定を立てていて、実はその時点では辞める方向に気持ちが傾いていたんです。沖縄に行くのも競技から離れて、少しリラックスする目的でした。

二宮: つまり、長い現役生活の慰労を兼ねていたと?
朝原: はい。リゾートホテルに泊まって家族でのんびりと過ごしていたんです。嫁さん(史子夫人)は元シンクロナイズドスイミングの選手なので、泳ぐのが大好き。僕は陸上が専門で泳ぎは苦手なので(苦笑)、子どもたちと一緒に泳いでいるのをプールサイドでぼんやりと見ていました。

二宮: シンクロナイズドスイミングの選手は練習で陸上よりも水中にいる時間が長い。以前、史子さんに聞いたら「水中で泳ぐより、陸上で歩くほうが疲れます」と言っていましたよ(笑)。
朝原: そうなんです。付き合い始めた当初は彼女も現役で、1日10時間近く水の中にいる生活。だから重力に弱かったんでしょうね。ちょっと一緒に歩いただけで「もう疲れた」と言っていました……。最近はだいぶ陸の生活に慣れてきたみたいです(笑)。

二宮: 引退に傾いていた思いが、一転、北京五輪まで現役を続けることになったきっかけは?
朝原: 旅行中、寝る前に無意識のうちにストレッチをしている自分がいたんです。「辞める気なのに、なんで、こんなことやっているんだろう?」と、とても不思議でした。

二宮: きっと本能的に“まだ走りたい”という気持ちが沸いてきたんでしょうね。
朝原: 本音は「やりたい」という思いだったんでしょう。嫁とも話し合って「それなら、現役を続けてみよう」と決心しました。

二宮: 史子夫人とは、どんな話をしたんですか。
朝原: 彼女は僕の思いを尊重して、「続けるならサポートするよ」と言ってくれましたね。沖縄で現役を続ける決断をしたからこそ北京でメダルも獲れた。今になれば、辞めなくて良かったなと思いますね。

 国内で一番好きな合宿地

二宮: 銅メダルを獲得した北京五輪の4×100メートルリレーは準備力の勝利でした。リレーではバトンパスにあたって、次走者がスタートするタイミングを合わせるため、トラック上にテープを貼って目印にします。しかし、北京のスタジアムはライトがまぶしく、かつ雨でトラックが濡れて光っていた。オフィシャルが用意した銀色のテープは反射して目印の役目を果たさなかったんです。ところが日本は自分たちでテーピング用の白いテープを持ち込んで貼っていたので、スムーズにバトンパスができたわけですね。
朝原: たとえば、ミスをした英国はクレイグ・ピッカリングという選手がスタートを切るタイミングがめちゃくちゃ早かった。先日、NHKが番組でこのリレーを検証した際、本人がインタビューで「テープが光って見えなかった」と証言していました。あの時はたくさんの国がバトンミスをしましたが、テープとの因果関係があったことが証明されましたね。

二宮: テープを持ち込むアイデアは、どこから生まれたのでしょう。
朝原: 誰からともなく「持ち込もう」という話になりました。これまでの経験上、テープが配られないこともあるので、ないと困りますから。

二宮: テープを貼る位置は、それまでの練習やレースを踏まえた上で各選手によって決まっていると?
朝原: そうですね。僕の場合、前を走るのが高平(慎士)君。逆算して高平君がここを通過した時に、僕がスタートするとバトンパスがうまくいくという場所が決まっていました。その距離を足の歩数であらかじめ測っておいて、トラックに着くと20歩なら20歩と決めたところにテープを貼るんです。これが少しでも狂うと、バトンパスで詰まったり、オーバーゾーン(指定エリア内でバトンが渡らないこと)になります。

二宮: 最高のかたちで現役を終え、指導者となってからも沖縄には何度も足を運んでいます。温暖な気候に加えて、沖縄でトレーニングをするメリットはどんなところにありますか。
朝原: いつも僕たちがお世話になっているホテルでは、食事面で非常に気をつかっていただいています。おいしい上に栄養のバランスもしっかりとれている。おもてなしも素晴らしくて、送迎はもちろん、移動の車まで貸していただけるので、とても助かっています。

二宮: 沖縄はさまざまな競技、カテゴリーの選手がキャンプや合宿に訪れますから、受け入れ態勢が充実している点は大きいでしょうね。
朝原: 僕たちが滞在するホテルは練習場まで自転車で行っても10分くらいの距離でアクセスもいい。学生から実業団まで、たくさんのチームが訪れるので、食事をはじめ、選手たちが何を求めているのか、ホテルの方がよく理解しているように感じます。だからストレスを感じす、快適に過ごせていますね。

二宮: オフに気分転換できる場所が多いところも沖縄の良さでしょうね。印象に残っているスポットはありますか。
朝原: 僕は沖縄本島では北は辺戸(へど)岬から南は喜屋武(きやん)岬まで行っています。岬巡りが趣味というわけではないのですが、休みの日にせっかくなので行ってみようと思ったんです。

二宮: きれいな景色を見ると、練習の疲れも癒されるでしょうね。
朝原: ドライブしていると気持ちがいいですし、現地の方もあったかくてリラックスできる。父方の祖父は奄美大島がルーツで、遺伝子的に南の島が落ち着くのかもしれません(笑)。プライベートでもよく訪れていますし、国内で合宿するなら僕は沖縄が一番好きですね。


(後編は2月6日更新予定です) 

<朝原宣治(あさはら・のぶはる)プロフィール>
 兵庫県生まれ。神戸・小部中時代にはハンドボールで全国大会に出場。夢野台高に進学後、走幅跳の選手として陸上を本格的にスタートする。同志社大時代の93年、国体の100メートルで日本人初の10秒1台となる10秒19をマークして優勝。スプリンターとしても脚光を浴びる。97年には10秒08を記録し、10秒1の壁を突破。日本短距離界の第一人者として世界選手権に6回、五輪は4回出場。08年の北京五輪の4×100メートルリレーで日本男子トラック初となる銅メダルを獲得。同年限りで現役を引退した。自己ベストは100メートル10秒02(日本歴代3位)、走幅跳8メートル13(同4位)。現在は大阪ガス短距離コーチを務める傍ら、スポーツクラブ「NOBY T&F CLUB」を主宰し、後進の指導に励んでいる。


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(構成:石田洋之)
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