巨人の松井秀喜臨時コーチは、右打ちで外野ノックをして、空振りしたそうだ。トスを右手で上げるか左手で上げるか、とか、微妙な技術が関係するらしい。阪神では、掛布雅之DC(ゼネラルマネジャー付育成・打撃コーディネーター)が、精力的に動いているとか。それにしても長い肩書だ。
 キャンプの季節ですなぁ。話題が華やかである。斎藤佑樹(北海道日本ハム)も良くなっているようだし、松井裕樹(東北楽天)は早くもあの“消える”スライダーを披露した。この時期はなにしろ結果が問われない。誰もが挑む姿勢でいられる。その楽観が、おのずと話題を華やいだものにする。キャンプという慣行の美点でしょう。

もうひとつ、実際に行ってみればわかるのだが、キャンプでは選手の生の実力、いわば地金がそのまま目の前で見られる。もちろん超一流の選手もいれば、もしかして元々の実力は限りなく“草”に近いのかな、というのも露骨にわかる。公式戦と違って、グラウンドが「晴れ」の場ではないから、そこに選手の日常的な身体が露呈してしまう。結果、こういう現象が起こるのだ。

 名人・名選手の“覚悟と自信”

 話題と言えば、今年最大の注目は、やはりヤンキースの田中将大ということになるだろう。どこまで、どのような活躍をするのか、それは開幕してからのお楽しみだが、少し別の角度から、目を見張るような経験をした。田中は1月23日に入団会見を行なった。それを受けての、チームメイトとなるイチローのコメントである。ちなみに田中は、7年契約で年俸総額約160億円(平均年俸約23億円)と報じられている。

「ヤンキースがどんなオファーを提示したか、ということよりも、このオファーを受けたことへの覚悟と自信に敬意が払われるべきだろう」
 イチローのコメントは、なんだか禅問答めいていて、私のような凡夫にはわかりにくいものが多いが、これは明解である。そして、事態のものすごさをよく表している。

 常識で考えれば、金額は高い方がいいに決まっている。しかし、少々下種な計算をしてみると、年間25試合に先発して毎試合110球投げたと仮定すると総球数は2750球。年俸23億円なら、いくら注意深く割り算してみても、1球83万円強ということになる。これを受けとるためには、それだけの「覚悟と自信」が必要なのだ。それは、あのイチローでさえ敬意を払わざるを得ないほどの、すなわち常人にはとうてい測りがたいほどの覚悟であり、自信であるのだろう。一般的に言えば、どんな仕事にも「覚悟と自信」は要求される。けれども、田中の場合は、一般とは隔絶したレベルにある。その最高度の深さを言い取った言葉として、一種の名言といっていいのではあるまいか。

 名言と言えば、こんな言葉にも目をひかれた。そのイチローをはじめ、松井秀喜や落合博満(中日GM)など超一流選手のバット作りを担当した名人・久保田五十一さん(ミズノテクニクス)の「引退報告会」での言葉である。現代の名工として名高い久保田さんは70歳になられるそうで、てっきり年齢から勇退されるのかと思ったら(なにしろ凡夫は、そのようにしか考えられない)、ご本人の言葉は違った。
「闘争心がなくなった。丸くなったと言うか、甘くなったんだ」(「スポーツニッポン」1月29日付)

 いやね。50歳を過ぎて少しは世の中のあれこれを経験すると、丸くなった方が楽だなと思うこともあるわけですよ。そんなことは、許さないんだな……。駄弁はさておき、ここで言われる「丸い」「甘さ」という言葉の指す、研ぎ澄まされた厳しさを想像しておきたい。ここにもイチローの言う「覚悟と自信」と通底する、極限を見た人ならではの境地が表明されている。

 大リーガー獲得の意志

 田中とも関連するのかもしれないが、東北楽天には、もうひとつ、華やかな話題がある。ヤンキースからFAになったケビン・ユーキリスを、新外国人として獲得したのである。昨年のアンドリュー・ジョーンズに続く、大物外国人といっていい。獲得の事情は知らないが、これは日本野球にとって朗報である。イチローや松井、あるいはダルビッシュ有(レンジャーズ)や田中と、超一流選手がメジャーリーグに移籍していく。逆に、日本もメジャーの大物選手を獲得すればいい。少なくともそういう発想はあるべきだ。

 ユーキリスは今年で35歳になるという。確かにキャリアの晩年に近づいているのだろう。しかも、昨年は腰を手術して、ほぼ1シーズンを棒に振ってしまった。その点では、今は現役バリバリのスター選手とは言えない。不安材料もあるだろう。しかし、彼は全盛期を過ごしたレッドソックス時代、ボストンでも人気があった。デビッド・オルティス、マニー・ラミレスという二枚看板がいて、それに次ぐ存在だったけれども、ラミレス退団後は、4番も打っていた。打席に立つと観客が「ユー」と声を合わせる「ユーイング」なるものまであった。それだけファンに親しまれ、実力もある、まさにメジャーリーガーだった。そういう選手を呼んでこようとする意志が素晴らしい。

 以下は妄想だけれども、私はかつて、広島カープがロジャー・クレメンスと契約したらどうなるだろう、と考えたことがある。彼の現役最晩年の頃である。年俸20億円の1年契約。登板試合はすべて予告先発(当時はまだセ・リーグに予告先発はなかった)。そして、すべて1回からテレビで全国中継――(もちろん、現実にはあり得ない)。

 クレメンスは、例えばランディ・ジョンソンよりも、あるいはペドロ・マルチネスやグレッグ・マダックスよりも、どこかアメリカの象徴のようなところがあった。父親然としたあの風貌も、いかつい体から繰り出す剛球も、そのイメージに寄与していたと思う。そういうまさにアメリカ大リーグの象徴を、日本の地方球団が連れてくる。日本野球にもメジャーリーグにも、根底からインパクトを与えられるのではないか。
 以上、妄想、終わり。

 日米球界の将来像

 なんだ、ばかばかしい、とおっしゃる方に、おまけに最近見つけた名言をもうひとつ。ドイツの脳科学者マンフレド・シュビッツァー著『デジタル・デメンチア』(小林敏明訳、講談社)に、こんな言葉が出てきた。
<存在から当為はけっして出てきません(原文Aus dem Sein folgt keineswegs das Sollen!)」>
 存在から当為はけっして出てこない――これがもしカントとか、ハイデガーの文章だと言ったら、とても深遠な哲学に聞こえてきそうだが、著者は哲学者ではなく脳科学者。訳注によると、「事実がそうだからといって、そうすべきだということにはならないという意味」だそうです。

 つまりは、現実に無理だからといって、例えばクレメンスを獲得するという意志を最初から放棄すべきだということにはならない、ということである。それをドイツ観念論じゃなかった、ドイツ語では「存在はけっして当為を導き出さない」という言い方で表現するらしい(ドイツ語はまるでできないのですが)。ちょっと、名言でしょ。(本そのものは、デジタル機器が子どもの脳へ与える悪影響を科学的な研究データで検証したもの。食事の時にも、人と会話せずにスマホとにらめっこしている中高生、なんて確かによく見かけますからね)。

 ユーキリスに戻ろう。もちろん、ユーキリスとクレメンスでは、スターとしての貫録が違う。同日には論じられない。ただ、それでも、名門レッドソックスの人気者で、4番も張り、オールスターにも出てゴールドグラブ賞も受賞した本物のメジャーリーガーである。それを連れてこようとする意志は大事だ。

 いずれは、田中は行くけれども、クレイトン・カーショー(ドジャースの現在の絶対的エース、黒田博樹を尊敬することでも有名)は来る、みたいになればいいのにな、と思うのだ。少なくとも、我々は、そういう時代を見据えて日本野球を考えるべきではないか。

 シーズン24勝0敗は、おそらく不滅の記録として残る。7年約160億円という契約もまた、語り継がれる伝説となるだろう。そういう存在としての田中が、ヤンキースに移籍したことで、これからベースボールと野球の歴史にどのような化学変化が起こるのか、楽しみではある。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者
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