質の高い情報を集めることはぼくたちの仕事にとって必須である。
 国際サッカー連盟(FIFA)の会長だったジョアン・アベランジェに取材する前、ぼくは英文、そしてポルトガル語の資料を集めた。しかし、まだまだ空白が多かった。特にアベランジェが1974年にFIFA会長選挙に勝利する前の資料は限られていた。欧州大陸が大きな影響力を持っていた国際サッカー政治で、どうして後進国のブラジルから会長に選ばれたのか、彼は何したのか、ぼくはもっと知りたいと思った。
(写真:資料館の外観。白い壁にサンパウロ州の州旗が描かれている)
 資料館で見つけたある名前

 2006年秋、ぼくはブラジルのサンパウロを訪れる機会があった。そして、空いた時間を使ってサンパウロ州立資料館へ行くことにした。この資料館にはブラジルの古い新聞が保存されていたのだ。

 以前から資料館の存在は知っていた。しかし、これまで足を運ばなかった理由があった――。
 保存されている新聞はデジタル化されておらず、どの日付に何の記事が掲載されているのか全く整理されていない。古い新聞が単に綴じられているだけで、月ごとの新聞の束を借りて、1枚1枚、頁をめくっていかなければならないのだ。

「破らないように、丁寧にめくるように」

 銀縁眼鏡を掛けた貸し出し係の女性は「丁寧に」と冷たい調子で繰り返した。だが、70年代初頭の新聞紙は変色し、端が砕けていた。丁寧にめくっても、ぽろぽろ紙がこぼれ落ちた。

 新聞をめくっていると様々な記事が目に飛び込んできた。たとえば73年9月の新聞は、チリの軍事クーデターの記事で埋め尽くされていた。アウグスト・ピノチェト率いる軍が、サルバドール・アジェンデ政権を倒した事件である。

 古い新聞独特の匂いにぼくは包まれ、頭がしだいにぼんやりとしていた。2日間、資料館に通い、新聞を読み続けると、銀縁眼鏡の女性の表情が柔らかくなった。アベランジェの動向を書いた記事、そして、ごくたまにエリアス・ザクーの名前を見つけることが出来た。ザクーこそアベランジェ、そして世界サッカー政治の鍵を握る人間だった。

 ザクーはドーハにいた

 ザクーはペレと彼が所属していたサントスFCを連れて、世界中、特にアフリカ大陸を回っていた。当時のペレはサッカー界で最強のカードだった。アベランジェはペレを使ってアフリカ諸国の支持を勝ち得た。
(写真:資料館で見た新聞。口酸っぱく「丁寧に」と言われるもうなずける)

 さらにザクーはアラブ世界にも強いネットワークを持っていた。多くのブラジル人選手、監督をアラブの国に紹介していた。

 ザクーの名前は日本サッカーを取材する中でも耳にしていた。
 93年10月、日本代表は翌年に行われるアメリカW杯の出場権をかけて、カタール・ドーハでアジア最終予選に臨んでいた。

 最終予選は、6チームによる総当たりリーグ戦で、上位2チームがW杯の出場権を得ることになっていた。ハンス・オフト率いる日本代表は最終戦を残して、2勝1敗1分で首位に立っていた。しかし、混戦だった。最下位・北朝鮮以外の5チームに本大会出場の可能性があった。首位の日本は勝てばもちろんだが、引き分けでも、サウジアラビア、韓国のどちらかが引き分け以下に終われば出場権を得られた。

 この時、なぜかザクーはドーハにいた。そして、日本サッカー協会の幹部が泊まっていたホテルのロビーで、旧知の日本サッカー協会の関係者と出くわしたというのだ。このときすでに日本は02年に行われるW杯の開催地に立候補することを決めていた。だが、一度もW杯出場経験がない国に決まった例はなく、日本にとってはそこが大きな弱みだった。94年W杯の出場権獲得は、弱みを払拭することになるのだと、ザクーは理解していた。

 だからこそ、ザクーは日本が最終戦でイラク代表に勝利することを確実にする方法があると切り出した。しかし、日本協会はこの申し出を断ったという。

 結果はご存じの通りである。日本は2対1でリードしたまま、ロスタイムに入った。勝利はほぼ手中に収めたようなものだった。だが、ここでイラクにコーナーキックが与えられた。恐らくこれが最後のプレーになるだろう。しかし、日本の選手たちの集中は既に切れていたように見えた。そしてコーナーキックからのボールは日本のゴールへ――。

 日本の選手が慌ててボールを抱え込んで試合を再開したが、間もなくして試合終了の笛が鳴った。すでにサウジアラビアと韓国は試合を終えており、双方勝利を収めていた。日本は初めてのW杯出場の機会を逃した。
 
 いわゆるドーハの悲劇である。どうしてザクーはドーハにいたのか、本当に日本協会とのやりとりはあったのか。このことをザクーにぶつけたいと思っていた。

(つづく)

田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクション作家。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち—巨大サッカービジネスの闇—』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)。最新刊は『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)。早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』『実践スポーツジャーナリズム演習』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。
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