プロ通算75勝目は巨人・大竹寛にとって「忘れられない勝利」となった。
 昨オフ、FA権を行使して広島から巨人に移籍した大竹は3月30日、本拠地・東京ドームでの阪神戦で、移籍後初勝利を挙げた。


 6回3分の2を8安打2失点。ゴロアウト(併殺を含む)が12もあったように、打たせて取る手練のピッチングで先発の任務を果たした。
 投球数はピタリ100球。右肩を故障した苦い経験を持つ大竹だけに「春先から無理はさせられない」とのベンチの判断が働いたのだろう。

 FA宣言をすると、数球団が広島で2年連続2ケタ勝利を挙げている右腕の獲得に名乗りを上げた。最も条件が良かったのは福岡ソフトバンクの4年最大10億円。しかし、埼玉県出身の大竹は「地元の関東で野球がしたい」と言って、ソフトバンクを下回る条件(3年総額5億円)の巨人を選んだ。

 巨人の関係者によれば、「地元」であることに加え、もうひとつ「選ばれた理由があった」という。
「周知のようにウチのリリーフ陣はセ・リーグ随一。スコット・マシソン、西村健太朗、そして左の山口鉄也。つまり大竹は6回まで投げればいい。肩に不安を抱えている彼にとっては、願ったり叶ったりの環境だったわけです。
 大竹は“1年でも長く野球がやりたい”と言っていました。肩を酷使せずに、ある程度の勝ち星が稼げる球団といえば、条件的にはウチが一番だったんじゃないでしょうか」

 巨人への移籍会見の席で、大竹は「背番号くらい勝てるように頑張ります」と言った。つまり17勝だ。
中6日で投げれば、だいたい24回は登板のチャンスが巡ってくる。6回か7回までゲームをつくり、リードしてリリーフ陣にバトンを渡せば、17勝は決して不可能な数字ではあるまい。
 2010年春のキャンプで肩を痛めるまで、大竹は真っ向勝負の力投派だった。キャッチャーのミット目がけて、ただ力いっぱい腕を振っていた。

 しかし、復帰後はバッターの動きを観察しながら、少ない球数で、より多くのアウトが取れる効率的なピッチングを心がけるようになった。
「同じストライクを取るのでも、ボール球を振らせるか、勝負にいくか。そんなことを考えながら投げるようになりました」

 大竹には兄貴分と慕う人物がいる。ヤンキースの黒田博樹だ。広島で6年間、一緒にプレーした。
 好投しながら勝ち星に恵まれなかった若き日々。考え込む大竹に黒田は、こう説いたという。
「いくらいいピッチングをしても負ける時がある。いいボールを投げても打たれていることもある。自分がコントロールできないことは気にするな。どうすればいいボールを投げられるか。それだけを考えろ」
 この一言で迷いが吹っ切れた。

 5月で31歳になる。円熟の境地に入るのは、これからだ。

<この原稿は『サンデー毎日』2014年4月27日号に掲載されたものです>


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