プロ野球12球団の中で、最も優勝から見放されているのは広島である。最後のリーグ優勝が1991年だから23年も頂点から遠ざかっている。
 70年代前半、「戦争を知らない子供たち」という歌が流行した。それにならって言えば、今の若いカープファンは「優勝を知らない子供たち」である。それだけに、選手と優勝の喜びを分かち合いたいとの思いはひとしおだろう。


 選手も、昨季限りで前田智徳が引退したことで、91年のリーグ優勝を知る生え抜き選手はひとりもいなくなった。監督の野村謙二郎は、この年、主に3番バッターとしてチームを牽引した。

 日本シリーズの相手は西武だった。3勝2敗と先に王手をかけたのは広島だった。
 そして迎えた西武球場での第6戦、スコアは1対1。6回裏2死満塁の場面で広島はリリーフにサウスポーの川口和久を送った。
 このシリーズ、ここまで川口は大車輪の働きぶりだった。第2戦、第5戦に先発し、2勝をあげていた。

 広島・山本浩二監督は「この試合でケリをつけよう」と考えていたのだろうが、この賭けに裏目に出る。
 代打の鈴木康友がレフト前に弾き返し、3対1。勢いに乗る西武は代わった紀藤真琴から秋山幸二が3ランを叩き込み、勝負を決めた。

 それにしても、なぜ、あの場面で疲労の残っている川口だったのか。
 後日、山本は反省の口ぶりでこう語った。
「試合が終わった日の晩に私は後悔したよ。“あそこはリリーフの大野豊だったなぁ”と。実際、大野はブルペンで準備していたんやから……」

 4勝3敗でこのシリーズを制した西武・森祇晶監督は、しみじみ語った。
「第6戦で、広島が無理矢理勝ちにきてくれたんで助かったよ」
 勝負に“たら”や“れば”は禁物だが、もし、あの場面でリリーフの大野を送っていたら、勝負はどう転がっていたかわからない。広島ファンが2人集まれば、今でも必ずこの話題になる。

 しかし、まさか、あれから23年も“勝利の美酒”に酔えないとは……。球団創設から75年の初優勝までに要した足月が26年だから、ファンにすれば出口の見えないトンネルの中をさまよっているような心境だろう。

「カープは鯉のぼりの季節まで」という風評を吹き飛ばせるか……。

<この原稿は2014年5月16日号『週刊漫画ゴラク』に掲載された原稿を一部再構成したものです>


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