ポルトガル語でEstamos japones。英訳すればWe are Japanese。この言葉の持つ意味が、ずいぶんと変わった4年間だったように思う。
 4年前まで、サッカーの世界において「わたしたちは日本人である」というのは言い訳の材料でしかなかった。日本人だから、できない。日本人だから、仕方がない。日本人だから、運動能力で勝てない。チーム作りの根っこにあったのは、「自分たちにはできない」という劣等感だった。
 いまは、違う。

 変化の要因は、むろん一つではない。ザッケローニ監督の存在は大きかったし、海外へ渡った選手の経験も重要な役割を果たしている。だが、それ以上に大きかったのは、あの震災ではなかったか。

 女子サッカー。ボクシング重量級。男子テニス。男子バドミントン。ほんの数年前までは、他ならぬ日本人自身が「勝てるはずがない」と強く思い込んでいたジャンルで、震災以降の日本は次々と勝利を収めている。これは偶然か?それとも、助成金をつぎ込んだ効果が出ただけなのか?

 違う、と思う。

 種目も違えば特性も違う競技を一緒くたにするのはいささか乱暴かもしれない。それでも、わたしはあの未曽有の大災害から立ち直ろうとする東北の姿が、日本のアスリートに新たな力を与えた、と確信している。

 言い訳の材料でしかなかった「日本人である」という事実は、「だからできない」から「だからやらなければ」に変わった。以前であれば「もう駄目だ」と諦めてしまっていた局面で、以前にはできなかったもう一踏ん張りができるようになった。なでしこがW杯で初優勝した際、試合前に被災地に思いを馳せて闘志をかきたてたのは、よく知られた事実である。

 いよいよ、W杯ブラジル大会が近づいてきた。壮行試合、キプロス戦での内容は手放しで喜べるものではなかったし、心配な点もいくつかある。だが、今回の日本代表は、日本サッカー史上、最も高い国際競争力を持ったチームである。そして、日本サッカー史上、初めて日本人であるがゆえの劣等感から解き放たれたチームでもある。

 この流れは、もう止まらない。ブラジルでの結果いかんにかかわらず、日本サッカーは、もっと強くなる。震災の記憶を持ち続ける限り。ブラジルでの日本には、だから、見る者の胸に誇りの炎が灯るようなサッカーを期待したい。生まれて初めて、わたしはそんな日本代表を期待する。

<この原稿は14年5月29日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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