すごく日本人になってるな、と思った。おかしな表現で恐縮だが、コスタリカ戦での本田を見た率直な印象である。
 本田はもちろん日本人だが、誰よりも自分自身の中に潜む日本人の欠点と戦ってきた男でもある。国際会議における日本人はスマイル、サイレンス、スリープの3Sだ、などと揶揄されることがあるが、本田は違う。会議はともかく、サッカーの世界ではそれでは勝てないことを、彼はよく知っている。だから、彼は中村俊輔からFKを奪い取ろうとしたし、W杯の目標は優勝であるとは公言もしてきた。
 だが、コスタリカ戦での本田は、いささか信じがたいほどに日本人だった。決定的な場面では慎重になりすぎてボールを奪われ、再び訪れたチャンスでは中途半端に香川と接触した。同点ゴールのアシストは見事だったが、あの時の本田に、シュートを狙う気配は微塵もなかった。

 本田を本田たらしめていた「俺が決める。なぜなら、俺は本田だから」といった傲岸(ごうがん)さが、相当に損なわれてしまっている――わたしにはそう見えた。

 だが、さほど心配はしていない。これは、純粋に心の問題である。覚悟をしていたとはいえ、予想以上に厳しかったミランにおける試練の副作用である。次の試合か、それとも本番か、はたまたその次の試合か。いずれ副作用は消える。そして、本調子ではない本田を抱えつつも、コスタリカ戦での日本は相手を圧倒した。これで本調子の本田が帰って来たらどうなるのか、とゾクゾクするほど、魅力的なサッカーを見せた。本田がダメだとチームもダメ、という時代は、もはや過去のものとなりつつある。

 W杯で優勝を目指すという彼の発言については、いまも賛否両論があるようだ。まだ日本はそこまでのレベルに達していない、レベルに見合ったサッカーをするべきだ、という声もある。

 だが、高みを目指す本田の言葉がなければ、日本代表はこれほどまでに魅力的なチームとなりえなかった、とわたしは思う。

 前回大会で初優勝を遂げたスペインには、バルセロナが育んだ理想が息づいていた。98年大会で初優勝したフランスには、世界中を魅了したプラティニの時代があった。理想を追った国すべてが優勝できるわけではない。だが、理想を追わなかった国が勝てる大会でもない。それが、W杯である。

 日本サッカー史上初めて、我が代表チームは優勝のための条件を携えてW杯に臨む。列強に比べればはるかに小さな可能性ではあるが、しかし、皆無でもない。そんなチームをつくり上げた功労者は、まずザッケローニであり、そして何より、本田圭佑である。

<この原稿は14年6月5日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから