従来の発想を大きく転換する新素材だ。
 山本化学工業ではこのほど、新しいトライアスロン用ウェットスーツ素材と競泳用水着素材を発表した。これまで独自の発想で水中での抵抗を限りなく抑えた素材を世の中に送り出してきた同社だが、今回はさらなる改良が加えられた。「新しい素材を使ったウェットスーツや水着で、どこまでタイムが伸びるか注目してほしい」と山本富造社長が胸を張る最先端の開発コンセプトを紹介する。

(写真:過去にないアイデア満載の素材でできた新ウェットスーツ「TETSUJIN DAMASHII」)
「今回のウェットスーツは動きやすくて、しなやかですね」
 5月17日に横浜市の山下公園を舞台に開催されたトライアスロンのワールドシリーズ横浜大会。パラトライアスロンの部に参加した副島正純選手は、山本化学工業の新素材によるウェットスーツの違いを実感していた。

 副島は車いすマラソンの第一人者。ボストンマラソン、ニューヨークシティマラソンなど海外のレースで優勝を重ね、パラリンピックにもアテネ、北京、ロンドンと3大会連続で出場した。40歳を超え、なお高みを目指す副島が昨年からチャレンジしているのがパラトライアスロンだ。スイム、ハンドサイクル、車いすランの3種目をこなす。リオデジャネイロパラリンピックからパラトライアスロンは正式種目に採用されており、車いすマラソンとの2種目でのメダル獲得が大きな目標だ。

 下半身が不自由な副島にとって、一番の課題はスイムである。始めた当初は下半身が水中で沈んでしまい、思うように泳げなかった。そこで山本化学工業の浮心と重心を一致させる「ゼロポジション水着」を活用。今回の横浜大会ではいち早く最新素材を取り入れたウェットスーツ「TETSUJIN DAMASHII」を着用してレースに臨んだ。
(写真:ハンドサイクルから車いすへのトランジッション。ウェットスーツのままレースはできないため、脱ぎやすさもタイム短縮には求められる)

 動きやすくてしなやか――副島がそう感じた部分が、まさに今回の新素材の特長だ。

「泳ぐ際にウェットスーツに体が引っ張られるストレスから選手たちを解放したいと考えていました。ウェットスーツを着ているのに、着ていない感覚で泳げる。そんな素材を目指したんです」

 山本社長の陣頭指揮の下、3年前から素材の改良に取り組んだ。山本化学工業のウェットスーツ素材は他社と比べても35%以上軽く(同社調べ)、世界中のトライアスリートに愛用されている。この強みはそのままに、従来より筋肉にかかるストレスを20%軽減できる素材開発に成功した。

 加えて水抵抗を減らす工夫も凝らした。これまでのウェットスーツ素材といえば、フラットに水を流すスムーズスキンが主流だった。
「表面がスルッとしたものが水が速く流れる。そんな固定観念があったんです。でも、表面の形状を変えることで、より水流を促せるのではないかと考えました」

 山本社長がヒントにしたのは戦闘機だ。超音速で空を飛べるよう、そのフォルムは空気抵抗を極限まで減らすかたちが研究されている。これを参考にして、表面に翼型の凹凸をつけ、水を60度以下の方向にまとめて流す形状(写真左)を生み出した。

 さらに表面が蜂の巣のようなハニカム形状(写真右)の素材も作成。こちらは水を60度の方向に均等に流す。戦闘機の翼と蜂の巣――。異なる2種類の表面をうまく組み合わせることで、泳ぎで生じる水の乱れを抑制する。スムーズスキンより最大で30%もの抵抗の軽減が可能になったのだ。

 山本化学工業のアイデアはそれだけではない。部位によって抵抗を逆に大きくする素材も編み出した。
「腹部や背中は抵抗を極力減らす構造が良いのですが、腕の内側の部分は、逆に抵抗があったほうが水をしっかりつかまえられます。翼の形状を逆にすれば抵抗が上がる」
 こうして誕生した複数の形状を持つ素材を選手の体型や泳ぎに応じ、オーダーメード的に組み合わせる。最新鋭の技術を取り入れたウェットスーツはこの夏から発売される予定だ。

 また今回の素材ではファッション性も重視した。色は黒のみならず、メタリックピンクも供給する。
「以前、元シンクロスイマーの奥野史子さんがトライアスロンに挑戦する際、“せっかくならかわいいものを着たい”との要望があり、試しにピンク色の素材をつくってみたんです。これまでのウェットスーツは黒がメインで、確かに見た目は映えない。展示会に出しても女性のお客さんには好評でニーズがあると考えました」
 よりスタイリッシュに、より速く。「顧客満足度300%」をモットーとする山本化学工業のこだわりは細かい部分まで行き届いている。
(写真:配色も鮮やかな女性専用フルオーダースーツ「TETSUJIN DAMASHII Premium w」)


 実際にレースを終えて副島選手は「もっと僕の体や動きに合った形状を相談してつくっていけば、泳ぎやすくなるはず」と語る。今回はレース前に新スーツを試着して泳いだのが2回程度で、完全にフィットしたものにはなっていなかった。
「息継ぎをするのに顔が上がらないとしんどいのですが、僕は下半身の力が使えない。だから胸の部分にもう少し浮力が生まれて顔を上げやすいものにしてもらえるとありがたいですね」

 副島選手の要望に、山本社長は「テンションをかけて背中部分が引っ張られるようなかたちを試してもいいかもしれない」と最大限応えるつもりだ。
「素材的には今までよりもはるかに泳ぎやすいはず。だから、その良さが生かされるような形状を一緒になって見つけていきたいですね。まだまだタイムは伸びるでしょう」
 山本化学工業では今後も副島選手の挑戦をサポートしていく。


 新水着素材でも、山本化学工業は「世界初」と山本社長が語る発想を具現化した。コンセプトは「両面親水」。これまで同社では表面が親水性の素材を開発し、水との摩擦を限りなく減らすことに力を注いできた。
「でも、もう摩擦抵抗係数は0.021まで下がってきました。これを半分にしたところで選手の体感としては大差がないでしょう。それでも改善点があるとすれば、どこにあるのか。皮膚と水着が触れる内側の部分に着目したんです」

 従来の山本化学工業の素材は表面は親水でも、皮膚と接する部分は撥水だった。内側にも親水性をもたせることで水着と皮膚の摩擦を抑えられるのではないか。そう思いついた同社では「両面親水」の素材開発に昨年9月から乗り出した。

 最近の水着素材の多くは体を締め付けることで水の抵抗を小さくする考え方でつくられている。確かに抵抗は軽減されるかもしれないが、筋肉は圧迫され、スムーズに体を動かす上ではマイナス面がある。
「水の抵抗がなくて、パフォーマンスにストレスがかからない。それが選手にとっては一番いい素材ではないか……」
 かねてから山本社長はそう考えていた。出した答えが「両面親水」というわけだ。

 もちろん親水といってもヌルヌルでは逆に快適性が損なわれてしまう。どのくらい親水性をもたせれば、選手が動きやすさを感じるのか。20パターンほどのトライ&エラーを繰り返し、ついに皮膚との摩擦抵抗係数を0.08にまで抑える素材(写真)が完成した。同社によれば、従来の撥水性加工と比較すると抵抗は25分の1以下になったという。

「体にフィットしつつも、泳いでいて水着がひっかかるような違和感がない。水着に包み込まれているような感覚を覚えるのでないでしょうか」
 山本社長曰く「夢の水着素材」。素材づくりには従来の表面への親水加工に加え、内側にも同様の処理を施す作業が増える。その親水度合いも表面と内側では変えている。一手間も二手間もかけてでも理想を追い求めた結果が実を結んだ。

 新素材を使用した水着「マーリン」は国際水泳連盟の承認を経て、今夏には本格的に出荷を開始する。
「今までとは違うコンセプトに多くの方に興味を持っていただいていただいています。反響は大きいですね」
 山本社長は顔をほころばせた。常識にとらわれない発想によるウェットスーツや水着が、すべてのアスリートたちの常識を超えたパフォーマンスにつながること――。これこそが山本化学工業の願いである。

 山本化学工業株式会社