「うーん、日本はボールをキープできていないな」。自宅に帰ると皆で論議をしていた。その中心はなんと80歳の義父。生粋の昭和初期生まれの彼は、スポーツといえば野球で、プロ野球は巨人ファン。たまにゴルフやボクシングを見ているが、サッカーなど見たことがない。そんな男が日本戦の振り返りVTRを見ながらサッカーを論じる。街中で見かける自転車で駆け抜けていく少年たちはサムライブルーのユニフォームだし、朝のワイドショーも中心はワールドカップ(W杯)。ゴルフのUSオープンが中継されていても、世の中では「松山」より「本田」である。日本人ってこんなにサッカー好きだっけ?
(写真:W杯壮行会のイベントには7000人以上も集まった Photo By SPORTS COMMUNICATIONS)
 世の中には「普段、Jリーグも見ていないのにけしからん」「こんな時だけ騒ぐな」というような批判も多いようだ。確かににわかサッカー評論家や、急にサッカーフリークが増殖するのはどうかと思うが、まぁスポーツの楽しみ方は人それぞれ。それはそれでいいのではないかなとも思う。むしろ、どんな形にせよ、サッカーや、スポーツに興味を持ってくれるならそれでいいし、スポーツの素晴らしさや残酷さに触れる機会となるならば、スポーツ関係者として歓迎すべきことである。なにより、個人主義が強くなり、同じ目標や夢を見ることができなくなっている日本の国民が、一時的、疑似的とはいえ、同じ夢や方向に向かっていけることは悪くない。現在、政治では造成できないこの一体感は、もはやオリンピックかW杯でしか生まれないのではないだろうか。そんな意味では、やはり東京オリンピック・パラリンピックは、これからの日本にとって重要なカギを握っているだろう。

 それにしても、わずか30年足らずで、W杯を、そして日本代表チームをここまで国民的行事に育て上げたサッカー協会とそのメディア戦略には恐れ入る。「代表を応援していないと非国民」というまでの勢いは、他のスポーツの日本代表にはないものだ。国内では、サッカーより人気スポーツであるはずの野球にしても、WBCではここまで盛り上がらない。もちろんサッカーが世界的なスポーツで、野球とは背景が異なるのは否めないが、この差は興味深い。ちなみに初戦のコートジボワール戦の視聴率は46.6%。国民の半分が見ていたことになる。どうりで公共施設や街中が空いていたはずだ。これほどまでのムードをつくりあげたサッカーから、他のスポーツは大いに学ぶ点があるだろう。

 スポーツがとりもつ平和への道

 そんな中、胸の痛む報道もある。ナイジェリアでは、テロに狙われるという理由からW杯のPV(パブリックビューイング)を禁止したという。「国民にW杯を見させないためじゃない。彼らの命を守るためだ」という当局のコメントを聞くと、安全に生活できている有難さをあらためて感じる。そんな国ナイジェリアでも、サッカーW杯は人気だし、皆の夢となる。スポーツは人々の心を一つにしたり、調和をとりもつ力、人を惹き込む力がある。このW杯を通して、一時的でも争いが収まるのであれば素晴らしい事だと思うし、そんな力を信じたい。

 日本を破ったコートジボワールも、いまだ政情不安に揺れている。内戦の最中に、コートジボワール代表が初のW杯出場を勝ちとった9年前のドログバ選手のコメントが重い。「私たちは、この国の人々とともに生き、同じゴールに向かいプレーできることを証明した。次は皆さんがやってみてください。武器を置いてください」と内戦停止を訴えたのだ。彼がなぜサッカーを超えた国のヒーローだと言われるのかがよく分かる。そして平和がいかに尊いものであるかも伝わってくる。
 W杯を通して、素晴らしいプレーを沢山見て、仲間と大声を上げて応援し盛り上がるのも大切だ。それとともに、世界を見たり感じたりするきっかけになるならば、さらに素晴らしい3週間になるだろう。

 まだまだ寝不足の日々は続く……。

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール
 スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための新会社「株式会社アスロニア」の代表取締役に就任。昨年1月に石田淳氏との共著で『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)を出版。
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