「負けん気の強さで言ったら、2人はそっくりですよ」。竹村吉昭が語る「2人」とは、2年後のリオデジャネイロ五輪で活躍が期待される渡部香生子、そして2000年シドニー五輪で銀メダルを獲得した中村真衣だ。小学6年から15年間、中村を指導した竹村。アトランタ、シドニーと2大会連続で五輪出場に導き、メダリストにまで育て上げたその功績は大きい。だが、竹村にはたったひとつだけ、後悔に近い思いがある。
「あの時、もし中村にたった一言、アドバイスをしていたら……」
 シドニー五輪の決勝を振り返るたびに、そんな思いがふと沸き起こってくるのだ。
 00年9月18日、シドニー国際水泳センター。その日、中村は女子背泳ぎ100メートル決勝に臨んだ。前日に行なわれた準決勝で、中村は1分1秒07と自己ベストに0.29秒迫る好タイムを出し、2位で決勝進出を決めていた。1位はディアナ・モカヌ(ルーマニア)。シドニー五輪以前は、ほとんど無名に近い16歳の選手だった。そのため、中村の金メダルはかたいと見られていた。

 決勝前夜、中村は極度の緊張感に見舞われ、ほとんど眠ることができないまま、朝を迎えた。レース前は食事ものどを通らない状態だった。それだけ金メダルへの期待が、中村の背中に重くのしかかっていた。一方、竹村は中村の金メダルを信じ、ほとんど不安を感じていなかった。予選、準決勝での泳ぎなら、いけると確信していた。

「モカヌはトップ通過とはいえ、2カ月ほど前のヨーロッパ選手権で(1分)2秒中盤のタイムで自己ベストを更新したばかりだったんです。その選手が、シドニーの準決勝では(1分)0秒70までいった。さすがに、2カ月前に2秒台だった選手が、もうこれ以上は更新できないだろうと思っていたんです。だから、中村の泳ぎさえすれば、勝てるとふんでいました」

 計り知れなかった16歳の勢い

 果たして、決勝のレースが始まった。1回、2回、3回……中村はいつもと同じドルフィンキック10回で、ファイナリスト8人中最後に水面に浮き上がると、トップに立った。隣のコースのモヌカとは身体半分の差で、リード。前半型の中村は、グイグイと力強い泳ぎで飛ばしていった。50メートルのターンを折り返した時には、モカヌとの差は少し広がっているかのように感じられた。この時、中村の金メダルを疑う者はいなかったであろう。

 ところが、だ。ターン後、水面に浮き上がってからのモカヌの追い上げは凄まじかった。とうとう最後の5メートルで中村に並ぶと、あっという間にかわし、トップでフィニッシュ。モカヌはオリンピックレコードで金メダルを獲得した。レース直後、中村は苦しさと悔しさが入り混じった表情で、倒れこむようにしてスロープにもたれかかった。一方、すぐ隣のモカヌはほとんど息を切らしてはおらず、余裕さえ感じられた。五輪前はほぼ無名に近い16歳。怖い者知らずの勢いが勝った結果となった。

「金メダルを獲れなくて、ごめんなさい……」
 竹村への中村の第一声は謝罪だった。
「私自身は、できる限りのことをやったんだから、と思っていました。彼女の持ち味である前半から積極的にいく、という泳ぎはできましたし、自己ベストも更新しましたからね。ところが、真衣は100点満点中0点だと言うんです。『0か100かじゃなくて、80点という考え方もあるんじゃないか?』と言ったんですけど、真衣は納得していませんでしたね」

 4年後、国内の予選で落選した中村は、アテネでシドニーの時の雪辱を晴らすことはできなかった。そして07年3月、豪州・メルボルンで行なわれた世界選手権を最後に、中村は現役を退いた。
「よくここまで頑張った」
 その時、竹村の心には何ひとつしこりはなく、すがすがしい気持ちで中村の新しい門出を見送った。ところが1年後、思わぬかたちで竹村はシドニーの決勝でのことを振り返ることになる――。

 再び訪れたチャンス

 08年8月、約1年前から指導してきた種田恵のコーチとして、竹村は北京五輪の舞台にいた。同じ競泳チームには、アテネ五輪に続いて100メートル、200メートル平泳ぎの2冠を狙う北島康介がおり、その傍らにはいつもコーチの平井伯昌がいた。

「平井さんは、どうしたら北島の本来の泳ぎができるのか、あぁでもない、こうでもないと、いつも頭を悩ませながら、北島に細かく修正ポイントをアドバイスしていたんです。その結果、見事2冠。100メートルでは世界新までマークした。平井さんの姿を見ていて、思ったんです。『シドニーの時、中村にもう少し何かやってあげられることがあったんじゃないか』って。私が決勝前に『きっと最後にモカヌが来る。だから前半からいって、でもちょっとだけ余裕をもっていけよ。そして最後の5メートル、全力を出して頑張れ』という指示ができていたら、中村は金メダルを獲れていたかもしれないと思いました」

 と同時に、竹村は「でも、オレにはもう二度とチャンスはないんだろうな」とも思っていた。オリンピックのメダリストを育てたコーチは、ほんのひと握り。世界のトップを狙える選手には、めったに出会えるものではないからだ。

 だが、人生とはわからないものである。定年退職を2年後に控えた昨年、竹村は縁あって、渡部の指導をすることになった。渡部と言えば、15歳にして12年ロンドン五輪に出場し、今年4月の日本選手権ではロンドンのメダリストである鈴木聡美を破るなど、3冠を達成。6月のジャパンオープンでは100メートル平泳ぎで日本新記録をマークし、今や日本女子競泳界一の期待の星と言っても過言ではない。現在、17歳の渡部にはリオはもちろん、20年東京五輪への期待も膨らんでいる。

「渡部と一緒にオリンピックの舞台に行くことができたら、シドニーで得た教訓をぜひ活かしたいと思っています。そして今、そんなチャンスが巡ってきたことに感謝しているんです」
 そう語る竹村の表情には、充実感がにじみ出ている。59歳。還暦を前にして、また新たな挑戦が始まった――。

(おわり)

竹村吉昭(たけむら・よしあき)
1955年8月28日、京都府生まれ。大阪体育大学体育学部出身。1979年、株式会社ジェイエスエスに入社。翌年、新潟へ移転し、新規校オープンにかかわる。91年、当時小学6年だった中村真衣を指導。以後、15年にわたって指導を行い、アトランタ、シドニーと五輪2大会連続出場に導く。中村はアテネで背泳ぎ100メートルで銀メダルに輝いた。また、種田恵を08年北京五輪出場に導く。昨年5月より渡部香生子を指導している。

(文・写真/斎藤寿子)
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