今年の春、フィリップ・トルシエはマレーシア代表監督にほぼ内定していた。
 金銭的な条件に問題はまったくなかった。何しろ、昨年FC琉球から月15万円程度しかもらえていなかったマレーシア人選手を、年俸3000万円で引き抜いていく経済力がかの国にはある。スタッフの顔ぶれについても、ほぼすべて要求は通っていたという。
 にもかかわらず、土壇場でトルシエは監督就任を断った。

「アジアNo・1になるのがノルマ。協会の会長からそう言われたんでね」

 ここ10数年、マレーシア経済界は急激な右肩上がりを続けている。夢物語にしか思えなかった「20年には先進国の仲間入りをする」という目標も、少しずつ現実味を帯びてきた。国全体にみなぎる自信は、間違いなくサッカー界にも波及してきている。

 とはいえ、アジアの頂点に立つためには、日本を倒さなければならない。韓国を、オーストラリアを、中東の強豪を、すべて倒さなければならない。目指すべき目標としては尊くても、ノルマとなれば話は別――そう考えたがゆえに、トルシエは断った。

 日本サッカー協会は大丈夫だろうか。

 本田たちが掲げてきた「世界一になる」という目標は、マレーシア人がアジア一を目指すよりはるかに大それた目標である。現場とフロントの意識のズレは、後に深刻なトラブルを生むことが多い。そのことをよく知るトルシエはマレーシア協会からの依頼を断ったが、日本サッカー協会は次期監督にどんなノルマを課そうとしているのか。

 W杯の連敗記録保持国でもあるメキシコの人たちは、日本人以上にW杯の厳しさを知っている。一方で、世界で初めて2度目のW杯を開催したサッカー大国だという誇りもある。そんな国から来た監督にとって、世界一を目指すという日本人の言葉は、サッカーに対する無知と傲慢(ごうまん)の極みとしか思えないかもしれない。

 振り返ってみれば、本田たちが世界一を公言するようになってからも、ザッケローニ監督の口から優勝という言葉が出たことはなかった。おそらくは、高い志を持つ必要性を知りつつ、口にするのはおこがまし過ぎる、といった気持ちがあったからだろう。共通認識としての目標を持てていないチームは、結局、最後まで一体感を醸しだしてはくれなかった。

 わたしは、世界一を公言した本田の勇気を高く評価している。一方で、それが途方もなく荒唐無稽なホラ話と受け取る外国人が多いこともわかる。

 協会は、どちらのサイドに立つのか。うやむやの見切り発進は、監督と選手との間に、深刻な衝突を生むことになるだろう。

<この原稿は14年7月17日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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