二宮: グラスが空きましたから、次は長期貯蔵のそば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」をロックでいってみましょうか。
荒木: これは、いい意味で焼酎とは思えませんね。アルコール度数は25度ですか。度数が高くないし、飲みやすくておいしいです。

二宮: これまでも「那由多(なゆた)の刻(とき)」を口にしたゲストの方から同じような感想をいただきました。
荒木: そば焼酎を飲んだのは初めてだと思いますが、どれも飲みやすいのが特徴ですね。どんな好みの人にも受け入れられるんじゃないでしょうか。予想以上においしかったです。本当にありがとうございます。

二宮: 野球選手といえば優勝時のビールかけが恒例行事です。荒木さんも92年、93年とヤクルトがリーグ連覇した際に経験しています。
荒木: あとは西武でコーチ時代にもやりました。さすがにコーチだと試合に出ませんから、途中で寒くなってきて引っ込みましたが、選手時代は延々とやっていましたね(笑)。特に92年は14年ぶりの優勝だったので、ほとんどの選手がビールかけを体験したことがない。テレビで他のチームがビールかけをしていたのを見よう見まねでやっていた気がします。

二宮: 翌93年はリーグ優勝に日本一も達成し、ビールかけを2度しています。何度もやると慣れてくるのでは?
荒木: そうですね。会場はホテルニューオータニで、プールがあってユニホームのまま、みんなで飛び込んだりしていました。

 復帰登板、生涯一落ちたフォーク

二宮: 荒木さんにとってプロで初めての優勝経験となった92年は、ケガから復帰したシーズンでもありました。優勝争い真っ只中の神宮球場での広島戦(9月24日)。1点ビハインドの7回、2死一塁で主砲の江藤智を迎えたところで約4年ぶりに1軍マウンドに上がります。
荒木: 1軍に上がって、古田(敦也)とバッテリーを組むのも初めて。古田には事前に球種を伝えていて、「フォークもあるけど、他のピッチャーが投げるような落ちるボールじゃない。チェンジアップみたいに抜けるだけだから、それは頭に入れておいて」と話をしていたんです。

二宮: ところが決め球に古田さんは、そのフォークを要求したとか。
荒木: そうなんです。フルカウントからフォークのサインが出てビックリしました。「こいつ、何考えているんだ!?」って(苦笑)。ホームランバッターの江藤ですから、半速球になるボールは一番危ない。「もう、打たれてもしらんぞ」と開き直って、思い切り挟んで投げたら、生涯一ボールが落ちました(笑)。

二宮: アハハハ。切羽詰まった場面でフォークのサインを古田さんもすごいですが、それに応えた荒木さんもすごい!
荒木: 試合後、ロッカーに引きあげて古田には「あれはたまたまだから、信用しないでくれ」と言いました。それでも古田は次の登板でもフォークを要求してくるんです。その時は落ちずに打たれてしまった。さすがに「もうフォークのサインは大事なところで出さないでくれ」と強く頼みましたよ(苦笑)。

二宮: 4試合の登板ながら負けなしの2勝。荒木さんの復活が呼び水となって、ヤクルトは熾烈な優勝争いを制しました。自身の復帰とも重なって喜びもひとしおだったのでは?
荒木: リーグ優勝を決めた阪神戦でも先発させてもらいましたからね。ケガする前は正直、Bクラスの常連で優勝なんて考えられないチームでした。この年は伊東昭光さん、高野光さんとピッチャー陣に故障からの復活が相次いだのも大きかったでしょうね。

二宮: 90年から野村克也監督が就任し、3年目のシーズンでした。やはり、野村ID野球はチームを変えましたか。
荒木: ミーティングでもデータや配球に関する情報がホワイトボードいっぱいに書かれていましたね。相手ピッチャーについても「入り球はこの確率が高くて、次は何%の割合でこれが来る」とか、とにかく細かい。それまでは、相手バッターの得意なコース、苦手なコースが色分けされて説明してもらう程度でしたから大違いでしたよ。ただ、僕が92年に復活できたのは、野村さんへの反骨心もあったように思います。

二宮: というのは?
荒木: その年の初め、2軍の戸田から高野さんと2人で神宮の監督室に呼ばれたことがあったんです。野村さんは、高野さんに対しては今の状態について、いろいろと聞いていたのに、僕には何もなし。「もう、いいぞ」って帰らされました。「わざわざ呼んでおいて、なんだ!」と、その時は野村さんのことが許せませんでしたね(苦笑)。それで火がついた部分もあったかもしれない。今から考えてみれば、それも野村さんなりの計算だったんでしょうね。

 王貞治の酒席での振る舞いに感心

二宮: それまで荒木さんは故障のため、約4年、1軍から遠ざかっていました。ドラフト1位でプロ入り後、右ヒジの故障までは順調に勝ち星を増やし、巨人戦にも強い印象がありました。
荒木: 巨人戦はチーム自体が弱かったので、対戦成績はそれほど良くなかったはずです。でも、プロ初完投も初完封も巨人戦でしたから、そのイメージが強いのでしょう。ちょうど早実の大先輩である王貞治さんが監督で、その前で勝てたというのはうれしかったですね。王さんが僕のことをどう見てくれているか、試合中でもベンチでの様子が気になりましたし、翌日の新聞でのコメントも楽しみにしていました。

二宮: 後輩として王さんに認めてもらいたいという気持ちが強かったんでしょうね。
荒木: 高校時代から、学校では王さんの話題が野球は当然のこと、何かと出てくる。数学の先生は王さんも教えていたそうで、僕たちは全然、勉強ができないので、「王君は違ったぞ」とよく叱られました。特に数学の成績は抜群だったようです。

二宮: 王さんに昨年、インタビューしましたが、現役時代の話も年代まで正確に記憶していて、つい昨日のことのように話してもらいました。その記憶力と頭の回転の速さには改めて驚かされましたね。しかも、帰りの飛行機の時間が迫っていながら、ギリギリまで取材に応じてもらって本当に頭が下がる思いでした。
荒木: 王さんほどの人格者はなかなかいないですよね。年に1度のOB会でも、年代別にテーブルがいくつも分かれている中、王さんはひとつひとつ回って、お酒を飲みながら話をして場を盛り上げていく。その姿を見ると、いつも感心してしまいます。

 村田兆治の珍?アドバイス

二宮: 話を現役時代に戻すと、初の10勝をあげた翌年の88年に右ヒジ痛を訴え、渡米して靭帯再建手術を受けます。長いケガとの戦いが始まりました。
荒木: 88年も開幕から5月の初めまでに3勝をあげて調子は良かったんです。先輩の高野さんから「オレより勝ち星多かったら、何でも好きな時計をプレゼントしてやる」と言われ、「これはいける」と手応えを感じていました。ところが、ある時から登板後のハリがとれなくて、ボールをまともに投げられない。それがすべての始まりでした。

二宮: 最初に病院での診断結果は?
荒木: 「ただの疲労」だと。それから何度診てもらっても診断は変わらない。でも、1か月休んでいても痛いのだから、疲労なわけがない。村田兆治さんがフランク・ジョーブ博士からヒジの手術を受けて復活したのを知っていましたから、「一度、僕も診てもらいたい」と渡米を申し出たんです。

二宮: ジョーブさんの診断は?
荒木: 「靭帯が切れているから、手術しないと野球はできない」と言われましたね。メスを入れることに不安はありましたが、野球ができなくなることを考えたら、手術を受けるのに迷いはありませんでした。左手首の腱を右ヒジに移植したんです。

二宮: その後、再手術を受けることになりますが、これはなぜでしょう?
荒木: 手術自体は成功したものの、リハビリで失敗したんです。当時は球団にリハビリを担当するトレーナーがおらず、僕はひとりでトレーニングをしなくてはいけない状態でした。それも最初のうちは軽いダンベルを10回あげて2セットで終わりとか、本当に地道なメニューなんです。ジョーブ博士からは「痛みがあったらやめなさい」と言われていました。でも、痛みがないし、物足りないから、ついつい5セットとか10セットとか、一気に量を増やしてしまった。それで手術から1年経った段階でヒジに再びハリが出て、せっかくつなげた靭帯が切れてしまったんです。今度は右手首の腱を移植しました。

二宮: 右は投げるほうの腕ですが、その腱を取ってピッチングに影響はないのでしょうか。
荒木: 僕も気になったので質問したところ、「影響はない」と。確かに握力も落ちませんでしたし、ピッチングにも支障はありませんでした。

二宮: その後、椎間板ヘルニアの手術も受けます。復帰の見通しも経たず、精神的につらかったでしょう?
荒木: やっと投げられるようになったと思ったら腰を痛めたので、その時は最悪でした。日常生活すら、まともにできない。まったく先が見えない感覚でした。

二宮: 当時、日本人で靭帯の移植手術を受けたケースは限られていました。経験者の村田さんにも相談はしましたか。
荒木: 村田さんは人を介して手術後に紹介していただきました。リハビリのことを相談しようとしたら、術後に少し太っていたのを叱られましたね。「そんなことじゃ復活はできないぞ!」と。リハビリ生活を聞いたら、朝4時に起きて公園を走ったり、滝に打たれたりもしたそうです。早朝のランニングはまだしも、「滝に打たれなきゃ、投げられないのか……」という気持ちになりましたよ(苦笑)。まぁ、そのくらいの覚悟で取り組まないとマウンドには戻れないと、村田さんは伝えたかったのでしょうね。

 ヤクルト投手陣はピンチを楽しめ

二宮: 現役引退後は西武、東京ヤクルトでコーチを務めました。古巣で、昨年までコーチをしていたヤクルトは今季も苦しい戦いを余儀なくされています。特に投手陣は故障者も多く、チーム防御率はリーグワーストです。
荒木: 選手たちはみんな、まじめで手抜きをしない。コーチが見ていなくても、誰ひとりとしてトレーニングをサボる人間はいません。その努力が報われてほしいと、今でも息子をみるような気分で試合を見ています。ただ、反面、いい意味での遊び心が足りない。だから、いざマウンドに上がるとピッチングが窮屈になっている部分がありますね。言われたことは忠実にやるのだけど、悪く言えばバッテリーが指示に左右されすぎて自分たちの感覚や考えを信じきれない。たとえば、わざとバッターの意表をついてスローボールを投げたり、ど真ん中にシュートやカットを投げて、あえて打たせてみたり、もっと創意工夫ができると良くなるはずですが……。

二宮: ちょっと、まじめすぎるのが災いしていると?
荒木: はい。ランナーを背負うと、きっちりコーナーに投げないといけないと思ってしまうのでアップアップになってしまう。ピンチを楽しむくらいの余裕がほしいですよね。今、投手コーチをしている高津(臣吾)がそうでした。彼は次のバッターを打ち取る見込みがあれば、競った展開で満塁の大ピンチになっても平然としていましたから。「次のバッターを抑えて、ゼロで帰ってくれば大丈夫ですよ」と。その図太さには僕も「すごいな」と思いましたよ。その感覚で抑えをやってきただけに、今のピッチャー陣を見ていると、一層、歯がゆいのではないでしょうか。

二宮: そんな中、昨季、新人ながら16勝をあげた小川泰弘投手は話していても非常にクレバーな印象を受けます。これからのヤクルトを引っ張っていく存在になるでしょうね。
荒木: 入団当初、小川は先発ローテーションの構想には入っていませんでした。ただ、大学通算の防御率は0.60。いくら優れたピッチャーでも0点台で抑え続けるのは簡単なことではありません。実際にピッチングを見ていると球種が多彩でひとつひとつの質がいい。「リリーフなら1イニング、2イニングをきっちり抑えてくれるだろう」と最初は中継ぎで使う予定だったんです。ところが試しに先発をさせてみると、登板ごとにひとつひとつ課題をクリアして、どんどん良くなっていく。それで先発を任せることになりましたが、まさか最多勝を獲るとは思いもしませんでしたよ。

二宮: 小柄ながらも足を高く上げ、体を目いっぱい使おうとしている意図が感じられます。
荒木: 我々にはストレートもそれほど速くなく、角度がないのでプロのバッターには打ち返されてしまうのではないかとの先入観があったんです。でも、彼は角度はないけど、キレがある。バッターからはボールが浮き上がってくるように映るんです。小川のピッチングを見ているうちに、これこそが最大の武器だと気づかされました。他のピッチャーとはボールの軌道が違うから対処しにくい。しかも、足を上げてから着地までの動作で微妙に間をつくりますから、タイミングを外される。

二宮: 以前、聞いた荒木さんのコーチ哲学で興味深かったのが、「グラウンドに評論家が来たら、どんどん選手たちにアドバイスしてもらいたい」と語っていたことです。「よそから来て勝手にあれこれ教えないでほしい」というコーチも多い中、発想が柔軟だなと感じました。
荒木: よくコーチは指導する立場、育てる立場と言われますが、僕にはその感覚はありません。成長するのは選手自身で、そのためのきっかけをいかに提供するかがコーチの仕事。だから、僕が持っていない感覚や方法をどんどん伝えてほしいと考えていたんです。どんなやり方が選手に合うかわかりませんからね。たとえばヤクルトでは、カーブを投げないピッチャーが多かったので、今中慎二がキャンプを訪れた際に、「いいところに来た」と選手たちを集めて、即席のカーブ教室を開きました。いろんな経験や実績を積んだ評論家の方々はたくさんいらっしゃるわけですから、いいものは活用させていただきたいと……。

二宮: 今年はネット裏から野球を見る立場ですが、またユニホームを着てみたいとの思いは?
荒木: 当然あります。野村謙二郎(広島)や谷繁元信(中日)と年下でも監督になっていますからね。監督代行を務めた田辺徳雄(西武)やデーブ大久保(博元、東北楽天)も年齢は下です。もう僕も50歳ですから、動けるうちにユニホームを着て、選手たちと勝利の美酒を味わいたいですね。その時は、そば焼酎「雲海」「那由多(なゆた)の刻(とき)」をいただきますよ(笑)。

(おわり)

荒木大輔(あらき・だいすけ)
1964年5月6日、東京都生まれ。早稲田実業高では1年ながら、夏の甲子園で4完封の活躍をみせ、準優勝に貢献。「大ちゃんフィーバー」を巻き起こす。甲子園には5季連続出場を果たし、83年にヤクルトからドラフト1位で入団。1年目に初先発初勝利をあげると、3年目から先発ローテーション入り。86年、87年と開幕投手を務め、87年には2ケタ勝利(10勝)をあげる。88年に右ヒジを痛め、フランク・ジョーブ博士の執刀で靱帯再建手術を受けて長いリハビリ生活に。92年終盤、約4年ぶりに戦列復帰し、チームはリーグ優勝を収めた。翌93年も8勝をあげて日本一に貢献。96年に横浜へ移籍し、同年限りで引退した。04年からは西武、08年からは東京ヤクルトで投手コーチを務める。現在はNHK、週刊ベースボール、サンケイスポーツなどで解説、評論を行っている。現役時代の通算成績は180試合、39勝49敗2セーブ、防御率4.80。







★今回の対談で楽しんだお酒★[/color]

長期に渡り、樫樽の中で貯蔵熟成した長期貯蔵の本格そば焼酎「那由多(なゆた)の刻(とき)」。豊かな香りとまろやかなコクの深い味わいが特徴。また、ソーダで割ると樫樽貯蔵ならではの華やかなバニラのような香りとまろやかなコクが楽しめます。国際的な品評会「モンドセレクション」2014年最高金賞(GRAND GOLD QUALITY AWARD)受賞。

提供/雲海酒造株式会社

<対談協力>
がらく 恵比寿南店(野球居酒屋)
東京都渋谷区恵比寿南2−2−6 山本ビルB1F
TEL:050-5788-2205
営業時間:
月〜木 11:30〜14:30/17:30〜00:00(月〜木)
金 11:30〜14:30/17:30〜翌02:00、
土・祝日 17:30〜00:00
日曜不定休

☆プレゼント☆
 荒木大輔さんの直筆サイン色紙を本格そば焼酎「雲海」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「荒木大輔さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は9月11日(木)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
 今回、前編で荒木大輔さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成:石田洋之)


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