近年、日本の競泳界において、スーパースターといえば、やはりこの人以外にいないだろう。アテネ五輪、北京五輪と2大会連続で2冠を達成した北島康介である。そして今や日本競泳界の名将ともなっている平井伯昌コーチが、まだ無名だった北島を発掘し、金メダリストにまで育て上げたことは周知の通りだ。その平井コーチがひと昔前まで日本の競泳界ではタブーとされてきたウエイトトレーニングを本格的に指導に取り入れたのは2001年のことだ。そして北京五輪までの約7年間、平井と苦楽をともにして北島の身体をつくりあげてきたのが、国立スポーツ科学センター(JISS)のトレーニング指導員、田村尚之だった。
「身体が硬くなる」「筋肉で重くなって沈んでしまう」「スピードが出なくなる」
 ほんの10年前まで、ウエイトトレーニングに対する競泳界の定説である。そこに風穴を開けたのが、平井だった。平井がトレーニングの専門家として白羽の矢を立てたのが、田村だ。それまでアメリカンフットボールや柔道の選手を指導したことはあった田村だが、競泳選手は北島が初めてだった。

「当時、ウエイトトレーニングをしている競泳選手を見たことはありませんでした。昔から水中練習の前に、ドライランドと言って、自体重を用いたトレーニング、例えば腹筋や腕立て伏せは行なわれていました。そこに多少の筋力強化という意味合いは含まれていたとは思いますが、ダンベルやバーベルなど、マシンを用いたウエイトトレーニングはまったくされていなかったと思います。康介や、その後、中村礼子たちがトレーニングをしていても、それに続こうという選手はいなかった。逆に『あんなことやって、大丈夫?』という感じで、敬遠されていた感じでしたね」

 パワーの源は大きな“エンジン”

 一方、海外では既にウエイトトレーニングは取り入れられており、筋肉隆々の競泳選手がメダリストになっていた。
「なんで、ウエイトトレーニングをしないんだろう……」
 海外選手と並ぶと、あまりにも華奢な日本人選手を目にするたびに、田村はそう疑問を感じていたという。当時の北島もその例外ではなかった。

 だが、北島には他の競泳選手よりもはるかに秀でた部分があった。脚力だ。
「下半身強化はスタートやターンにおいては、大変重要な要素です。しかし当時、日本では水泳というと、水中での練習がほとんどで、陸上で下半身を強化する事はあまり重要視されていませんでした。なかには下半身の衰えが顕著な選手も少なくありませんでした。ところが、康介に限っては足の筋肉が思っていた以上に発達していました。足の筋肉が大きいというよりも、瞬発力があったんです。垂直跳びをさせると、球技系のアスリートクラスのレコードを出していました。確かにブレストという種目は、キック力が必要ですから、他の種目よりも脚力が強い傾向にはあるんです。でも、康介はその中でもずば抜けていましたね」

 とはいえ、本格的にウエイトトレーニングをしていなかった北島は、十分な筋力を持ち得てはいなかった。そこでアテネまでの約3年間、特に最初の1年間は、全身の筋力アップを図った。
「トレーニングのプロセスは、主に“筋肥大”“最大筋力の向上”“パワーの向上”と3つに分けることができます。康介の1年目は“筋肥大”がメインでした。筋肉を大きくする。車で例えれば、エンジンを大きくすることに注力したんです。それから徐々に筋肉と神経の働きを良くして、実際に大きな力を発揮するというトレーニングの割り合いも増やしていきました。そしてさらに2年目には、パフォーマンスに直結するスピードの要素も加えていきました」

 筋トレは魔法ではない

 では、なぜ競泳選手にこうしたウエイトトレーニングは必要なのか。田村は次のように説明する。
「水泳は水を“かく”という動作をしますが、水の抵抗に負けずに素早くかくには、当然パワーが必要となる。そのパワーという要素は、“筋力”と“スピード”から構成されているんです。では、筋力はというと、筋肉の質量に比例すると言われており、筋肉の量自体が少なければ、筋力が小さく、大きなパワーは出ません。小さいエンジンでは、車が速く走れないのと一緒です」

 さて、競泳界ではタブー視されていたウエイトトレーニングの結果は、周知の通りである。04年アテネ五輪で、北島は平泳ぎ100メートル、200メートルの2冠に輝いた。

 実はこの約半年前、田村の元には「ウエイトトレーニングをやりたい」と願い出る選手が現れ始めたという。それは明らかに北島の影響が大きかった。01年11月から田村の元でウエイトトレーニングに励んだ北島は、翌年からその名を世界に轟かせた。02年8月のパンパシフィック水泳選手権100メートルで初優勝を達成すると、同年9月のアジア競技大会では200メートルで世界記録(当時)を更新。03年の世界選手権では、100メートル、200メートルで世界記録を更新するという快挙を成し遂げたのだ。そんな北島の活躍を見て、ウエイトトレーニングが見直され始めたのだ。
(写真:ウエイトトレーニング導入後、飛躍的に伸びた北島。その裏には、試行錯誤と努力の積み重ねがあった)

 だが、田村は言う。
「あたかもウエイトトレーニングをすれば、何もかもが魔法にかかったように泳ぎが良くなると考えていた選手も少なくありませんでした。でも、それは違います。例えばウエイトトレーニングは短期間で筋力アップすることができる分、身体への負担も大きい。だから、きちんとリカバリーを考慮しながら導入する必要があるんです。そしてもうひとつは、ウエイトをやることで、本来の泳ぎが失われる危険性もあります。康介に関しては、平井先生と一緒に、どういうタイミングで、どういうトレーニングをするのか、スイムの練習とのバランスも考えながら、試行錯誤してやってきた。その結果、康介の努力もあって、あそこまでの結果を生み出すことができたんです。それを日本選手権の直前になってやるのはあまりにもリスクが高い。逆にこれまでの泳ぎが失われることも考えられたので、そういう選手たちにはすすめませんでした。どうしても、という選手には導入のための軽いプログラムを与えるようにしました」

 つまりは、一朝一夕で身に着けられるものはないということだ。だが、いずれにしてもこの時を境に、日本競泳界におけるウエイトトレーニングの見方が変わり始めたことは間違いない。トレーニングにおける新時代の幕開けとなったのである。

(後編につづく)

田村尚之(たむら・なおゆき)
1965年12月7日、東京都県生まれ。国立スポーツ科学センター(JISS)主任トレーニング指導員。東海大学卒業後、スポーツクラブインストラクターを経て、97年にはアメリカンフットボールチーム、オンワード・オークスのヘッドストレングス&コンディショニングコーチとなる。2001年、全日本女子柔道のトレーニング担当および、JISSのトレーニング指導員となる。同年11月より北島康介のトレーニングをサポートし、アテネ五輪、北京五輪と2大会連続での2冠達成に寄与した。競泳・シンクロナイズドスイミング日本代表チームのトレーニング担当として、多くのアスリートのトレーニング指導を行なっている。

(文・写真/斎藤寿子)
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