「フットバッグだけでは食べていけないだろうな……」
 これが大学時代、石田太志が抱いていた正直な考えだった。大学4年になり、周囲が就職活動を始めると、自身も興味があった海外でのアパレル業界への就職を志望した。実は2006年にカナダに留学した際、彼は現地のアパレルショップで働いていた。「海外のアパレル業界での経験があれば、就職活動で企業に興味を抱いてもらえるのではないか」と考えたからだ。石田はカナダに到着すると、すぐに履歴書を手にトロントにあるアパレルショップ、約150店を歩いて回り、「Banana Republic」というGAP社系列の会社に採用された。そこで働きながらフットバッグの修行に励んだのだ。そうした“計画”が実を結び、08年4月、石田は「コム・デ・ギャルソン」に入社。仕事とフットバッグの両立を目指した。だが、それは予想以上に厳しいものだった。
(写真:石田は各地でパフォーマンスを行い、フットバッグの認知拡大に務めている)
 冷めなかった競技への情熱

 仕事から帰宅するのは毎日22時〜23時。それから夕食を食べ、深夜0時頃からフットバッグの練習を始めた。そして午前6時半頃に起きて出社するのが石田のサイクルとなった。残業などがあると、練習時間が30分ほどしかとれない日もあった。当然、練習量は十分とはいえず、入社3年目の10年に「ジャパンフットバッグチャンピオンシップ」(JFC)で2度目の優勝を果たしたが、目標の同大会連覇を達成できないでいた。

 学生時代のフットバッグ仲間は、就職を機に皆、競技から離れ、石田はひとりで練習するようになっていた。多忙による身心への負担、仲間がいない中での孤独な練習……いつ競技をやめてもおかしくない状況だった。しかし、石田がフットバッグから離れることはなかった。
「自分自身も就職してフットバッグをやめてしまうのではないか、と不安でした。しかし、就職してから、以前よりフットバッグに没頭していく自分がいたんです」

 フットバッグへの情熱が強まっていくにつれ、石田の中である考えが浮かぶようになった。プロ転向である。しかし、日本はおろか、世界のフットバッグ界でプロとして活動している選手は誰ひとりいなかった。コム・デ・ギャルソンで働いていれば、安定した収入を得ることができる。それでも、彼がプロへの道を考え始めた理由はどのようなものだったのか?
「コム・デ・ギャルソンで僕はプレス(広報)の仕事をしたかったので、プレスになることを目標にしていました。でも、自問自答した時、それが一番にやりたいことではありませんでした。僕の中で一番やりたいことは、やっぱりフットバッグだったんです。プロフットバッグプレーヤーという道は、まだ前にも後ろにもなかった。だから“退職してまでプロに転向しても大丈夫だろうか”という不安もありました。ただ、道が見えていないからこそ、もし切り拓けたら“自分が一番に求めていることだから面白いはず”という期待が不安を上回ったんです」

 プロ転向にあたってはある人物の後押しもあった。ある人物とは、石田の妻である。彼女は、石田が出場する大会やイベントに帯同し、パフォーマンス中の写真を撮影したり、活動を支えている。まだ付き合っている時に、石田は彼女にプロ転向の考えを明かした。すると、次のような言葉が返ってきた。
「やってみてダメだったら考えたら? そんなに好きなことがあるならやらなきゃもったいないよ!」
 石田は「あの一言で背中を押してもらえた。ありがたかったですね」と妻への感謝を口にした。パートナーの後押しもあり、石田は11年8月末でコム・デ・ギャルソンを退社。翌月から世界で唯一のプロフットバッグプレーヤーとして歩み始めた。

 プロとして活動していくためには資金が必要である。アルバイトをやりながら活動するのもひとつの選択肢だったが、石田は「極力、アルバイトはしない」と考えていた。それはなぜか。
「アルバイトをやりながらだと、自分を追い込めないと考えたからです。アルバイトで得た収入があるから生活できるとなると、どこか安心感が生まれ甘えが出てしまう。“フットバッグで食べている”とはいえない。まあ、無茶な考えですけど(笑)、逆にそういった無茶な感じをアピールすることで、“おもしろい奴だな”と興味を持ってくれる支援者がいるかもしれない。そこに賭けたんです」
(写真:フットバッグはシューズひとつをとっても奥が深い。石田のこのシューズはタンとシューレースホールの接着部分の一部をカットし、バッグが止まりやすくしている)

 スポンサーを獲得するため、企業に直接出向くことのみならず、電話、メールなど、様々な方法で自身、そしてフットバッグを売り込んだ。いい返事は少なく、反応さえないことも多々あった。だが、プーマジャパンからウェアの提供を受けるとともに、同社主催のイベントでパフォーマンスを行う契約をとりつけるなど、徐々にスポンサー獲得活動が実を結び始めた。12年8月からは1000人にフットバッグを体験してもらう「フットバッグチャレンジ」を実施。UTホールディングスという企業の支援を受けながら北海道から沖縄まで各地域を周って、フットバッグを人々にアピールした。実際、約半年間で体験人数は1000人を突破したという。

 もちろん、競技での成績にもこだわった。“世界で唯一のプロ”と謳っている以上、大会で平凡な成績しか残せなければ多くの人に期待してもらうことはできない。石田はJFCで11年は2位、12年は通算3度目の優勝と、安定した結果を残していった。

 メンタルに見出した勝機

 迎えた今年7月、石田は自身5度目となる第35回WFC(8月、パリ)出場に向けて、あるプロジェクトを実行していた。プロジェクト名は「クラウドファンディング」。「Crowd=群衆」と」「Funding=資金調達」を掛け合わせた造語で、プロジェクトを実行するために必要な資金を、インターネットを通じてサポーターから支援してもらうというものだ。プロジェクト実行者(石田)は目標金額以上が集まれば、サポーターにリターンする(石田の場合は石田モデルのフットバッグなど)。このクラウドファンディングで石田はWFC出場するための資金を募った。公約は「WFCでのトップ10入り」。すると、石田が「ここまで順調に集まるとは」と驚くほど、早い段階で支援額は目標額(約50万円)に達した。
「絶対に公約を達成しなければいけない、と気合いが入りましたね」
 あとは自分が結果を出すのみ――。しかし、石田はそれまで国際舞台では思うような結果を残せていなかった。WFCの「シュレッド30」(30秒間でどれだけ高度かつ色々な技を繰り出せるかを競う)で10年大会は11位、12年大会は16位に終わっていた。

 目標である世界トップ10に入るため、石田はまず注力する競技を絞り込んだ。世界で主流と言われているのは「フリースタイル」(決められた時間内で音楽に合わせて様々な技を繰り出し、 そのルーティンの難易度、美しさ、オリジナリティ、音楽との融合など、フットバッグの技術を総合的に競う)と「シュレッド30」。その中でも、彼が勝機があると見たのがシュレッド30だ。同種目は30秒間で、だいたい30個程度の技を繰り出して、その合計点数を競う。石田はなぜシュレッド30に勝機を見いだしたのか?

「シュレッド30は、数ある種目の中でも特にメンタル面が重視されるんです。30秒間に30個の技を繰り出すので、1個のミスが得点に大きく響いてしまう。ミスをすると頭が真っ白になり、事前に考えておいた技とは全く違う技を選択してしまうこともあります。ですから、ギャラリーが多く、かつ“ミスをしてはいけない”という重圧の中でパフォーマンスできる精神力が求められるんです」

 高い技術を誇っていても、本番で重圧に押しつぶされては話にならない。石田はメンタル面のタフさには自信があった。様々なイベントでパフォーマンスを行っていることで、踏んできた“場数”の多さは世界のトッププレーヤーに負けない自負があったのだ。

 勝負を分けた“プラス3”

 また、大会に臨む上での心構えも意識した。今回、石田はWFCにイベントでパフォーマンスするつもりで出場したという。
「僕のパフォーマンスのクオリティは大会とイベントで変わってしまっていました。イベントではリラックスしているのに、大会ではがちがちに固まってうまくいかない。どうやれば、大会でもリラックスできるかを考えていました。そこで、大会を外国人が見ているイベントだと思うようにしてみたんです」

 効果は抜群だった。シュレッド30は予選ステージで20人弱の出場者が10人に絞り込まれる。石田は5位で通過し、この時点で「世界のトップ10入り」という公約を果たした。そして迎えた決勝ステージで、石田は渾身の演技を披露した。予定よりも多い計33個の技を繰り出し、かつノーミスで30秒間を終えたのだ。大会に向けて何百回と練習してきたルーティンではあったが、一度もミスをしなかったのは決勝での演技が初めてだった。パフォーマンスの最後に、バッグを掴んだ石田は、ガッツポーズを決めた。会心の出来だった。WFCを7連覇したことのある“絶対王者”ヴァシェック・クロウダ(チェコ)も1回、ミスをしており、決勝でノーミスだったのは石田だけだった。

 ただ、ノーミスといえどもクロウダや他のトッププレーヤーの技の難易度を考えると優勝は難しいと思われた。石田は「表彰台には上がれるかもしれない」との期待を抱いて、2日後の表彰式を待った(フットバッグは高速で多様に技を繰り出すため、採点に時間がかかる。審査員はスローモーションの映像を何度も見て、得点を算出する)。

 表彰式では3位以上の選手が表彰される。結果発表の前に、司会者が「今回はおもしろい結果になった」と述べた。これを聞いて石田は「やはり自分が表彰台に上がったのかもしれない」と心の中で思った。だが、3位で彼の名は呼ばれなかった。
「あれ? 3位にも入れなかったのか……」
 世界トップ10という目標は達成したが、できることならメダルを手にした姿を応援してくれた人々に見せたかった。石田は帯同していた妻とともに肩を落とした。

 ところが、である。2位に絶対王者であるクロウダが入ったことで、石田のみならず、会場全体がざわつき始めた。次の瞬間、「タイシ・イシダ」の名前が呼ばれて、ざわつきは大きな歓声に変わった。そう、石田は優勝者として、自身の名をアナウンスされたのだ。アジアの選手がWFCで優勝するのは、史上初の快挙だった。
「もう信じられない気持ちで、とにかく興奮していたのを覚えています」
 歓喜の瞬間を彼はこう振り返った。スコアは1位の石田が242.27点、2位のクロウダは240.26点。わずか2点差しかなかった。実は、石田が終盤に加えた3つの技が、勝負の分水嶺となっていた。
「30個の技を終えた時点で、まだ時間が余っていました。そこで、何万回と練習して、体が覚えている技が咄嗟に出たんです」
 石田が事前に考えていた30個の技をノーミスで終えた場合の得点は230点だった。つまり、もし3つの技を加えていなければ、石田の頭上に栄冠が輝くことはなかったのだ。
(写真:表彰式で一番高い位置に立つ石田。写真提供:石田太志)

 夫婦で勝ち取った世界一

 大会後、石田はある“ジンクス”に気が付いた。国内も含めて、大会で優勝した時は競技直前まで妻と話をしていたのだ。
「よくよく考えると競技前に妻が話しかけてくる時と、こない時があったんです。話かけられない時はミスをする場合が多かった。逆に、話をしている時はいい結果が出ていました。会話の内容はバラバラなんですけど、直前までリラックスできていることがパフォーマンスに好影響を与えてくれているのかなと。今では妻に“試合前に話しかけてきて”とお願いしています(笑)」

 実はベスト8に終わったフリースタイルでは、パフォーマンス直前に妻から話かけられていなかった。シュレッド30では妻が何かを感じ取り、石田に話しかけたのかもしれない。その意味で、夫婦で勝ち取った世界一とも言えるだろう。

 世界一となった石田は現在、WFC連覇と「The Big ADD Posse」(BAP)のメンバーに入ることを自身の目標にしている。BAPとは、世界のフットバッグ界に衝撃を与えた選手が選出される殿堂のこと。現在、76人のBAPメンバーがおり、彼らが話し合って、新たな殿堂入りを決める。石田は今年、殿堂入りは叶わなかったが最終候補の3人に残った。BAPメンバーにはその選手の特徴にちなんだミドルネームが付与される。果たして、石田が殿堂入りした時はどのようなミドルネームが付けられるのか。

 また、フットバッグの伝道者としての役割も彼には求められている。石田はフットバッグを教えるスクール活動の他に、サッカーのスキルアップ、他のスポーツの股関節トレーニングなどにもフットバッグを取り入れることを提案している。この10月には石田が監修したDVD『空手足技上達法 石田太志 フットバッグトレーニング』(仮タイトル)が発売される予定だ。

 フットバッグに多くの可能性があるように、石田にもまだ計り知れない可能性が秘められている。競技の普及、WFC連覇、そして殿堂入り――。プロフットバッグプレーヤー・石田太志はこれからも“大志”を抱き続ける。

(おわり)

<石田太志(いしだ・たいし)>
1984年4月5日、神奈川県生まれ。2014年フットバッグの世界大会である「World Footbag Championships 2014」にてアジア人初の世界一に輝いた日本を代表するフットバッグプレーヤー。小学校から高校までサッカーを続け、大学1年時にフットバッグに出合う。大学在学中の06年にはカナダに1年間、08年にはヨーロッパに渡り、フットバッグの技術を磨きながら海外の多くの大会に出場し入賞。06年10月にはジャパン・フットバッグ・チャンピオンシップ(JFC)のフリースタイルで初優勝した。大学を卒業し、08年から株式会社コムデギャルソンに勤務。しかし、どうしてもフットバッグで生活していく夢を捨てられず、11年8月に会社を退職し、プロフットバッグプレーヤーに転向。現在は世界唯一のプロフットバッグプレーヤーとしてメディア出演やパフォーマンス活動も精力的に行い、またフットバッグを使用したサッカースキルアッププログラムや他スポーツでの体幹や股関節トレーニング、高齢者の方への介護予防としてのトレーニングも各地で行っている。日本サッカー協会の夢先生の資格も保有しており、全国の小中学校で夢について教えている。JFC優勝通算3回(06年、10年、12年)。
>>石田太志オフィシャルサイト
>>夢先生オフィシャルサイト
>>日本フットバッグ協会

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(文・写真/鈴木友多)

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