名前の「鉄也」をもじったわけではないが、彼こそ文字どおりの「鉄人」である。
 以下の記録を見ていただきたい。08年=67試合、09年=73、10年=73、11年=60、12年=72、13年=64、14年=60。7年連続で60試合以上に登板したピッチャーは、長い歴史を誇るプロ野球の中で、巨人のセットアッパー山口鉄也だけである。


 しかも防御率が素晴らしい。60試合以上登板の、この6年間で0点台1回(0・84=12年)、1点台3回(1・27=09年、1・75=11年、1・22=13年)、2点台1回(2・32=08年)。3点台は10年の1回(3・05)だけだ。
 いかに山口の貢献が大きいかについては、この6年間でチームが4回もリーグ優勝を果たしていることでも明らかだろう。今季も7試合を残して3連覇を決めた。

 山口の出番は試合終盤である。マウンドに上がるのはたいていが僅差でリードか同点の場面。イニングの途中で火消しを担うこともある。それこそ心臓に毛でも生えていないと長きに渡ってこの激務には耐えられまい。そう思って話を聞くと、意外な答えが返ってきた。

「僕は“絶対に抑えてやる!”なんて思ったことはありません。“こんなピンチ、打たれてもしょうがないでしょう”と弱音を吐きながらマウンドに上がっている。開き直った方がいいタイプなのかもしれませんね」
 受けこたえは、ひょうひょうとしていて掴みどころがない。この脱力感こそが、長持ちの秘訣ではないか。

 広く知られているように、山口は育成選手から這い上がってきた叩き上げである。NPBから誘いがなかったため、高校(横浜商)卒業後4年間は米国のマイナーリーグでプレーしている。
 帰国後、プロの入団テストを受けるも、横浜(現DeNA)、東北楽天ともに不合格。しかし、捨てる神あれば拾う神あり。兄の草野球のユニフォームを借りて受験した巨人のみが正規のドラフトとは別の育成ドラフトにかけてくれた。

 山口の資質を見抜いたのが、当時2軍投手コーチをしていた小谷正勝(現千葉ロッテ2軍投手コーチ)だ。右バッターのアウトサイドに沈むサウスポー独特のチェンジアップにキラリと光るものを見てとったのである。

 セットアッパーの中でも、チームにとってとりわけサウスポーは貴重だ。山口はワンポイントからイニングまたぎまで、何でもこなす。最優秀中継ぎ投手には09年、12年、13年と3回も輝いている。

「柳に雪折れなし」ということわざがある。しなやかで力みのないフォームだからこそ、大きな故障もせず、着実に登板数を積み重ねることができたのではないか。

 ここまできたらアンタッチャブル・レコード級の10年連続での60試合以上登板を目指してもらいたいものだ。

<この原稿は2014年10月12日号『サンデー毎日』に掲載された原稿を一部再構成したものです>


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