スポーツマンシップに反すると言えば反するかもしれない。一方でプロなのだから、これくらいはありだろう、と思わないこともない。
 試合前の西武球場に一瞬、緊張が走ったのは今から32年前、1982年10月9日のことだ。
 前期優勝の西武と後期優勝の日本ハムとのプレーオフ第1戦。5戦制で3勝すれば覇者となる短期決戦において、初戦が占めるウェイトは重い。
 日本ハムの先発は、この年20勝(4敗)をあげた右横手の工藤幹夫。とりわけ西武に強く、6勝1敗と大きく勝ち越していた。

 ところが工藤、プレーオフの1カ月前に自宅のドアに右手の小指をはさんで骨折。以来、ギプスと包帯の日々。その工藤の名前がメンバー表に書き込まれていたのだから西武・広岡達朗監督の表情が強張ったのは言うまでもない。騙し討ちじゃないか、というわけだ。

 日本ハムの大沢啓二親分、いや監督からすれば、してやったりの思いだったろう。「工藤は間に合いそうもないな。経験から言ってベテランの(高橋)一三しかいないだろう」などと“三味線”を引き、暗にサウスポーの先発を匂わせていたのだから。

 親分の奇襲は成功した。工藤は得意のシュートが冴え渡り、7回途中まで被安打3の無失点。いったい、あの痛々しいギプス姿は何だったのか……。

 この一世一代の名演技の真相を知りたくて、昨年3月、直接本人を訪ねた。工藤は秋田市内でスポーツ用品店を営んでいた。
「皆さん、演技といいますけど、そうじゃないんですよ」。意外な言葉が返ってきた。

「小指の根っこの部分を骨折してから丸3週間ボールを握れなかった。やっとキャッチボールができるようになったのは、試合の1週間前です」
「よくそんなピッチャーを親分は使いましたね?」
「本当ですよ。医者は“まだ骨がくっついていないから無理しちゃいけない”と言ってたんですから。だからマウンドに上がる時には“こんなオレを使う監督が悪いんだ”と開き直っていました。逆にそれがよかったのかな……」。工藤は3戦目にも先発し、完投勝利を収めている。故障による休養が吉と出たのだ。

 11日からCSがスタートする。パは予告先発制だが、セは採用していない。個人的には三味線作戦もプロ野球の一部だと思うが、いかがか……。

<この原稿は14年10月8日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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