2014年シーズンが幕を閉じました。富山サンダーバーズは、前期に優勝し、5年ぶりのプレーオフ進出を果たしました。石川ミリオンスターズとの地区チャンピオンシップでは、2勝2敗2分と五分としましたが、通期の対戦成績で石川を上回ることができなかったため、6年ぶりのリーグチャンピオンシップには届きませんでした。しかし、選手たちは本当によく戦ってくれたと思います。特に前期の優勝は、選手たちに「勝たせてもらった」感が強く、感謝しています。というのも、コーチとしての私の至らなさが多々あったことを感じているからです。
 油断が招いた4月の不調

 今思えば、今季は選手たちの方をしっかりと見ることができていませんでした。その背景には、選手たちを信頼し過ぎていたことがありました。昨年1年間で基本的なことを伝えていたため、主力に関しては「同じことを伝えなくても大丈夫だろう」と、私が油断をしたのです。

 ところが、フタを開けてみれば開幕4連敗を含めて、4月は2勝7敗という最悪なスタートとなりました。最大の敗因は、先発ピッチャーの肩ができておらず、序盤で失点してゲームをつくることができなかったことにありました。この時、私の油断が引き起こしたことだと、深く反省しました。後から考えると、確かにキャンプの時にオフのトレーニングが不足していることは感じていたのです。しかし、それでも私は「きっと言わなくてもやるだろう」と、強制することなく、自由にやらせることを選択してしまったのです。

 開幕以降、トレーニングを積み重ねていくことで、徐々に投手陣の体もでき、チーム状態は良くなっていきました。結果的に優勝することができましたが、もともと力のある選手がそろっているチーム、本来であればここまで苦しむことなく勝てたはずです。前期の優勝は、負け続けても前を向き続けてくれた選手たちの頑張りが報われた結果だったと思います。

 今シーズンの苦戦は、私の自分自身を客観的に見る視野が狭かったために、選手に対して十分に目が行き届かなかったことが最大の原因だったと感じています。だからこそ、調子が悪くなる前兆すら見極めることができなかったのです。

 今季の反省をいかして、このオフはしっかりと選手たちに指示を出していこうと思っています。キャンプまでは直接見ることのできない選手もいますが、それでも時折、電話やメールで「ちゃんとやっているか?」と声をかけるだけでも違うはずです。もちろん、実際にやっているかどうかは本人にしかわかりません。しかし、こまめに声をかけることで、選手にも「やらなければいけない」という思いが自然とわくはずです。僕自身、「すべてはオフで決まる」ことを肝に銘じて、このオフを過ごしたいと思います。

 塩、エースとしての成長

 さて今季、エースとして期待していたのが塩将樹(藤沢翔陵高−神奈川大−横浜金港クラブ)でしたが、その期待通りの活躍をしてくれました。今季の塩は、ランナーを背負うと一気にギアを上げて得点を許さないなど、ゲームの流れを読んで、力を出し入れできるようになったことが大きいですね。ベンチやチームメイトからも「塩が投げれば勝てる」「ゲームをつくってくれる」と信頼され、まさにエースとしてチームに貢献してくれました。

 塩は昨オフにトルネード気味に、体をねじるフォームに変えました。それは課題を克服するために、塩自身が考え出したものでした。もともと彼には横振りになるクセがありました。そうするとボールがシュート回転して、それまでファウルが取れていたボールが前に飛ぶようになり、ヒットを打たれる確率が高くなるのです。疲れてくると、それが顕著になり、昨季は交代のタイミングをはかるものさしにもなっていました。

 もちろん、本人もそれがわかっていました。そこで、どうすれば横振りにならないか、オフに考えたのでしょう。昨年11月に行なわれたレッドソックスのトライアウトを受けた時には、既にトルネード気味のフォームに変わっていたのです。春のキャンプで改めて見た時も、うまく投げることができていたので、そのまま続けさせました。こうして自分で考えて、いろいろとチャレンジするようになったこと自体、成長の跡が見られます。

 今後の課題はというと、ボールの高さです。今では常時140キロ台中盤のボールを投げ、球威もあります。しかし、やや球が高いのです。BCリーグではそれでも球威で押してファウルを取ることができますが、NPBであれば、1球でアジャストされてしまうでしょう。ヒザ元へのコントロールが、もうひとつ上のステージへ進むための今後の課題となります。

 佐藤、内角攻めによる成果

 一方、リリーフ陣の中で成長著しかったのが、佐藤康平(愛西学園弥富高−東海学園大−NAGOYA23)です。もともと能力の高いピッチャーですが、今季は球質が上がり、変化球でもカウントが取れるようになったことで、結果を残しました。しかし、一番変わったのは野球への姿勢です。これまでの佐藤は、練習では自分が投げたいボールをただ投げているだけでした。僕が「何のためにやっているんだ?」と聞いても、答えることができませんでした。

 そこで、佐藤にはある課題を与えました。インサイドへのボールです。サウスポーである佐藤にとって、対左打者は生命線です。しかも、BCリーグでは左投手のインサイドのボールをさばくことのできる左打者はほとんどいません。だからこそ、佐藤にとっては結果が出やすいという利点もありました。

「インサイドに自信をもって放れる準備をしておけよ」「困ったら、インサイドだからな」と、佐藤にはことあるごとに声をかけ、インサイドへのボールをインプットさせました。そのひとつには、フォームを安定させるという狙いもありました。フォームが悪ければ、インサイドに投げることはできないからです。その結果、フォームが安定し、ボールにもキレが増しました。それが結果へと結びついたのです。

 さらに、課題も克服しました。佐藤のストレートは、決して速いとは言えません。ならば、三振を取ることのできる変化球が2種類ほど欲しいと考えていました。スライダー、シンカー、フォークの3種類を持っているのですが、これまではいずれも、三振を取れるほどのキレがなかったのです。しかし、フォームが安定したことで、変化球のキレも増し、シーズン終盤にはすべての変化球で三振が取れるようになったのです。

 シーズンが終了した今は、疲労も取れ、ブルペンで投げていても、さらにボールが良くなってきています。このままいけば、来季は先発として2ケタを挙げるようなピッチャーになれるはずです。クローザーという起用法も考えられるでしょう。いずれにしても、チームの柱となることは間違いありません。

 自主性芽生えた藪上

 この佐藤に負けず劣らず、この1年で大きな変化を見せたピッチャーがいます。2年目の藪上貴司(町田高−横浜ベイブルース)です。シーズン途中までの藪上は、単にやらされているだけの練習でした。彼には私もよく声をかけていましたし、他のコーチもアドバイスを送ってくれていました。しかし、だからこその甘えが生じていたのでしょう。藪上から何かを発信するということがほとんどありませんでした。

 そこで、後期の半ば、私はわざと声をかけないようにしました。すると、1カ月半ほど経った頃、なんとなく藪上の雰囲気が変わっていることに気づきました。そこで「オマエ、最近変わってきたな」と声をかけると、藪上はこう答えたのです。
「これまでは言われたことをやっていただけでしたが、今は自分がこういうふうにしたいからこうする、というふうな考えに変わったんです」

 何がきっかけだったのかはわかりません。しかし、確かに藪上は変わりました。見ていても、誰に言わるでもなく、自分が今必要としているトレーニングを自分で見つけてやっていたのです。

 もともと今季の活躍を期待していたピッチャーでもありましたから、後期の後半、監督に「藪上、どうですか?」と登板の打診をしました。監督からは「本当に大丈夫か?」と念を押されましたが、僕は「大丈夫ですよ」と自信をもって言いました。その期待に、藪上は見事に応えてくれました。石川とのプレーオフでは、監督からも「大事な場面で藪上を投げさせよう」と言われるほど、信頼の持てるピッチャーへとなっていたのです。実際、プレーオフでは2試合に登板しました。藪上自身も自信を持つことができたことでしょう。来季のさらなる活躍が楽しみです。

中山大(なかやま・たかし)>:富山サンダーバーズコーチ
1980年7月13日、新潟県生まれ。新潟江南高校、新潟大学出身。大学時代は1年時から左腕エースとして活躍。卒業後はバイタルネットに入社し、硬式野球部に所属した。リーグ初年度の2007年、新潟アルビレックスBCの球団職員となる。翌年、現役復帰し、同球団の貴重な左腕として活躍。1年目には先発の柱として9勝、リーグ4位の115奪三振をマークし、球団初となる前期優勝に大きく貢献した。09年限りで現役引退し、10年より投手コーチに。12年には球団初のリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。13年より富山サンダーバーズの投手コーチに就任した。
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