サッカーにおいて、優劣を決定づける要素とはなんだろうか。選手の才能?もちろん。監督の能力? 当然。チームの資金力? ますます重要になってきている。では、いまあげた3つの要素ですべて優位にある側は、そうでないチームを簡単に粉砕することができるのか。大概は、できる。だが、例外もある。そのことを思い知らされた、先週末のブンデスリーガだった。
 ボルシアMG対バイエルン・ミュンヘン。60年代から70年代にかけてはナショナル・ダービーと呼ばれ、全世界の注目を集めた一戦である。だが、人口25万人程度の小さな街のクラブでは、140万人の大都市クラブと長く伍していくことは不可能だった。デルハイエ、マテウス、エフェンベルク…次々と有能な選手を引き抜かれていくうち、ボルシアはどんどんと栄光から遠ざかっていった。

 浮上のきっかけとなったのは、小さな街が巨大な予算を投じて造り上げた新スタジアムだった。狙いとした06年W杯の招致には失敗したものの、収容人員5万人を超える本拠地を手にしたことで、チームの財政状況は緩やかな上昇曲線を描き始めた。

 とはいえ、世界中のスターをかき集めるバイエルンとはまだまだ比較すべくもない。先週末、実に40年ぶりとなったバイエルンとの首位決戦を前にしても、古豪の復活を期待する声がある一方で、ブレーメンやローマが演じてしまった惨劇の再現になるのでは、と懸念する向きも少なくなかった。

 大方の予想通り、試合の主導権を握ったのはバイエルンだった。ボルシアもポゼッションを重視する、最近では“ドイツのバルサ”と言われつつあるチームだが、力の差はいかんともしがたい。試合のほとんどは、ボルシアの足が徳俵にかかった形で進んだ。

 だが、そこから彼らは耐えた。ただ耐えただけでなく、幾度となく神がかり的なカウンターを見舞った。ノイアーの好守がなければ、ボルシアが勝っていてもおかしくない内容で試合は終わった。0―0だった。

 いま現役の選手たちにとって、ボルシアの栄光は遥か彼方の昔話である。それでも、栄光に包まれたユニホームの力は、世代を超えて力をもたらすことがあるということを、若い選手たちは証明した。

 だから、わたしは思い出す。ボルシアが強かった頃、そっくりのユニホームで日本サッカー界に革命を起こそうとしたチーム――読売クラブの存在を。

 22チーム中20位。それが彼らの末裔たちの現状である。復活どころか、J3降格の可能性さえある。それでも、最近のボルシアを見るたび、わたしは思うのだ。時代を築いたユニホームには、力がある。カネでは買えない力がある。その力が残っているうちに手が打てれば、復活は、必ずや現実のものとなるはずなのだ。

<この原稿は14年10月30日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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