ドイツのスタジアムは日々進化と変化を続けている。トイレの数が増えたスタジアムがあれば、場内での支払いがすべてプリペイドカードになったところもある。それに比べて、なぜ日本のスタジアムは劣化を重ねていくだけなのか――以前、そんなことを書いた記憶がある。
 実を言えば、書きながら諦めていた部分もあった。かたや石の文化、かたや木の文化。着工以来100年以上たってもまだ完成に至らぬ教会がある文化圏と、造られた当時の姿を守ることに力を注ぐ文化圏。スタジアムに対する考え方に違いが出てくるのも、当然と思う部分があったからだ。

 それだけに、喜ぶべきなのか、それと失望すべきなのか、迷っている。

 なぜ行ったのか――理由は思い出したくもないが、先週、3日間ほど博多に行ってきた。11年ぶりに足を踏み入れたヤフオク・ドームで、わたしは愕然とした。

 新しくなっている!

 それは、欧州のサッカー場では珍しくなくとも、日本のサッカー場ではまず味わうことのない感覚だった。

 わたしの覚えているヤフオク・ドームは、スタンドとフィールドの距離が遠い、うすらデカイばかりで臨場感の乏しい、典型的なドーム球場だった。はっきり言えば、博多の森にあるサッカー場の方がずっと好みだった。

 ところが、11年ぶりに訪れてみると、印象がまるで違う。場内ビジョンはびっくりするほどに巨大化しており、おかげで、野球にありがちな“間”を、観客は退屈せずに過ごせるようになっていた。場内での飲食も郷土色豊かなものになっており、試合を見るだけでなく食べる楽しみも満喫できる。米国や欧州の優れたスタジアムがそうであるように、ヤフオク・ドームもまた、単なる競技場ではない、総合型エンターテインメント劇場とでもいうべきものに変貌を遂げていた。

 サッカー界ではできていないことが、野球界ではできていた。

 改めて考え直してみれば、たとえば日本の鉄道は世界最高レベルにありながら、乗客の利便性をより追求すべく、さらなる日進月歩を続けている。日本であっても、鉄や石に変化を加えていくことは十分に行われていたのである。

 ではなぜ、日本のサッカー場は野球場ほどの変化と進化を遂げることができないのか――そう考えると、失望の念が込み上げてくる。鉄道よりも、野球よりも、日本のサッカーははるかに軽いのだということを思い知らされたような気がして。

 来年、ヤフオク・ドームはさらなる改修を行い、外野スタンドの形状を一新させるのだという。似たような話がとんと出てこないサッカー界の現状が、あまりにも悲しく、寂しい。

<この原稿は14年11月6日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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