二宮: 帝京大卒業後、コマツに入社します。他にも実業団がある中、コマツを選んだのは?
宇高: 松岡義之先生(コマツ)から声をかけていただきました。「世界を目指すなら、ウチに来い」と。当時は谷本歩実さん(アテネ、北京五輪金メダリスト、現コーチ)も現役で、尊敬している選手と同じチームでやりたいとの思いもありましたね。
 辞めたくても辞める勇気がなかった

二宮: コマツは谷本さんのほかにも、杉本美香さん(ロンドン五輪銀メダリスト)、浅見八瑠奈選手(東京、パリ世界柔道金メダリスト)など世界のトップ選手を輩出しています。柔道に打ちこむ上での環境面も充実しているのでしょうか。
宇高: 環境はとても恵まれていますね。正社員で採用していただいて、道場も整っている。他の実業団では成績が悪いと給料が下がって生活にも困るという選手もいるみたいですが、コマツではそんなことがありません。いい会社に入ったと感謝しています。

二宮: 会社ではどんな業務をしているのですか。
宇高: 私は人事部の採用担当で、午前中に本社に行って、応募者の履歴書を整理したり、連絡をとったり、面接に来た学生の対応をしています。業務は基本的に午前中のみで、午後は道場に行って練習するスタイルです。

二宮: ただ、今回の世界柔道で金メダルを獲得するまでは、大きな国際大会で結果が残せず、苦しい時期もありました。柔道を辞めようと思ったことは?
宇高: 辞めようと思っても辞める勇気がなかったですね。もちろん、実業団でやらせてもらっている以上、成績が出ないのにいつまでも甘えるわけにはいかない。成長の見込みがないなら、やっていてもしょうがない。松岡先生からも「ダメなら辞める覚悟を持ってやれ。そうしないと変われない」と注意されたこともあります。だけど、実際に「辞めます」と切り出すことはできませんでした。やはり、辞めたくなかった。これが正直な気持ちだったんだと思います。

二宮: 柔道は国際大会で勝たなければ評価されない。宇高さんも国内では何度も優勝していますから、本来なら立派な成績なのですが……。その意味ではつらい立場ですね。
宇高: 親戚には「日本一で十分だ」と慰められましたし、おばあちゃんからは、「もういい年なんだから、早く結婚しないと」と言われましたね。「もうちょっと待って」と返事しているのですが(苦笑)。

 父の遺骨を胸に

二宮: 先の世界柔道では6月に右ヒザをケガするアクシデントもありました。
宇高: これまで大きな故障がなかったのに、6月にケガをして、ようやくボロが出てきたなと感じましたね(笑)。技をかけた足をヘンに返されて、前十字靭帯を痛めてしまったんです。ちょっとずつ治療してヒザを伸ばして何とか試合には出られました。世界柔道の後も、きちんとリハビリをして、今はしっかり練習ができています。

二宮: この3月には、柔道を始めるきっかけとなったお父さんがお亡くなりになるという悲しい出来事もありました。
宇高: もともと心臓が悪くて、入退院を繰り返している状態でした。亡くなった時は自宅にいたみたいなんですけど、急に体調が悪くなって……。

二宮: まだ52歳だったとか。大変なショックだったでしょう?
宇高: 一番ショックを受けたのは一緒に住んでいた母と、おばあちゃんでしたね。母は「まだ、いつもお父さんがいる気がする」と言っています。だからこそ、私がしっかりしなくちゃ、という思いは強いです。

二宮: 世界柔道で畳に上がる際には、天国のお父さんに「力を貸して」とお願いしたそうですね。
宇高: はい。それから父の遺骨を分骨してもらって、ペンダントに入れて持っていきました。母と弟も同じものを持っているんです。

二宮: お父さんとともに戦って勝ち取った金メダルだったわけですね。
宇高: ロシアではなくしてはいけないので、試合の時は付き人をしてくれた先輩に保管してもらったんです。そしたら帰りにバタバタしていて、そのまま先輩に預けっぱなしで帰国してしまいました。帰ってきて、「あれ、お父さん、渡してきちゃった」と気づいたんです。先輩も気づいて、慌てて翌日、戻しに来てくれましたけど、それが世界柔道では一番、焦った出来事だったかもしれません(苦笑)。

(最終回につづく)
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宇高菜絵(うだか・なえ)プロフィール>
 1985年3月6日、愛媛県生まれ。コマツ所属。小学1年から柔道を始める。宇和島東高を経て愛媛女子短期大(現IPU環太平洋大短大)へ。2年時に福岡国際で女子57キロ級初優勝。帝京大に編入する。06年、09年と講道館杯を制覇。10年に全日本選抜体重別で優勝して同年の世界柔道に出場。13年のグランドスラム東京を制すると、14年は4月の体重別で2年ぶり3度目の優勝。3大会ぶりの出場となった8月の世界柔道で初の世界女王となった。身長161センチ、得意は大外刈。

(構成・写真/石田洋之)




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