「好き勝手」――バスケットボール国際審判員である須黒祥子の座右の銘だ。これは須黒が最も影響を受け、恩師として尊敬している、元国際審判員の柚木知郎からの訓えだという。
「私がまだ審判員として駆け出しの頃、柚木さんに言われたんです。『コートの上では好き勝手にやればいいんだよ。こうしたら誰かに何か言われるとか、文句を言われるとか思いながら笛を吹いたら、オマエがコートに立っている意味がないだろう』って」
 須黒が柚木の言葉を座右の銘としている背景には、過去の「反省」がある。
 不甲斐なさに流した悔し涙

 2002年、まだ須黒が国際審判員になる前、AA級の審判員として2年目の時だった。その年、茨城県で行なわれた全国高校総合体育大会(インターハイ)で、須黒は準決勝に割り当てられた。会場は超満員で、インターハイの独特な緊張感に包まれていた。そんな中、須黒は「ちゃんとやらないといけない」という気負いを感じていた。ところが、須黒とペアを組んだ主審はレフリーとして長年のキャリアをもつベテランで、試合前もテキパキと仕事をこなし、須黒の出番はほとんどなかった。
「私はいなくてもいいのかもしれない……」
 そう感じた須黒は、どんどん弱気になっていった。それは試合中のジャッジにも表れ、結局、自分のリズムを取り戻せないまま、試合終了の笛が鳴った。

 ひとり、ロッカールームに戻った須黒は、あまりの自分の不甲斐なさに、怒りが込み上げてきたという。そして、その怒りは涙となってあふれてきた。
「精神的に弱かったんでしょうね。会場の雰囲気もすごかったですし、そんな中、全部やってもらって、“あぁ、私はいてもいなくても一緒なんだ”と勝手に卑屈になってしまったんです。その試合では、自分の仕事はひとつもできませんでした。もう二度とこんな気持ちにはなりたくないと思いました。レフリーとして泣いたのは、その1度限りですね」

 どうすれば、どんな状況でもレフリーとしての仕事をまっとうできるのか――。その答えが、先の柚木の言葉にはあった。
「柚木さんから教わったのは、“コートの中では大胆に、そしてコートの外では謙虚に”ということです」

 須黒が自らの言葉を座右の銘にしていることを知った柚木は驚きながらも、こう語ってくれた。
「私自身、コート上では自分を信じて、審判員としての仕事をまっとうするということを一番大事にしているんです。というのも、選手もコーチもそれぞれの立場で言ってきますから、審判員が自分の考えできちんと判断することができなければ、試合は進まないんです。ただ、試合後はきちんと話を聞きます。これも審判員としては重要なことなんです。彼女は、そのことも理解しているようで、嬉しいですね」

 緊張してなかなか笛が吹けなかった駆け出しの頃から須黒を知っている柚木にとって、印象に残っている試合がある。09年、全日本総合バスケットボール選手権大会(オールジャパン)の男子準々決勝だ。その試合中、須黒のジャッジに対して、ある選手が強く抗議をしてきた。すると、須黒はすかさずテクニカルファウルを取ったのだ。その姿を見て、柚木は彼女の成長ぶりが見てとれたという。
「女性審判員が、オールジャパンの男子の試合で笛を吹くのは初めてだったんです。にもかかわらず、彼女はまったくひるむことなく、堂々としていました。いやぁ、頑張っているなぁと思いましたよ」
 柚木には同じ審判員として須黒が頼もしく見えていた。

 見えない努力の積み重ね

「どうして、コートの中ではあんなに大きく見えるんだろうね」
 今の須黒にとって、これが一番の褒め言葉だという。大柄な選手の多いバスケット界において、彼女は日本女子の中でも小柄である。これが男子、あるいは世界となれば、より一層、須黒の小ささは際立つ。そこで須黒は、少しでも自分を大きく見せようと、日々のトレーニングはもちろん、ユニフォームの着方など、さまざまな工夫をしている。

 そこまで徹底する理由を、須黒はこう語る。
「国際大会で笛を吹くようになってから、少しでも体を大きく見せたいなと思い始めたんです。というのも、女子であっても海外の選手はとても大きい。日本に帰国すると、その体格の差がありありと感じられるんです。ということは、選手よりも小柄な自分は子どもみたいに思われているんだろうなと。やっぱり試合を観ていると、がっちりとした審判員が笛を吹いている方が頼もしいし、安心感がある。選手にとっても説得力が違うと思うんです。それで、自分も少しでも大きく見せたいなと思ったのがきっかけです」

 須黒が工夫しているのは、服装だけではない。コート上での立ち方や手の使い方、動作スピードや表情においても、どうすればコーチや選手から信頼感を得られるか、日頃から考えている。他の審判員を見て研究し、いい部分を取り入れることも少なくない。こうした見えない努力をして、須黒はコートに立っているのだ。

 笛の吹き方にも、こだわりをもっている。ファウルだからといって、すべて鋭い笛を吹けばいいというわけではないという。そこには、審判員の役割とは何なのか、その答えが潜在している。
「ファウルでも、悪気はないのだけれど、勢い余ってということはあると思うんです。選手自身も『あ、やっちゃったな』と感じている。そういう時に強く吹いたら、選手はあまりいい気持ちはしないですよね。かえって気持ちを逆なでするだけです。でも、失点を防ぐために故意にファウルをした場合は、やっぱり強めに吹かなければいけません」

 選手のあら探しのように、ファウルを見逃さずに笛を吹くことが、審判員の役割ではないと、須黒は考えている。
「日本では審判というと、選手やコーチにとっては敵対心が芽生えるような存在になっている傾向がありますが、それは違うと思うんです。一番いいのはお互いが信頼し合い、リスペクトし合える関係です。だからこそ、私は選手やコーチとも話をするようにしています。いかにスムーズに試合を進行させられるか、いかに選手に気持ちよくプレーをさせて実力を出させることができるかが、審判員の最も重要な仕事だと思っています」

 選手、コーチとが信頼した関係を築き、日本のバスケットボールのレベルを引き上げること。これこそが、2度もオリンピックで笛を吹いた自分の使命だと、須黒は考えている。
「これまで審判員として満足したゲームは一度もありません。いつも何かしら反省点が出てくる。でも、ゴールが見えないからこそ、やりがいがあるんです」
 審判員の努力もまた、名勝負、名シーン、名プレーヤーの誕生に欠かすことはできないのである。

(おわり)

須黒祥子(すぐろ・しょうこ)
1971年7月28日、東京都生まれ。中学からバスケットボールを始める。日本体育大学在学中に母校のバスケットボール部コーチとなり、恩師のすすめで練習試合で審判員も務めるようになる。大学卒業後、高校教諭となり、バスケットボールを指導する傍ら、審判員としてのキャリアを積む。95年に日本バスケットボール協会公認審判員、2000年には女性初のA級審判員、翌年には国内最高のAA級審判員に昇格。03年には国際バスケットボール連盟審判員の日本人女性第1号となる。04年アテネ五輪、12年ロンドン五輪で副審を務めた。現在、都立駒場高校に勤務する傍ら、日本バスケットボール協会国際審判員としても活躍している。

(斎藤寿子)
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