日本シリーズの終了と同時に、プロ野球界ではストーブリーグが熱を帯びてきていますね。なかでもフリーエージェント(FA)権を宣言した選手の動向は、ファンにとっても気になるところでしょう。そして近年では海外FA権、あるいはポスティングシステムでメジャーリーグに移籍する選手が毎年のように出ています。今年、海外FA宣言をしたのは4人。その中でメジャー行きが濃厚とされているのが鳥谷敬(阪神)です。
 鳥谷がメジャー移籍を希望していることは、数年前から報道されていましたので、今回FA宣言をしたことについては、特に驚きはしませんでした。33歳という年齢を考えても、本人もラストチャンスという思いが強かったのではないでしょうか。

 鳥谷というと、攻守にわたっての安定したプレーに加えて体が強いことが挙げられます。プロ2年目の2005年から10年連続で全試合に出場しており、11、13、14年と3度ゴールデングラブ賞に輝いています。また、11〜13年には3年連続でリーグ最多四球数をマーク。今年は自己最高の打率3割1分3厘で、9年ぶりとなる日本シリーズ進出に大きく貢献しました。

 鳥谷のプレーで、私が一番印象に残っているのは、昨年のワールド・ベースボール・クラシックで、本職のショートではなく、セカンドを守った試合です。まるでセカンドが本職であるかのように、とても生き生きとプレーしていたのです。セカンドをそつなくこなしている姿を見て、彼の内野手としての質の高さを感じました。その時、「これだけ素晴らしい選手なのだから、メジャーで挑戦したいという気持ちが出てくるのも当然だろうな」と思いました。

 というのも、鳥谷はチームでは不動のショートストッパーで、正直言って、鳥谷を脅かすようなライバルは出てきていません。同じショートが本職だった西岡剛が移籍してきましたが、早々と西岡のセカンドとしての起用を決定し、球団は鳥谷の競争相手にはしませんでした。これではなかなか鳥谷のモチベーションが上がらなかったというのもあったのではないかと思うのです。

 もちろん、選手にはチームの優勝という目標が大きなモチベーションになっていることも確かですが、やはり個人のスキルを上げたいと思うのも事実。やはりチーム内で競争相手がいるのといないのとでは、モチベーションはまったく違ってきます。鳥谷がメジャー移籍を考え始めたのも、自分自身をもうひとつ上のステージに上げるための挑戦という意味合いが一番大きいのだと思います。

 甲子園を本拠地にしてきた強み

 現在、報道で知る限りでは、複数のメジャー球団が鳥谷に興味を示しているようですね。実際、日本球界でもメジャーでも、守備力の高い内野手が不足している状態ですから、鳥谷のようなセカンド、ショートとセンターラインをしっかりと守れる選手を欲しがる球団は少なくないはずです。

 では実際、鳥谷はメジャーで通用するのかということですが、過去の日本人内野手を見てみると、メジャーでの活躍はやはり厳しいのではないかという向きもあります。しかし、私は鳥谷は十分に通用すると考えています。素質もさることながら、これまでに海を渡った内野手とは違う点があるからです。それは人工芝ではなく、内野の部分が土である甲子園を本拠地にしてきたということです。

 周知の通り、メジャーでは天然芝の球場が大半を占めています。この天然芝と、日本の球場に多い人工芝とでは、打球のスピードが違います。人工芝では打球が滑るので、内野手は待って捕っても十分に間に合います。ところが、天然芝では自分で捕りにいかないといけません。つまり、打球への反応がまったく違うため、日本人内野手がメジャーに行くと、とまどいが生じてしまうのです。しかし、土のグラウンドは天然芝同様に自分から捕りにいかなければいけませんので、鳥谷にとって天然芝での打球の処理はそう難しいことではないはずです。

 鳥谷は球界を代表する内野手ですから、阪神も必死で慰留に努めるはずです。鳥谷にも自分をここまで育ててくれたという恩義があるでしょうし、まだチームを日本一にしていないという責任も感じていることでしょう。そう考えれば、残留の可能性はゼロではありません。しかし、ライバルとポジション争いをしながら切磋琢磨する、というような厳しい環境で、もう一度勝負したい、自分を試してみたい、という気持ちが強くあってのFA宣言だと思いますので、メジャー移籍が濃厚かもしれませんね。同じ野球人としては気持ちがわかる分、応援したいなと思っています。

佐野 慈紀(さの・しげき)
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商−近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日−エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)−ロサンジェルス・ドジャース−メキシコシティ(メキシカンリーグ)−エルマイラ・パイオニアーズ−オリックス・ブルーウェーブと、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。
◎バックナンバーはこちらから