床亜矢可(SEIBUプリンセスラビッツ)<前編>「雪辱を誓うスマイルジャパンの守備の要」
彼女の視線は、もう4年後に向けられている。「スマイルジャパン」こと女子アイスホッケー日本代表は、今年2月のソチ五輪では5戦全敗という結果に終わった。スウェーデン、ロシア、ドイツという強豪相手に善戦するも、勝利にはあと一歩届かなかった。全試合に出場したDF床亜矢可は「1試合でも多く勝って帰りたかったのに、応援してくれていた方たちに申し訳ないというか、すごく不甲斐ない結果だった」と悔しがった。「自分のできることは100%出せたと思います。それでも結果がダメだったのは力不足だったということ」と、世界のトップレベルとの距離を感じ取った彼女は、2018年平昌五輪でのリベンジに燃えている。
代表デビューから芽生えた自覚
今やスマイルジャパンの守備の要となっている床だが、実はフル代表の公式戦デビューは昨年2月、ソチ五輪世界最終予選だった。当時のことを本人はこう振り返る。
「周りの選手に比べて、国際経験がなかったので、大船に乗せてもらったような気持ちでプレーしていました」。スロバキア・ポプラトの地で、ノルウェー、スロバキア、デンマークの3カ国とソチへの切符を争った時は、まだ“迷惑をかけないように”“少しでも役に立てれば”というような気持ちで臨んでいた。
最終予選を勝ち抜き、98年長野五輪以来の出場を決めると、それまで“大船に乗せてもらっていた”という床にも日の丸を背負う自覚が徐々に芽生えていった。
「最終予選で試合をこなしていく度に“すごいところでプレーしているんだな”と実感しました。プレッシャーもありましたが、高いレベルでホッケーをできることが本当に楽しかった。“ずっとこういうレベルで戦いたい”。そう思ったんです。そのためには、先輩に頼りっぱなしのままじゃダメだなと。“みんなに認めてもらえる選手にならなければいけない”意識も変わっていきました」
2カ月後に行われたIIHF世界選手権ディビジョン1A(2部相当)で、スマイルジャパンは4勝1敗で優勝を果たした。全5試合に出場した床は、大会ベストDFに選出される活躍をみせ、スマイルジャパンのトップディビジョン昇格に貢献した。「ただそこにいることに満足するのではなく、いずれ日本代表を引っ張っていけるようなDFになる」との思いが早速かたちとなった。
スマイルジャパンのキャプテン、FW大澤ちほは「攻守に関してアグレッシブで、チームに刺激を与えてくれる」と床の能力を買っている。飯塚祐司監督(当時)も「よく動けて、アジリティの高い選手。お父さんもホッケーをやっていたからか、体もしっかりしている。そんなに筋肉があるわけじゃないのですが、骨が太い」と高く評価する。床は、短期間でチームから認められる存在にまで成長していた。
わずかに届かなかった初白星
そして迎えた2月のソチ五輪。日本のIIHFランキングは出場国中最下位(10位)だった。飯塚監督は、スピードと運動量を生かした“プレッシングホッケー”を武器にメダル獲得を目標に掲げていた。しかし、初戦のスウェーデン戦は0−1と黒星スタート。スマイルジャパンは02年ソルトレイクシティ五輪で銅メダル、06年トリノ五輪では銀メダルを獲得した強豪相手にクロスゲームと健闘したものの、大番狂わせは演じられなかった。
続くロシア戦は決勝トーナメント進出のためには、絶対に負けられない戦いとなった。地元の大声援を受ける開催国との一戦は、まさに完全アウェーの状況だったが、床が臆することはなかった。「国内の試合だと観に来てくれる観客は父兄や関係者が多く、100人もいないんです。そういうレベルでやっていたのが、ソチでは数千人の人たちが観客席に入っていた。その雰囲気に“緊張するよ”という話も聞いていましたが、自分は逆に楽しかった。“こんな舞台でできるなんてすごい”と、自分の置かれている状況に改めて驚き、興奮していたんです」
しかし試合はロシアに先制を許す苦しい展開。第1ピリオド終盤には、ゴールラインを割ったシュートがノーゴールと判定される不運もあった。第2ピリオドには、ロシアに21本の枠内シュートを浴びるなど、一方的に攻め込まれた。それでもスマイルジャパンは、床を中心とした守備陣が踏ん張り、追加点は許さず0−1のまま第3ピリオドを迎えた。
最終ピリオドの開始早々に歓喜の瞬間は訪れた。「チームとして、とにかく点数が欲しかった」という状況でスマイルジャパンの初得点を決めたのは、床だった。右サイド深い位置でパックを持ったFW平野由佳が後ろにパスを戻した。パックを受け取った床は、「とにかくゴールに届けよう」とミドルレンジからシュートを放った。「自分が一発で決めようと思っていたわけではなく、ゴール前の誰かが叩いて、角度を変えてくれればいいとラフな考えでした」とシュートともパスともいえる感覚で放ったパックが、ハーフライナーで枠へと飛んでいった。床の思いとは反して、味方が触れることはなかったが、GKはうまくキャッチすることができず、ゴールに吸い込まれていった。本人が「まさかという感じでした」と驚くゴールで、スマイルジャパンは同点に追いついた。
待望の大会初得点でスマイルジャパンは勢いに乗った。焦ったロシアはマイナーペナルティを繰り返した。スマイルジャパンは1人多いパワープレー(PP)の時間が続いたが、勝ち越し点は生まれなかった。すると、1人少ないロシアにカウンターからの反撃を浴び、再びリードを許してしまった。スマイルジャパンはGKとフィールドプレーヤーを交替し、捨て身の“6人攻撃”を敢行するも同点に追いつくことができなかった。予選リーグ戦連敗となり、初勝利、そしてメダル獲得の夢は破れた。
「応援してくれている人たちも“ロシアに1−2はすごいね”と言ってくれた人が多かった。ただ、勝てた試合でした。あと一歩のところで負けたのは、勝利への執着心で相手に分があったのかもしれません」
痛感した世界との“ホッケーIQ”の差
決勝トーナメント進出の可能性が絶たれたスマイルジャパンにとっては、まず初勝利を収めることが次なる目標となった。しかし、予選リーグ最終戦のドイツには0−4で敗れ、順位決定戦でもロシアとドイツに連敗した。5戦全敗でランキング通りの最下位。それがスマイルジャパンに突きつけられた厳しい現実だった。
5試合で2得点をあげた床だが、その2試合でのゴールは、いずれも勝利に結びつかなった。「2得点はすごく嬉しいのですが、両方とも、負けてしまったので素直に喜びきれない。特に初得点をとった瞬間は嬉しかった。でも試合後は、悔しい思いの方が強かったです。世界のトップの人たちを相手に、通用した部分もあったかもしれませんが、結果負けてしまったので、全てダメだった。イチからやり直さないといけないと思いました」と再出発を誓った。
床がソチのリンク上で感じた世界との差は、次の部分だった。「自分たちは他の国と比べて体力はアドバンテージがあった。じゃあ、何が海外の選手たちに劣っていたかというと、ホッケーIQ。日本はどの場面でも100%で、体力を消耗しているだけだとわかったんです。海外の選手たちは、行くとこは行く、行かないとこは行かない。ここぞっていう時に力を溜めている。そういうところが、ずる賢く巧かった」
ソチ五輪を終え、スマイルジャパンはコーチングスタッフを一新した。新監督には藤澤悌史コーチが昇格。チーム戦術もアグレッシブにパックを追う“プレッシングホッケー”から、個々の状況判断に任せる“IQホッケー”に転換した。そして床は今、藤澤監督が掲げる新戦術の理解とともに、自らの能力アップを図っている。
(後編につづく)
<床亜矢可(とこ・あやか)プロフィール>
1994年8月22日、東京都生まれ。6歳からアイスホッケーを本格的にはじめ、12歳でトップチームのDaishinに入団。15歳でU-18日本代表に選出され、U-18世界選手権には2度出場した。13年のソチ五輪最終予選でフル代表デビューを果たすと、大学進学とともにSEIBUプリンセスラビッツへ移籍。その年の世界選手権ディビジョン1A組(2部相当)で大会最優秀DFに選ばれるなど、日本の優勝とトップディビジョン昇格に貢献した。今年2月のソチ五輪では全5試合に出場し、2得点をあげた。スマイルジャパンの守備の要として、18年の平昌五輪を目指している。代表通算成績は27試合3得点。身長161センチ。スティックハンドはライト。
(文・写真/杉浦泰介)
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