天皇杯決勝のない元日である。あらためて、この試合が果たしてきた風物詩的存在としての役割の大きさを痛感なさっている方も多いのではないか。ともあれ、新年明けましておめでとうございます。
 さて、ひとまず日本サッカー協会はアギーレ体制でアジアカップに臨むことを決めた。まだ八百長に関わっていたかが明らかになっていない以上、当然と言えば当然の判断ではある。

 ただ、スポニチをはじめとする各メディアの論調を見ていると、すでにアギーレの続投に見切りをつけているように思えるところが多い。比較的に好意的に迎えられていた就任時の空気を考えると、ちょっとびっくりするほどの豹変ぶりである。

 わたしの見る限り、就任以降のアギーレ監督は、合格点とまではいかないものの、落第点ではまったくない。にもかかわらず、先日の釈明会見についても、多くのメディアは「逆ギレ」や「説明不足」と断じていた。

 もしアギーレ監督が潔白だとしたら、とんでもない濡れ衣に「逆ギレ」し、やってもいないことが「説明不足」になってしまうのは仕方がない……というより、当たり前の対応である。彼ですら知らない、よほど有力なスペイン当局内部の情報を握っているというのであれば、また話は別なのだが。

 ちょっと心配なのは、もし今後、日本代表の監督になった人物が、彼に敵対する勢力や日本サッカーを混乱させようと考える勢力から「あいつは八百長をやっていた」なるデマを流されたら、どうなってしまうのかということ。

 一度疑いの目を向けられたら最後、「逆ギレ」や「説明不足」と見なされてしまう状況では、潔白を証明するのはほぼ不可能である。

 幸い、まだ日本では一度も起きてはいないが、欧州主要リーグではほとんどの国が、いわゆる“黒い霧”事件を経験している。

「噂」の段階での過敏な反応は、日本に免疫でないことの表れでもあるのだが、スポンサーの顔色をうかがうばかりに「疑わしきを罰する」ようなことがあれば、協会は自ら今後の監督人事に爆弾を抱え込むことにもなろう。

 クロならばアウト。グレーならば続投――それが正しい判断だとわたしは思う。

 ただ、アギーレ監督の続投か否かがアジア杯の成績と内容にかかるというのであれば、それは歓迎したい。過去、この大会は重要視されつつも、勝利をノルマとされることはなかった。結果、勝利をノルマとされるW杯本番で力を出し切れない監督もいたからである。

 八百長とは関係なく、アジア杯での出来で今後を判断する――そうあってほしいと願う15年の新春である。

<この原稿は15年1月1日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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