バッターボックスに立つ前、トヨタ自動車レッドテリアーズの長崎望未は自軍のベンチを見つめていた。自らの呼吸を聞きながら、集中力を研ぎ澄ましていたのだ。
 昨年11月、日本リーグ決勝トーナメント。前年度覇者のルネサスエレクトロニクス高崎との決勝、相手の先発マウンドには上野由岐子が立っていた。北京五輪や世界選手権など数々の国際大会で日本に金メダルをもたらしてきた日本の大黒柱である。
 1回裏、1死三塁の場面、先制のチャンスで3番・長崎の打順は巡ってきた。いつも通りのルーティンをこなす。土埃のついたバットに息を吹きかけ、「頼むよ」と“相棒”に気持ちをこめた。

 

 長崎が待っていたのはチェンジアップだった。バッターのタイミングをずらすにはうってつけの変化球だが、読んでいれば絶好球となる。その1球に長崎は狙いを絞っていた。
「上野さんは誰よりもいいピッチャーで、甘い球が少ない。3打席のうちに必ず1球はチェンジアップがくるので、ほかの球種は捨ててでも、1球に賭けてみようと」

 そして狙い球は初球にやってきた。インコース低めのチェンジアップに「身体で反応した」という打球はライトポール際へ一直線で向かっていった。
「ファウルにだけはならないで!」
 祈るような気持ちで駆け出した長崎は、一塁を回る時にはホームランを確信し、走る速度を緩めた。

 三塁ベースを回る直前、長崎は右拳を天に突き上げた。試合中にあまり感情を露わにしない彼女だが、それだけこの試合に懸ける想いは強かった。
「1年間の集大成の試合。優勝するために練習をして、辛いこともチームで乗り越えてきた。私はチームのために1本を打ちたかったんです。そういう思いで打った一振りだった。チームがひとつになった気持ちがガッツポーズに表れたんじゃないかと思います」
 ホームベースの周囲にはチームメイトたちが輪を作って、殊勲のヒロインを待ちわびていた。そして、本塁を力強く踏みしめた長崎を手厚く歓迎した。

 スコアボードには「2」の数字が表示された。トヨタ自動車は待望の先制点を奪うことに成功したのだ。その後、両チームが1点ずつ奪い合い、一歩も譲らぬ展開のまま最終回を迎えた。トヨタ自動車は先発ピッチャーのモニカ・アボットが好投。ルネサス高崎打線を1点に抑え、最後までリードを守り切った。トヨタ自動車の2年ぶりの王座奪還が決まり、先制弾を放った長崎には、決勝トーナメントのMVPが授与された。

 安打製造機・イチローとの共通点

 トヨタ自動車の福田五志監督は「練習通りとはいえ、なかなかああいう場面では打てない。ましてや相手は上野。そういうところで力を出せるのはすごい。“持っている”んでしょうね」と試合を振り返って、長崎のスター性を評価する。さらには「自分のタイミングを持っている。例えて言うならイチローのように自分のリズムで打っている。ボールを捉える力は天性。ほとんど打ち損じはないですね」と彼女の能力の高さを絶賛した。

 長崎の力感のないバッティングフォームは、日米で4000本以上ものヒットを重ね続けているイチローに通ずるものがある。ルーティンにこだわるところも共通点だ。
「バッターは打たされると終わり。自分の流れに持っていくことが大事。いい流れで構えれば、リズムよくバットを振れるんです。ルーティンは自然な流れでやる動き。何も考えずバットを回したり、力を抜くために揺らしたり、ヘルメットのつばを下げる。変わらないものを保つことで、波が激しくならないんです」

 13.11メートルの距離間で打者と投手が対峙するソフトボール。自分の“間”を持ち、そこに相手を引き込むことが勝負のカギを握る。
「(打席に入る時に)思っているのは相手が誰でもピッチャーはピッチャー。変な意識は持たず、相手と戦っている。何も変わらず均等に、いつも通り打席に入っています」

 小さい頃から長崎はバッティングが好きで、誰よりもバットを振ってきた自負がある。打つことに関しては、「妥協できない部分」とこだわりを持つ。トヨタ自動車では高卒1年目から本塁打王と打点王を獲得するなど活躍し、今や「天才打者」と称される長崎だが、決して華々しい道ばかりを歩んできたわけではない。挫折や逆境も経験してきた。彼女は表情にこそ見せないが、胸の中に熱きものを秘めている――。

(第2回につづく)

長崎望未(ながさき・のぞみ)プロフィール>
1992年6月19日、愛媛県生まれ。小学3年でソフトボールを始め、京都西山高時代には1年からレギュラーを掴み、全国高校総合体育大会、国民体育大会で優勝する。11年にトヨタ自動車に入社。高卒1年目で日本リーグの本塁打王と打点王の2冠を獲得し、リーグ連覇の立役者となった。ベストナインと新人賞に輝く。同年の世界ジュニア選手権に出場し、主軸として準優勝に貢献した。13年には日本リーグタイ記録となる28打点を挙げ、打点王に輝く。2年ぶりにベストナインにも選出された。14年は初のフル代表入りを果たし、世界選手権とアジア競技大会での優勝を経験。日本リーグでは決勝トーナメントでMVPに輝く活躍で、優勝に導いた。身長160センチ。左投左打。背番号「8」。

(文・写真/杉浦泰介)


◎バックナンバーはこちらから