「階級を53キロから56キロに上げてみたらいいんじゃないか?」
 2012年10月の国民体育大会終了後、権田達也は中央大学重量挙部の同級生からこうアドバイスされた。権田は大学に入って記録が伸びなくなり、スランプからの脱出を模索していた。彼は同級生の助言を受け入れて階級アップを決意。すぐに食事量と筋力トレーニング量を増やし、56キロ級で戦う体づくりに着手した。すると、この決断が吉と出た。それまで何をやっても伸びなかった記録が急激に向上したのだ。「スナッチでいえば約10キロも記録が伸びました。記録がまた向上してきたので、やっぱり重量挙げって楽しいなと思いましたね」と権田。彼は階級アップをきっかけに新たなパワーを手にし、失いかけていたウエイトリフティングへの情熱も取り戻したのだ。
 スランプ脱出につながった土台の“増築”

 しかしなぜ、階級を上げたことで権田の記録は再び伸び始めたのか。
「今思えば、53キロ級での限界がきていたのかなと」
 権田はこう分析した。権田が試合前に行う減量は「1食抜くくらい」で、過酷さを伴うほどではないものの、体重管理を怠ることはできない。56キロ級に階級を上げれば、単純に3キロ分、体重と筋肉量を増加させられる。力を発揮するための土台を“増築”したことが、スランプ脱出につながったのだろう。

 権田は階級アップ後、表彰台に上がる機会が増え始めた。国体直後に臨んだ全日本学生新人選手権大会(同年10月)ではトータル202キロ(スナッチ=90キロ、ジャーク=112キロ)の記録で準優勝。翌13年4月の全日本学生選抜大会ではトータル225キロ(スナッチ=95キロ、ジャーク=130キロ)をマークして3位に入った。もはや大学ナンバーワンの座は、射程圏内となっていた。迎えた14年5月の全日本学生個人選手権大会は本調子ではなかったものの、トータル217キロ(スナッチ=95キロ、ジャーク=122キロ)で優勝。大学進学後、初めて勝つ喜びを味わった。

 夏に帰省した時は、新居浜工の恩師・石川洋平と真鍋和人(84年ロス五輪男子64キロ級銅メダリスト)に指導を仰いでフォームを修正した。また、帰省中に改めて周囲からの期待を肌で感じ、“愛媛のために結果を出す”という大きなモチベーションも得た。こうして心体を整えて臨んだ10月の長崎国体ではトータル232キロ(スナッチ=102キロ、ジャーク=130キロ)で成年男子56キロ級を制した。

 国体後も権田の快進撃は止まらなかった。11月の全日本大学対抗選手権大会1部(インカレ)でも、男子56キロ級を制し、年間三冠を達成したのだ。インカレではスナッチ、ジャークともに公式戦自己ベストを更新するトータル239キロ(スナッチ=105キロ、ジャーク=134キロ)をマークしてみせた。ジャークの3回目で134キロを挙げて優勝が決まった瞬間は「意外と淡泊な感覚でした」だったが、プラットフォームから降りるとチームメイトと抱き合って喜ぶ権田の姿があった。

 絶対的強者からの勝利

 インカレでは彼が「同世代で絶対的な強者」と評するライバルにも勝利した。その相手は1学年の上の玉寄公博(日本大4年、男子53キロ級スナッチ日本記録保持者)である。2010年のインターハイでは、権田(当時2年)がトータル173キロで9位だったのに対し、優勝した玉寄の記録はトータル223キロ。2人の間には大きな差があった。それから4年が経ち、権田は玉寄を上回る結果を残した。

「インカレで優勝できたのは努力の賜物だと自負しています。玉寄さんを抑えることができ、自分でも成長したと感じますね」
 こう語る権田の表情は、笑顔で溢れていた。だが、結果に満足はしていない。大学ラストシーズンとなる15年では彼が成し遂げたい目標がある。全日本選手権大会での優勝だ。権田は全日本への出場資格がありながら、中央大学重量挙部の三木功司監督の意向で3年間、出場を見送ってきた。

「出場して他の選手とギリギリの試合をしているようでは世界での活躍にはつながりません。圧倒的な勝利を収められる準備をして、全日本に出てもらいたいんです」
 三木は権田を全日本に出場させない意図をこう明かした。しかし、インカレの優勝で、三木も「ひとつ上のステージに行けたのではないでしょうか」と権田の成長を感じている。指揮官の頭の中では権田の全日本初出場初優勝というシナリオが出来上がりつつあるようだ。

「近い将来の目標は来年の全日本優勝と世界選手権出場です。16年リオデジャネイロ五輪も目指せるチャンスがあれば、狙っていきたいですね。また56キロ級の選手は寿命が短いと言われているのですが、17年愛媛国体が終わった後、20年東京五輪出場も視野に入れていきたいと考えています」
 権田は力強く今後の目標を明言した。全日本で優勝すれば、その年の世界選手権日本代表入りも見えてくる。愛媛のために、そしていつかは日本のために――。権田は多くの人の期待とともに、バーベルを挙げ続ける。

(最終回へつづく)

<権田達也(ごんだ・たつや)>
1994年1月23日、愛媛県新居浜市出身。中学校までバレーボールを続けていたが、新居浜工でウエイトリフティングを始める。高校1年の時に男子53キロ級で全国高校選抜に出場。高校3年の2011年には同級でインターハイ(スナッチ、ジャーク、トータル)、山口国体(少年=ジャーク、トータル)を制覇した。中央大進学後は14年に同56キロ級で全日本大学個人選手権(ジャーク、トータル)、長崎国体(成年=ジャーク、トータル)で優勝。同年11月の全日本インカレではスナッチ、ジャーク、トータルすべて公式自己ベストを叩きだして56キロ級を制した。公式自己ベストはスナッチ=105キロ、ジャーク=134キロ、トータル=239キロ。身長156センチ、体重57キロ。

(文・写真/鈴木友多)




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