この年末年始の日本球界最大の話題といえば、やはり、黒田博樹の広島カープ復帰ということになるのだろう。なにしろ、まだ年末なのに、知人から「おめでとうございます」という連絡が来る。何のことかと思えば、黒田復帰である。年が明けると、「今年1年に限り、カープファンをやらせていただきます」という挨拶も数人にいただいた。それくらい、カープファン以外の多くの野球ファンにも衝撃を与えたニュースなのだろう。
 報道によれば、パドレスなら単年21億円とも噂された高額年俸を振り切って、出来高含めて約4億円のカープ復帰を決断したというのだから、まぁ、尋常一様ではない(私だったら、1秒も考えずに21億円を選ぶだろう)。男気だの、日本男児だのという、威勢のいい見出しが飛び交うのも、感動したといって1年だけカープファンに転向する人がいらっしゃるのも、無理からぬことだ。

 一応、所属事務所を通じて発表されたコメントを引用しておく。
<野球人として、たくさんの時間を熟考に費やしました。悩み抜いた末、野球人生の最後の決断として、プロ野球人生をスタートさせたカープで、もう一度プレーさせていただくことを決めました。今後も、また日々新たなチャレンジをしていきたいと思います。>

 文句のつけようのない立派なコメントだが、正直言えば、少し残念である。どうして、テレビカメラの前で記者会見してくれなかったのだろう。そうすれば、ファックスで配布された件のコメントとは比べものにならない名言が数多く聞けたはずなのに。

 思い出しているのは、FA権を得てカープから他球団への移籍が取沙汰された時の会見である。2006年の秋ですね。時の経つのは早いものだ。結局、FA権を行使せずカープ残留を決断するのだが、その時の会見は名言のオンパレードだった。この人は周囲のブレーン的な人の意見を聞いたのではなく、本当に自分で深く考えたんだ、というのが伝わってくる言葉だった。

 とりわけ有名になったのが、「カープを相手に全力で投げる自分が想像できなかった」という言葉である。ただ、この会見や、同じ時期の彼のインタビュー記事には、他にも感心させられるものが多かった。記憶だけで書くので、不正確であることをお断りしておくが、例えば、日本でプロ野球が本拠地をおく都市は限られている。それは恵まれたことだ、という主旨の発言があった。大阪近鉄がオリックスとの合併を発表し、プロ野球再編問題が噴出したのが2004年である。当然、その記憶は生々しい。日本の野球のあり方について、考えたからこその言葉だったのではあるまいか。

 あるいは、井川(慶)が抜けたから、次は僕が阪神に行ってエース、というのはどうなのか、というのもあったと思う。もちろん、FAは選手の貴重な権利である。ただ、これらの言葉には、個人の権利と、プロ野球が成立している環境への洞察と、両方が含まれていると思いませんか。だから、今回の復帰も、本当に自分で考え抜いての結論に違いない。

 黒田、日本球界復帰のワケ

 ただし、今オフに唐突に決めたことではないはずだ。もはや資料が散逸してしまって正確に引用できないのが残念だが、ドジャースに移って2年目か3年目のインタビュー(たしか「Hiroshima Athlete」だったと思う)で、既に「まだ自分が現役バリバリのうちに復帰して、アメリカで学んだことを伝えたい」と明言していた。今回の決断は、いわば初志貫徹と言っていいのだ。

 この発言には少し解説が必要である。黒田は、カープ時代、ストレート、フォーク(スプリット)、スライダー、シュートを武器にしていた。スライダーでカウントを稼ぎ、鋭いスプリット、右打者のインコースをえぐる150キロのシュートが大きな武器になっていた。

 しかし、メジャーでは、別の発想の投球が主流をなしている。いわゆるバックドア、フロントドア、と言われるもので、ツーシーム、カットボールが打者のボールゾーンから手元でグイッとストライクゾーンに入ってくる。これで芯を外し、凡打の山を築く。このアメリカ流の投球思想を、渡米後、きわめて積極的に取り入れていった。

 カープ時代は、“ミスター完投”とまで言われたが、100球で降板し、中4日のローテーションを1年間守るというメジャー流を受け入れた。郷に入りては郷に従え、とは言うが、日本一のエースとまで言われた投手である。すべてを受け入れるというのは、そう簡単ではないはずだ。まるごと受け入れる覚悟、とでもいうべきものが、メジャーでの投球にはあった。ここに彼がメジャーで成功した最大の理由がある(その覚悟の内実を肌で知ることができるのが、彼の名著『クオリティピッチング』KKベストセラーズ)。そして、渡米した最初期から、いずれ現役のうちに、その異文化を日本野球に伝えようとしていたのである。

 と書いてくると、なんだか偉人伝みたいになってきた。ただ、これは偉人というより、生き方の問題であろうと思う。

 プロ野球界への一石

 ここから少し、野球を離れよう。年末年始、いわゆる“おせち番組”を数多く見た。厳密には“おせち”の範疇に入らないかもしれないが、1月4日の「NHK杯将棋トーナメント」はきわめて面白かった。対局者は谷川浩司九段と金井恒太五段である。お断りしておくが、私は将棋はまったくの門外漢である。内容にはコメントできない。ただ、昔から谷川ファンである。いくら羽生善治さんが勝ち続けてタイトルを総なめしても、それよりも谷川さんの動向が気になる。素人の感想で恐縮ですが、見ていて、ストレートに相手を刺し貫こうとする意志を感じる将棋、とでも言いますか。

 この日も谷川九段は、あくまでも真っ直ぐに攻めた(ように見えた)。で、結論を言えば、寄せきれず、金井五段の勝ちとなったのだが、際立ったのは、その投了のタイミングである。あまりにも早い決断だったのである。解説の森下卓九段の言葉を引用する。

「この局面で投げる棋士は谷川先生だけですね。やっぱり、品が違いますね。私ならここから50手は差します、というかそれが普通だと思うんですけどね。(中略)ここで投げたというのは、さすが谷川先生というしかないです。その品の高さが、さすが谷川浩司しかできない投了ですから。(中略)やっぱりプライドの高さですよね」

 おそらくは20年以上にわたって、およそ将棋の「しょ」の字も知らない自分が、なぜ谷川ファンであり続けたか、森下九段に明確な言葉にして教えていただいた。

 もちろん、私には谷川九段ほどの才能もプライドも品も、何もない。当然だ。ただ、何もなくても、そこに示された生き方に憧れることはできる。それが、スターとファンの幸福な関係というものだろう。

 当然ながら、このエピソードは、今回の黒田を念頭に置きながら紹介した。広島復帰という決断は、すなわち、黒田博樹という生き方に他ならない。黒田はおそらく、多くのものを日本野球にもたらすだろう。まずは、カープのキャンプが人気になるとか、“カープ女子”がさらに増えるとか、そういう即物的な効果も含めて……。そして、多くのプロ野球選手にとっても、その考え方に大きな一石を投じたに違いない。メジャーに行くにしろ、日本に戻るにしろ、それはその選手の生き方の表白なのである。(もちろん、最後までメジャーにこだわる生き方もあるし、日本球界を貫くという生き方もある)。

 彼が再び日本のボールを握って、日本のマウンドに立って、どのような投球をするのか、それはまだ誰にもわからない。8年の時を経て、ふたたび異文化に身を置くようなものである。そう簡単なことではあるまい。ただ、見る側も、そのボールには彼の生き方が宿っていることは、意識しておいた方がいい。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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