加藤裕之(コナミスポーツクラブ体操競技部監督)<前編>「内村航平、強くあり続けられる理由」
いったい、この男はどこまで強くなるのだろうか――。昨年の世界選手権で個人総合5連覇を達成し、2008年の全日本選手権以降、12年ロンドン五輪も含め、個人総合では負け知らずの31連勝。世界体操界の歴史にその名を刻み続けているのが、内村航平である。彼が所属するコナミスポーツクラブ体操競技部の監督であり、北京、ロンドンと2大会連続で五輪日本代表コーチを務めた加藤裕之はこう言う。
「航平こそ、歴代の世界最強の選手ですよ」
07年のユニバーシアードから日の丸を背負って演技する内村を見てきた加藤に、内村の強さの所以を訊いた。
強さの源は“心”にあり
「本番で普段通りに自分の演技ができること」
強い選手の共通項を訊くと、加藤はこう答えた。
「よく内村は緊張しない、と言われますが、やはり心の強さを持っている選手というのは普段通りの演技ができるので、ミスが少なく、結果を出しますよね。技術うんぬんとは別に、大舞台に強いメンタリティは、強い選手の必須条件だと思います」
もちろん、内村だけではない。加藤の長男、凌平もまたそのひとりだ。その強心臓ぶりを発揮したのが、ロンドン五輪だった。4年に一度の大舞台の雰囲気は、世界選手権などとは比較にならないほど、独特なものがある。
「とにかく観客の数と声援の大きさが違うんです。異常なほど盛り上がるので、競技中はわずか1メートルほどの距離でも声が聞きとれないほどです」
北京で初めて五輪の舞台に足を踏み入れた加藤もまた、その異様さに驚きを隠せなかったという。
ところが、ロンドン五輪でチーム最年少、若干18歳で初出場を果たした長男の凌平は、いつもと変わらず飄々としていたという。
「最年少でしたから、あまりプレッシャーがなかったんでしょうし、父親の私もいることで安心感もあったと思いますよ」
と加藤は語るが、それでもやはり、並みの心臓ではないことは確かである。
――もし、自身が現役時代に五輪に出場していたとしたら?
そんな質問をぶつけると、加藤は涼しい顔でこう答えた。
「おそらく、普段通りにやれたと思いますよ」
どうやら強心臓は、父親譲りのようである。
さて、話を内村に戻そう。彼のメンタルの強さは、緊張やプレッシャーに対してだけではない。内村には類まれな意志の強さがある。それこそが、非凡である所以なのだ。
「航平は手を抜くことを知らない。その日にやると決めたことは、どんなことがあってもやります。周りからの影響は絶対に受けないんです」
世界王者である内村には、取材やイベントなどの依頼は後を絶たない。もちろん会社としては、可能な限り支障がないようにしている。だが、それでも時にはどうしても予定していた練習の時間に入れなければならなくなることもある。そんな時、内村はどうするか。練習開始を前倒しにして、きっちりと予定していた時間を確保するのだ。「用事が入ったから、少し練習を軽めにしよう」などという考えは一切起こさない。
加藤は言う。
「だから私たち指導者は、彼に負担がかかりすぎないように気を付けなければならないんです。でも、そのくらい意志が強いからこそ、ここまでチャンピオンであり続けられるんだなというのは、彼に教えられましたね」
理想の演技へ、飽くなき追求心
そしてもうひとつ、加藤が挙げた内村の強さの源は、理想への飽くなき追求心である。試合後のインタビュー、必ずと言っていいほど、内村から出てくるのは反省の弁だ。例えば、5連覇を達成した昨年の世界選手権後のインタビューではこう述べている。
「結果としては良かったが、平行棒と鉄棒はいい演技ができなかった。まだまだかなという感じ」
逆に、満足感や達成感といった言葉はあまり聞かれない。そして表情もまた、どんな大舞台で勝っても、ニヤリと、少し笑みをこぼすだけで、勝利に酔った様子など、ほとんど見せたことがない。それはなぜか――。
加藤は、こう分析する。
「内村は勝ち負けにこだわっているというよりも、自分の理想を追い求めているんです。理想とする演技をどれだけ再現できたかが重要なんですよ。だからこそ、どんなにぶっちぎりで優勝しても、喜びを爆発させることはないんです」
連勝街道をひた走る選手には必ずと言っていいほど、勝ち続けることへの恐怖心が襲ってくるものだ。「いつ負けるのか」と考えてしまうからである。ところが、内村にはそんな恐怖心が見受けられない。その理由を、勝敗よりも自分の理想を追うことに集中しているからだ、と加藤は言う。だからこそ、演技中に「負けたらどうしよう」などという不安が襲うことはないのである。
では、そんな内村の究極の理想とは何なのか。加藤は「全6種目で勝って、個人総合チャンピオンになることでしょう」と推測する。それは未だ誰も為し得ていない、前人未到の“超人”の領域だ。
内村には現在、各種目でトップに立つ実力は十分に備わっている、と加藤は見ている。だが、問題は全6種目を完璧に演技し続けるだけの強靭なスタミナである。現在、内村は26歳。スタミナをいかに維持・向上し続けていくかが、今後の課題となることは間違いない。「それでも」と加藤は言う。
「航平には可能性があると思っています」
内村航平は、まだまだ強くなる――。
(後編につづく)
<加藤裕之(かとう・ひろゆき)>
1964年2月8日、静岡県生まれ。コナミスポーツクラブ体操競技部監督。筑波大学卒業後、大和銀行に入社し、体操部に所属する。89年の世界選手権では、世界で初めて平行棒での月面宙返りを披露。92年の全日本選手権では、日本人として初めてつり輪での伸身新月面宙返りを決める。同大会を最後に現役を引退。翌年からは指導者の道を歩み始め、現在に至る。
(文・写真/斎藤寿子)
「航平こそ、歴代の世界最強の選手ですよ」
07年のユニバーシアードから日の丸を背負って演技する内村を見てきた加藤に、内村の強さの所以を訊いた。
強さの源は“心”にあり
「本番で普段通りに自分の演技ができること」
強い選手の共通項を訊くと、加藤はこう答えた。
「よく内村は緊張しない、と言われますが、やはり心の強さを持っている選手というのは普段通りの演技ができるので、ミスが少なく、結果を出しますよね。技術うんぬんとは別に、大舞台に強いメンタリティは、強い選手の必須条件だと思います」
もちろん、内村だけではない。加藤の長男、凌平もまたそのひとりだ。その強心臓ぶりを発揮したのが、ロンドン五輪だった。4年に一度の大舞台の雰囲気は、世界選手権などとは比較にならないほど、独特なものがある。
「とにかく観客の数と声援の大きさが違うんです。異常なほど盛り上がるので、競技中はわずか1メートルほどの距離でも声が聞きとれないほどです」
北京で初めて五輪の舞台に足を踏み入れた加藤もまた、その異様さに驚きを隠せなかったという。
ところが、ロンドン五輪でチーム最年少、若干18歳で初出場を果たした長男の凌平は、いつもと変わらず飄々としていたという。
「最年少でしたから、あまりプレッシャーがなかったんでしょうし、父親の私もいることで安心感もあったと思いますよ」
と加藤は語るが、それでもやはり、並みの心臓ではないことは確かである。
――もし、自身が現役時代に五輪に出場していたとしたら?
そんな質問をぶつけると、加藤は涼しい顔でこう答えた。
「おそらく、普段通りにやれたと思いますよ」
どうやら強心臓は、父親譲りのようである。
さて、話を内村に戻そう。彼のメンタルの強さは、緊張やプレッシャーに対してだけではない。内村には類まれな意志の強さがある。それこそが、非凡である所以なのだ。
「航平は手を抜くことを知らない。その日にやると決めたことは、どんなことがあってもやります。周りからの影響は絶対に受けないんです」
世界王者である内村には、取材やイベントなどの依頼は後を絶たない。もちろん会社としては、可能な限り支障がないようにしている。だが、それでも時にはどうしても予定していた練習の時間に入れなければならなくなることもある。そんな時、内村はどうするか。練習開始を前倒しにして、きっちりと予定していた時間を確保するのだ。「用事が入ったから、少し練習を軽めにしよう」などという考えは一切起こさない。
加藤は言う。
「だから私たち指導者は、彼に負担がかかりすぎないように気を付けなければならないんです。でも、そのくらい意志が強いからこそ、ここまでチャンピオンであり続けられるんだなというのは、彼に教えられましたね」
理想の演技へ、飽くなき追求心
そしてもうひとつ、加藤が挙げた内村の強さの源は、理想への飽くなき追求心である。試合後のインタビュー、必ずと言っていいほど、内村から出てくるのは反省の弁だ。例えば、5連覇を達成した昨年の世界選手権後のインタビューではこう述べている。
「結果としては良かったが、平行棒と鉄棒はいい演技ができなかった。まだまだかなという感じ」
逆に、満足感や達成感といった言葉はあまり聞かれない。そして表情もまた、どんな大舞台で勝っても、ニヤリと、少し笑みをこぼすだけで、勝利に酔った様子など、ほとんど見せたことがない。それはなぜか――。
加藤は、こう分析する。
「内村は勝ち負けにこだわっているというよりも、自分の理想を追い求めているんです。理想とする演技をどれだけ再現できたかが重要なんですよ。だからこそ、どんなにぶっちぎりで優勝しても、喜びを爆発させることはないんです」
連勝街道をひた走る選手には必ずと言っていいほど、勝ち続けることへの恐怖心が襲ってくるものだ。「いつ負けるのか」と考えてしまうからである。ところが、内村にはそんな恐怖心が見受けられない。その理由を、勝敗よりも自分の理想を追うことに集中しているからだ、と加藤は言う。だからこそ、演技中に「負けたらどうしよう」などという不安が襲うことはないのである。
では、そんな内村の究極の理想とは何なのか。加藤は「全6種目で勝って、個人総合チャンピオンになることでしょう」と推測する。それは未だ誰も為し得ていない、前人未到の“超人”の領域だ。
内村には現在、各種目でトップに立つ実力は十分に備わっている、と加藤は見ている。だが、問題は全6種目を完璧に演技し続けるだけの強靭なスタミナである。現在、内村は26歳。スタミナをいかに維持・向上し続けていくかが、今後の課題となることは間違いない。「それでも」と加藤は言う。
「航平には可能性があると思っています」
内村航平は、まだまだ強くなる――。
(後編につづく)
<加藤裕之(かとう・ひろゆき)>
1964年2月8日、静岡県生まれ。コナミスポーツクラブ体操競技部監督。筑波大学卒業後、大和銀行に入社し、体操部に所属する。89年の世界選手権では、世界で初めて平行棒での月面宙返りを披露。92年の全日本選手権では、日本人として初めてつり輪での伸身新月面宙返りを決める。同大会を最後に現役を引退。翌年からは指導者の道を歩み始め、現在に至る。
(文・写真/斎藤寿子)