プロ野球における名投手コーチと言えば、真っ先に頭に浮かぶのが元中日コーチの権藤博である。
 中日、近鉄、ダイエー、横浜、中日とのべ5球団でコーチを務めた。
 1998年にはバッテリーチーフコーチから監督に昇格し、チームを38年ぶりのリーグ優勝、日本一に導いた。


 監督でありながら、「オレの仕事は投手コーチ」というのが権藤の口ぐせだった。
 牛島和彦、阿波野秀幸、佐々木主浩ら“教え子”たちは、今でも権藤を師と慕う。本音の付き合いを続けたことで固い絆が生まれたのだ。

 権藤はマウンド上で、細かいアドバイスは一切、行わなかった。
「困ったら、緩い真っすぐをど真ん中に放ればいい」
 平然と、そう言ってのけた。

「実際、緩いボールは打たれても遠くへは飛ばない。ピッチャーには、そういうボールを投げる勇気を持って欲しいね。オレは彼らの勇気の支えになってやりたいんだよ」
 言葉の端々に侠気(おとごぎ)がにじんでいた。

 また、こんな“権藤節”も。
「弱いヤツほど、よく練習したがるんだ。精一杯やってないと、何か言われるんじゃないかと不安なんだろうね。球界を見てください。サボる勇気を持ったヤツの方が大物になっているでしょう」

 近年、評判がいいのが昨季限りで東北楽天のユニホームを脱ぎ、今季から福岡ソフトバンクの投手陣を率いる佐藤義則である。楽天前監督の星野仙一は「日本一の投手コーチ」と呼んでいた。

「優勝請負人」の異名を持つ佐藤は阪神、北海道日本ハム、楽天の3球団でリーグ優勝(日本ハムと楽天は日本一)を果たしている。

 佐藤の教え子と言えば、ダルビッシュ有(レンジャーズ)、田中将大(ヤンキース)が双璧だろう。
「僕が教えたんじゃない。元々、彼らにそれだけの力があったんですよ」
 そう佐藤は謙遜するが、ダルビッシュが田中に「ヨシさんの言うことだけは聞いておいた方がいい」と助言したのは有名な話である。

 権藤が“親分肌”なら、佐藤は“職人肌”である。徹底してメカニズムにこだわる。

 佐藤の指導を受けるまで、田中には踏み出した左足のヒザが割れるクセがあった。心持ち外に開いていたのである。
 そのポイントを指摘するだけで田中は見違えるようによくなった。 ソフトバンクでも優勝を果たせば投手コーチとして4球団目のV達成である。


<この原稿は2014年12月19日号『週刊漫画ゴラク』に掲載された原稿を一部修正したものです>


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