池愛里(アジアパラ競技大会競泳日本代表)<前編>「初めて経験した“4年に一度の舞台”」

facebook icon twitter icon
 16歳のスイマーは、電光掲示板を見てショックを隠し切れず、その悔しさは涙となって表れた――。
 2014年10月20日、アジアパラ競技大会(韓国・仁川)は競技2日目を迎えていた。初出場の池愛里は前日の50メートル自由形で期待通り金メダルを獲得。しかし、狙っていた自己ベストは出ず、レース後の会見では「タイムは納得していない」と反省の弁を口にしていた。そしてこの日、池は100メートル自由形に臨んだ。前日、課題にあげていた「浮き上がりからの泳ぎ」もスムーズにいき、池は前半から飛ばした。それは「絶対に1分5秒を切る」という強い思いが込められた攻めの泳ぎだった。しかし、結果は1分5秒17。中国の選手に約1秒差で敗れ、銀メダルとなった。いつもは明るい笑顔がトレードマークの池だが、その日はレース後のインタビューでも涙が止まらなかった。
 アジアパラ競技大会は、総合大会としてはパラリンピックに次ぐ規模の国際大会である。「4年に1度」「選手村の設置」「国別入場行進」など、パラリンピックに似た条件や環境となっていることからも、パラリンピックの縮小版とも言える。競泳の国際大会を経験してきた池にとっても、その独特の雰囲気やシステムは初めてだった。開幕前の「それほど緊張することはないだろう」という予想とは裏腹に、池はこれまでのどの大会よりも緊張したという。加えて、彼女が最も得意とし、周囲からの期待も高かった自由形の50メートルと100メートルが競技初日と2日目に割り当てられたことも、彼女の緊張の度合いを高めていた。

 競技初日、3カ月前のジャパンパラでアジア新記録(29秒74)を出していた50メートル自由形に臨んだ池は、ただひとり30秒を切る好タイムで金メダルを獲得した。しかし、自己記録には0.19秒届かず、「メダルよりも自己ベストを」を狙っていた池にとっては、嬉しさ半分、悔しさ半分のレースとなった。

「タイムは納得いきませんが、29秒台で泳ぐことができたので、良かったです。ただ、少し浮き上がりからの泳ぎが遅かったので、明日の100メートルでは修正していきたいと思います」
 本来は入水後、水と一体化して浮き上がり、そのまま流れるように泳ぎへと移行するのだが、その日は浮き上がる際に体と水が衝突し、水が泳ぎの妨げになったのだ。レース後、選手村に帰った池は、峰村史世コーチとビデオを見てレースを振り返り、翌日へと気持ちを切り替えた。

 リオへとつながる収穫

 競技2日目、この日池は前半から攻めていくことを決めていた。最大のライバルである中国の選手が後半に強いため、前半から飛ばして少しでも差を広げたいと考えていたのだ。そして、今度こそはと自己ベストを狙っていたのである。その日は、前日の反省をいかし、浮き上がりもスムーズだった。ひとかき目からしっかりと泳ぐことができ、池は快調に飛ばしていった。50メートルターンでのタイムは、30秒56。中国の選手は31秒75。1秒以上の差をつけて、池はトップで折り返した。しかし後半に入ると、池の泳ぎは重くなっていった。一方、そんな池とは反比例するかのように、中国の選手は凄まじい追い上げを見せた。結局、池は自己ベスト(1分5秒3)を更新することはできず、銀メダルという結果となった。

 敗因は明らかだった。本人も語る通り、「後半にバテたこと」が失速につながったのだ。この日のレース、前半と後半のタイムを見てみると、前半は池が30秒56、中国の選手は31秒75で折り返している。ところが、後半は中国の選手が32秒44で泳いでいるのに対し、池は34秒61。これは3位の選手よりも遅いタイムだった。では、前半に飛ばし過ぎてしまったのだろうか。この問いに、池は首を横に振った。
「前半はあれくらいでいかなければ、自分が目標としていたタイムは出なかったので、良かったと思っています。反省は後半の泳ぎ。最後は力んでしまったことが失速につながりました」

 その力みの原因を、池は「メンタル面の弱さ」だと分析している。
「いつものレースなら、『絶対にタイムが出る』というふうに前向きな気持ちで臨むのですが、あの時は『どうしよう……』という不安な気持ちがありました。今思うと、そういう自分の弱さが、最後の力みとなってしまったのかなと」

 しかし、これで終わらないのが池である。
「このままひとつも自己ベストを出さずに終わりたくない」
 アスリートに不可欠な負けん気の強さが、池の背中を押した。100メートル平泳ぎと100メートル背泳ぎでは、しっかりと自己ベストを出してみせたのである。

 池にとって、初めての「4年に一度の舞台」は、金1、銀1、銅2の計4つのメダル獲得という結果となった。だが、この結果以上に、池にとっては経験が貴重な財産となった。
「アジア大会でこれだけ緊張するのだから、パラリンピックではどれだけ緊張するんだろうと思いました。その緊張の中で、いかに自分の泳ぎができるかが重要だということがわかりました。そのためには『絶対に大丈夫』と自分を信じることができるかどうかが大事だと思うんです。今回、レース前に不安な気持ちが出たということは、それまでの練習に問題があったのかなと。これからは、自信をもってレースに臨めるような練習をしていきたいと思います」

 一方、池を指導する峰村コーチは、今回の彼女について、こう評価している。
「いつもの競泳だけの海外遠征とは違って、彼女にとっては初めて経験することばかりでした。でも、その中でしっかりとメダルを獲れたことは大きかったと思います。練習でできていることを本番で出しきれなかったことは本人もわかっていますし、泳ぎに関してはまだまだなところの方が多い。でも、自由形で自己ベストが出なくても、そのまま最後まで引きずることなく、他の種目で自己ベストを出しました。私にとっても『ズルズルと崩れていかずに、切り替えができる子なんだな』ということがわかりましたし、大きな収穫だったと思っています」

 ちょうど1年後の来年3月には、リオデジャネイロパラリンピックの代表が決定する予定だ。その時、心技体、すべての面において、飛躍した池の姿が見られるに違いない。成長著しい16歳スイマーの今後が楽しみだ。

(後編につづく)

池愛里(いけ・あいり)
1998年9月12日、茨城県生まれ。東京成徳大高1年。MINEMURA ParaSwim Squad/エイベックス。小学3年の時に左ヒザ付近に悪性腫瘍を患い、筋肉の一部を切除した。そのため左足の足首から下に麻ひが残る。リハビリで始めた水泳に、中学1年から本格的に取り組み、2年時に出場した全国障害者スポーツ大会で2冠を達成。翌年のジャパンパラでは50メートル自由形、100メートル自由形、100メートル背泳ぎでアジア新記録をマークして優勝。この大会を機に、日本代表強化指定選手となり、11月にはアジアユースパラにも出場した。昨年のジャパンパラでは50メートル自由形で自身がもつアジア記録を塗り替えた。同年のアジアパラ競技大会では5種目に出場し、4つのメダル(金1、銀1、銅2)を獲得。178センチの長身と長い手足をいかしたダイナミックな泳ぎで、2016年リオデジャネイロパラリンピック、2020年東京パラリンピックでの活躍が期待される注目のスイマー。

(文・写真/斎藤寿子)
facebook icon twitter icon
Back to TOP TOP