前日付けのスポニチで川本治氏も高く評価していたが、わたしも、ACLのプレーオフで見せたレイソルのサッカーに強烈な印象を受けた。
 徹底してボールの保持にこだわりつつ、それが目的ではなく、崩すため、点を取るための手段になっている。流行に乗っただけのチームとは、似て非なる存在。あの異質さ、突出ぶりは日本リーグ時代の読売クラブ以来か。大袈裟ではなく、鳥肌が立つほど楽しませてもらった。同様に、そして違った方向に突出した湘南あたりとの対決が、いまから猛烈に楽しみである。
 さて、アギーレ監督の解任が発表されて以来、必ず聞かれることがある。
「日本人監督ではダメなんですか?」
 そんなことはない。レイソルの吉田監督は代表どころかJ1の経験もほとんどない40歳だが、やっているサッカーは日本代表より、CLやELのプレーオフに出場してくる大半のチームより、はるかに魅力的だった。日本人であっても、無名の存在であっても、素晴らしいチームを作ることはできる。いずれは、彼のような日本人監督が代表を率いるようになってほしいし、なるはずだとも思っている。

 だが、それはいまではない、とも思う。
 監督にとって最も重要な能力とは何か。理論を持っていること、ではない。卓越した戦術を考え出す能力、でもない。自分の中にあるイメージを選手に伝え、かつ、納得させる能力、である。

 サッカーにおける監督と選手の関係は、師匠と弟子、ではない。監督が選手を選ぶ一方で、選手たちも監督を値踏みする。この人物の能力は確かか。自分たちを勝利に導いてくれる監督かどうか――。

 ACLのプレーオフに出場したレイソルの選手たちは、約半数が下部組織の出身だった。そして、吉田監督はかつて下部組織の指導者だった。選手たちが監督の言葉に納得し、信じる素地がそこにはあった。

 いま、代表に名を連ねる選手の大半は、海外でプレーしている。CLに出場し、世界のビッグネームと対峙している選手もいる。そういう選手に対し、外国語を話せない、国際経験のない監督が、選手たちを心から納得させられる指示を与えられるだろうか。

 例外はあるが、かなり難しい、とわたしは思う。
 選手を納得させるには、オーラがいる。オーラを獲得するには、圧倒的な勝利がいる。バルセロナの元通訳は、そうしてオーラを獲得していった。

 もし、日本のサッカー界に、ラグビーにおける清宮克幸監督のようなオーラの持ち主がいるのであれば、すぐにでも代表監督を任せてもかまわない。
 大切なのは、海外に精通していること、ではない。求められるのは外国に臆さず、伍していけるメンタリティー。そして実績。サッカーの場合、適合する日本人監督は、まだそれほど多くない。

<この原稿は15年2月19日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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