人生初の石川での生活がスタートし、チームが始動して約1か月が経ちました。北海道日本ハムを退団後、NPBでの現役続行を模索したものの、オファーがなく、どこかで野球を続けたいと思っていた矢先、石川でプレーしていた木田優夫さんから誘いがありました。
「選手とコーチ、両方やってみないか」
 選手のみならず、指導者としても話をいただいたことはとてもうれしかったです。34歳になり、いつまでも現役だけにこだわるわけにはいきません。自分の可能性を広げるためにも兼任コーチにチャレンジすることにしました。

 日本の独立リーグは日本ハムに入る前、四国アイランドリーグの徳島にスポット加入したことがあります。今回、阪神から入団した西村憲は、徳島でチームメイトになった西村悟の弟。これも何かの縁だと感じています。

 ただ、BCリーグに関しては試合を見たことがなく、選手についても真っ白の状態です。実際、トレーニングを始めてみると、「うまくなりたい」というヤル気がひしひしと感じられます。練習への取り組みも一生懸命です。

 NPBに行く選手との違いはおそらく、うまくなるための引き出しを持っているかどうかなのでしょう。今までの経験を踏まえ、そのポイントをうまく伝えられればと考えています。

 僕はプロのキャリアを米国で始めました。それだけに米国で教わったことが自分のベースになっている気がします。向こうのコーチは日本とは違い、「怒る」ことがありません。日本のように欠点を指摘するところから始めず、長所を伸ばすアプローチをします。その意味では、あれこれ指導するというよりも、能力をいかに100%引き出すかをメインの仕事にしていると言っていいでしょう。

 僕も1年目でどこまでできるかわかりませんが、選手のいい部分を尊重し、調子が悪くなった時にサポートしてあげられるような指導者になれればと思っています。

 まだフリオ・フランコ兼任監督が来日しておらず、実戦も始まっていませんから、ピッチャーの役割分担などはこれからです。この1カ月は体幹強化などピッチャーとしての基本練習を取り組みました。

 上のレベルで野球をする上で、意外と見落としがちなのは、フィールディングや牽制の技術です。ここが苦手だと、バッターに集中してピッチングができません。いくら、いいボールを投げても、持ち味を出し切れない結果になってしまいます。そこで、この1カ月は投内連係の練習にも時間を割きました。覚えることが多く、選手は大変かもしれませんが、ここでやったことが後で生きてくると信じています。

 石川はまだ気温が低く、ピッチングをするには寒い日が少なくありません。僕自身も含め、開幕までに100%の状態で仕上げるのは難しいでしょう。でも、1年間を戦う上ではそのくらいでいいと考えています。開幕は6〜7割でスタートし、夏場に10割の力が出せるようにしていくつもりです。

 もちろん、その中で僕は「やっぱりNPBにいた選手だ」とファンの方に納得していただけるようなピッチングをお見せしたいと思っています。リーグには福島の岩村明憲兼任監督や、富山GRNの大家友和さんと元メジャーリーガーもいます。その対決を僕もお客さんとともに楽しめるよう、高い次元で切磋琢磨したいです。

 僕自身、若手と一緒にやることで非常に刺激を受けています。若いピッチャーには、僕や西村の姿を見ながら、ぜひ勝つつもりで勝負をしてほしいと感じています。競争の中で投手力が上がっていくのがチームとして理想的なかたちです。彼らとともに僕も、もう一段、レベルアップできる。その思いが石川に来て強くなってきました。

 目指すは優勝と、選手たちのドラフト指名、NPB復帰です。石川を熱く盛り上げられるように頑張ります。これから、よろしくお願いします。

多田野数人(ただの・かずひと)>:石川ミリオンスターズ兼任コーチ
1980年4月25日、東京都生まれ。八千代松陰高ではエースとして3年夏に甲子園出場。立教大では東京六大学通算20勝、防御率1.51、334奪三振の成績を残す。その後、インディアンスとマイナー契約を結び、04年にメジャー昇格。初先発初勝利をあげる。08年に大学・社会人ドラフト1巡目で日本ハムに入団。1年目に7勝をあげると、09年にはノーヒットノーランまであとひとりの快投をみせるなど5勝をマークする。11年には戦力外通告を受けるも再契約。12年には日本シリーズ登板。14年オフに自由契約となり、今季から石川に投手コーチ兼任で入団する。日米通算19勝21敗、防御率4.43。背番号65。
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