チェルシーのモウリーニョ監督は言った。「メッシさえいれば、誰が監督をしていてもCLの決勝にいくことはできる」
 ベッケンバウアーは「メッシがいなければバルサ普通のチームだ」とまで言い切った。
 リーガ、国王杯、そしてCLと3冠に王手をかけながら、監督としてのルイス・エンリケの手腕に対しては気の毒なほど評価する声が聞こえてこない。

 彼のチームが、メッシを中心とした3トップに大きく依存しているのは間違いない。いわば、ネイマール、スアレスという2枚の切り札と、メッシという超切り札を持っていて、時にはその3人だけで試合を決めてしまえるのがいまのバルサである。ボール支持率では下回ったバイエルンとの準決勝2試合は、まさにそうしたバルサの真骨頂ともいえる試合だった。

 だが、バルサのファンは、勝っただけで満足できるファンではない。哲学があり、斬新さがあり、かつエンターテイメント性に満ちていなければバルサではない――クライフが植えつけたチームづくりの方向性は、ペップ時代に揺るぎないものとなった。ファンの要求は、世界一高い。

 ペップのバルサは、どこからでも、誰からでもチャンスとゴールを生み出すことのできるチームだった。その記憶と衝撃が鮮明であるだけに、前線だけで点が取れてしまう現在のバルサに物足りなさを覚える人がいる。監督が哲学を徹底させることなく、個人の才覚に丸投げしてしまっているようにも思えるのだ。

 もっとも、わたしの目には天賦の才というよりは教育と指導の賜物に見えたイニエスタも、ユース時代に対戦した経験のある解説者の王乃淳さんによれば「とんでもんない化け物だった」そうだから、ペップのサッカーとして、タレントに頼る部分は多分にあった。ただ、現在のバルセロナは、あまりにもメッシが怪物化してしまったため、どうしてもそこに頼り切っているように見えてしまう。

 86年のW杯メキシコ大会でアルゼンチンを2度目の世界一に導いたビラルドも、ファン、メディアから酷評され続けた監督だった。

 思えば、ビラルドという監督に常について回ったのは「マラドーナ頼み」というレッテルだった。マラドーナがいれば誰が監督でも勝てる。マラドーナがいなければアルゼンチンは並のチーム……といわれていたことや、前任者がカリスマだったという事実は、現在のバルサとルイス・エンリケが置かれた状況に重なる。

 優勝したことで、ビラルドの評価は一変した。批判の対象だった「マラドーナ頼み」は、マラドーナを気分よくプレーさせた、と好意的に解釈されるようにもなった。

 さて、ルイス・エンリケの場合はどうなるだろうか。

<この原稿は15年5月14日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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