シンガポールで最大の発行部数を誇る「ストレイツ・タイムス」の電子版によると、日本のシュートを止めて止めて止めまくったGKイズワン・マフブッドは、試合後に一言、「ミラクル」とつぶやいたという。サッカーが2つのチームによって勝敗を争う競技である以上、一方にとっての奇跡は、当然、他方にとっての悪夢である。
 意外に思われる方がいるかもしれないが、シンガポール相手のまさかの引き分けに、わたしはそれほど腹を立ててはいない。

 66年W杯決勝。決まったようには見えないジェフ・ハーストのシュートを得点と認めてもらったイングランドは、44年後、明らかに決まっていたランパードの一撃を認めてもらえなかった。因果は巡る。96年のマイアミで奇跡を体験させてもらったツケを、19年後の埼玉で支払った。そう考えれば我慢できないこともないし、負けはしなかった分、いささかお得な気にすらなってくる。

 いや、本当に。
 ただ、ガッカリはした。サッカーうんぬんではなく、メンタル的な部分に。

 これがW杯本番の一大決戦だったというのならば、まだわかる。緊張する。慎重になる。ミスが怖くなる。だが、場所は埼玉で、相手はシンガポールだった。仮にも一時期はW杯優勝を目標として公言したチームであれば、2次予選の初戦など鎧袖一触の気概で戦ってほしかった。

 それが……。

 96年の日本と15年のシンガポールは似ているが、実は、96年のブラジルと15年の日本との間には、とてつもなく大きな違いがある。つまり、アトランタでのブラジルは、まるで緊張していなかった。警戒心は皆無で、油断が最大の敗因だった。試合前に監督が「罠が潜んでいる」と警戒を怠らなかった日本とは、そこが決定的に違った。

 これが初めてのW杯予選だった選手が緊張し、本来のプレーができなかったのはまだわかる。だが、何十回も代表でプレーし、予選どころか本大会の雰囲気も知っている選手が、本来とはほど遠いプレーしかできないのを見ると、猛烈な脱力感を覚えてしまう。経験を積めば変わる、いつかは覚醒すると期待してきたが、ひょっとすると、これがその選手の限界なのではないか。いつまでたっても大事な試合では仕事ができないのではないか、と。

 Jリーグでは、いまだシュートを外した選手の名前を連呼する場面がよく見られる。ドンマイ、ドンマイ。そんな思いなのだろう。失敗に寛容なファンのもと、失敗に鈍感な選手が育ち、そういう選手たちが、失敗の許されない状況で凍りつく。結果を残せなかった選手たちを非難するのは簡単だが、彼らを生み出したのは日本人のメンタリティーに他ならない。

 だから、腹は立たない。ただ寂しくて、情けない。

<この原稿は15年6月18日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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