野茂英雄がメジャーへの挑戦を明らかにした時、誰よりもその未来に対して悲観的だったのは日本人だった気がする。日本人が通用するはずがない――という思い込みは、手の施しようがないほど根深く巣くっていた。ほんの20年前の話である。
 いまや、日本人メジャーリーガーの誕生は単なるトピックの一つにすぎなくなった。人の意識は変わる。日本においては、特に早く、変わる。

 ほとんど何の注目もされないまま旅立ったなでしこたちが、加速度的な勢いで日本中を熱狂させたのは、たったの4年前のことである。あの時の日本は、彼女たちに内容を要求したりはしなかった。勝てば、それでよかった。人々が興奮したのは、なでしこがうっとりするほど美しいサッカーをしたから、ではなく、世界の強豪をなぎ倒したからだった。

 あの時点でのなでしこに向けられる目は、男子のサッカーに対するものとほぼ同じだった。つまり、内容を度外視して結果を出したW杯南アフリカ大会での日本代表に多くの人が熱狂したのと、基本的には同じ図式だった。大前提として、日本のサッカーが世界で勝てるはずがないという暗黙の了解があり、それゆえの、望外の歓喜だった。

 今回の女子W杯で、なでしこは3戦全勝で決勝トーナメント進出を決めた。日本男子が一度もやったことのない、期待されたこともない、ひょっとしたら本気で目指したことすらない、素晴らしい結果である。

 にもかかわらず、熱狂は起こっていない。多くの人がこの結果を当然のものとして受け止めたばかりか、内容に対する物足りなさまで口にした。

 男子サッカーを見るブラジル人やドイツ人のように。

 たった4年の間に、日本人はなでしこが世界で勝つのを当然と考えるようになった。勝っただけでは満足できず、内容までをも要求するようになった。

 オランダを倒し、ベスト8進出を決めた佐々木監督がまず口にしたのは「ヒヤヒヤさせてすみません」という詫びの言葉だった。残念ながら現状の男子サッカー界からは絶対に出てこない、しかし、いつかは必ずたどりつかなければいけない境地である。

 女子にできるのならば男子にもできる。やらなければならない――そう考える人が増えてくれば、男子も強くなるはずだと4年前に書いた。東京五輪で女子バレーが優勝した8年後、男子がミュンヘンで優勝したように、である。

 1次リーグでの冴えない試合と、決勝トーナメントに入るや否やの覚醒を見て、その思いはいよいよ強くなった。なでしこは、世界の女子サッカーを進化させただけでなく、日本人の意識をも変えた。当分は損なわれることはなさそうな宝を、彼女たちは日本にもたらしていてくれたのである。

<この原稿は15年6月25日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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