二宮: では引き続き、そば焼酎「雲海」のソーダ割り、Soba&Sodaで。
金村: このソーダ割りは抜群ですね。僕、炭酸は大好きなんです。炭酸で割るともっと飲みやすくなる。

二宮: 気に行ってもらえたみたいですね。
金村: 焼酎は次の日に残らないのがいいですね。他のお酒は2日酔いになったりしますけど、焼酎は次の日、サウナに行って汗をかいたらスッキリする。それで、また飲める(笑)。

 県予選からすべて完投で優勝

二宮: 今年は高校野球が始まって100年と節目の年にあたります。金村さんは言わずと知れた報徳学園の優勝投手です。
金村: おかげさまで今年は高校野球関係の仕事が多いんです。あの時は県予選から甲子園の決勝まで全部投げましたからね。県予選7試合、甲子園6試合、すべて完投。調べてもらったら、戦後2人目の快挙やったみたいです。これは唯一、僕の胸を張れる記録ですね。

二宮: 報徳学園に進んだきっかけは?
金村: 僕は正直言って、甲子園やプロを目指して野球をやっていたわけではないんです。ただ、報徳のユニホームに憧れたんです。アイボリーにグリーンの文字でHOTOKUと書いてある。ちょうど小学校の時に、報徳がセンバツで優勝してかっこいいなと思ったんです。自転車で西宮のグラウンドに練習を見に行くほどで、その頃から「報徳に入りたい」と願っていました。

二宮: 優勝した夏の甲子園の前にもセンバツに出場しています。初戦で対戦したのは槙原寛己さん擁する大府高(愛知)でした。
金村: 槙原を見て、僕はピッチャーとしての限界を感じましたね。ビックリするほど速い球を投げていた。あのストレートの速さはプロに入ってからも経験した中ではナンバーワンです。最初はチームメイトと「ちょっとかましに行ったるか」と、入場行進の予行演習の時に槙原のところに行って、「おう、かかってこーい」なんて挑発していたんです(苦笑)。ところが試合で槙原が第1球を投げたら、あまりの速さに皆、静まり返った。脅しに行っていた都合上、僕も負けたくないと真っすぐばかり投げたら、あっという間に大府打線につかまって負けてしまいました(笑)。

二宮: 敗れたとはいえ、打つ方では、その槙原さんからホームランを放っていますよね。レフトスタンドへの一発はよく覚えています。
金村: あれは、半分ヤケクソですよ。監督からは「ひとり相撲するな」と怒られて、「クッソー」という気持ちで打席に立ったら、弾丸ライナーのホームランだったんです。そしたら、1回戦敗退にもかかわらず、メディアで「最強打者現る」「中西(太)以来の怪童」と取り上げてもらえました。スポーツ報知では青田昇さんが評論してくれて、「これはすごいバッターや」と。それでちょっと勘違いしてしまいましたね(笑)。

二宮: 迎えた夏は春の雪辱を期していたと?
金村: 兵庫県はレベルが高くて、「甲子園で勝つより出る方が難しい」と言われていました。その兵庫のチームが1回戦で負けるなんで、当時の感覚としたらあり得ない。OBからも散々、「オマエのせいで負けた」と言われました。それで夏は絶対にリベンジを果たしたかったんです。実は、監督は県予選の2、3回戦では他のピッチャーを投げさせたかったみたいなんですけど、もし、それで負けたら終わってしまう。「イヤや」とひとりで投げ抜きました。

二宮: 甲子園では早稲田実業(東京)の荒木大輔、愛工大名電(愛知)の工藤公康ら後にプロ入りするピッチャーとの投げ合いを制して勝ち上がりました。
金村: 優勝する気はさらさらなかったんですよ。とにかく1回戦だけは勝ちたかった。それで1回戦を突破して、2回戦では前年度優勝の横浜(神奈川)。負けるかなと思ったら、神がかり的に2本のホームランを打って勝ちました。次の早稲田実業戦は延長戦。これも9回に追いついての延長サヨナラ勝ち。準決勝の名電戦は工藤がいいカーブを投げていたけど、この夏は僕の調子が良くて打ちまくったんです。クジ運が悪くて、強いところとばかり対戦したので、決勝に進んだ時は一番、気楽に試合に臨めましたね。

 阪急志望の真相

二宮: 全部で13試合も完投して、よく肩、ヒジを痛めませんでしたね。
金村: もう根性ですよ。アイシングとかケアも全然しませんでしたね。試合前になるとビフテキにトンカツ。「テキ(敵に)にカツ(勝つ」だからと食わされたんですが、そんなもの暑くて疲れている時にのどを通りませんよ(苦笑)。

二宮: 最後は疲れもピークだったでしょう。
金村: 体重が減って、もうガリガリでした。甲子園のマウンドは陽炎が立って、ムーンとするんですよ。当時は水もあまり飲んだらダメと言われた時代。でも、僕はベンチ裏で用意された水をガブ飲みしていましたね。

二宮: 全試合を投げ抜く上で省エネも心がけていたのでしょうか。
金村: 春の反省からスタイルを頭脳派に切り替えました。今で言うカットボールをいち早く投げましたね。真っすぐでくるだろうと相手が予測してきたところを打たせてとったんです。本を読んで、堀内(恒夫)さんのカーブとか、いろんな投げ方を研究する中で、ちょっと握りをずらして変化させる方法を覚えました。あと、自転車のチューブを使って、インナーマッスルを鍛えていたのも他の選手より早かったと思います。

二宮: 現在、高校野球では負担軽減のために、ピッチャーの球数制限やタイブレーク制の導入が議論されています。実際に夏の大会を投げ切った金村さんは、どう感じますか。
金村: もう親の立場になってみると、時代の流れだから致し方ないと思います。「オレは投げた」とか言っても、全く時代が違いますよ。野球はどんどん進化しています。たとえば、昔は主力を抑えれば、他のバッターはたいしたことなかったのに、今はそうでもなくなってきている。相手のデータが入ってきて、野球も緻密になっています。今までなら、エースはひとりで頑張るのが美学とされていたけど、実際には「甲子園の優勝投手は大成しない」と言われてきたのも事実でしたから。

二宮: ドラフト会議では近鉄と阪急が1位で競合した結果、近鉄が交渉権を獲得しました。ただ、希望は阪急だったとか。
金村: はい。阪急を逆指名していました。なぜ、阪急に行きたかったかと言うと、長池徳士さんのファンだったから。もっと言えば、長池さんの豪邸に憧れたんです。子どもの頃、高台にある長池さんの家をいつも見に行っていました。「プロになったら、こういう家に住めるんだ」と思ったんです(笑)。

 「10・19」の舞台裏

二宮: 近鉄といえば、1988年、あのダブルヘッダーの末に優勝を逃した「10・19」が思い出されます。
金村: 僕は悲しいかな、左手首を骨折して試合に出られなかったんです。悲劇の主人公ですよ。ギブスをはめた状態だったんで、最初は遠征に帯同するつもりはなかったんです。それが、仰木(彬)監督やコーチの中西太さんたちが「オマエのおかげで優勝できるんやから来い」と電話してきてくれた。東京に行って、僕にできることは祝勝会の手配しかない。銀座から六本木と「明日、ダブルヘッダーが終わったら皆を連れて行くから頼む」と3、4軒回りながら、朝方まで飲んでいました(笑)。

二宮: その時は、まさか、あんなドラマが待っているとは思いもしなかったでしょう。
金村: 段取りをばっちりやって朝帰り。起きたらもう昼ですよ。ベンチにも入れないから、早く球場に行ってもしょうがない。1試合目の途中でタクシーで球場に向かったら、人であふれかえっているんです。あの光景は今でも忘れられませんね。

二宮: 口コミでどんどん球場に人が集まっていましたね。私も急いで取材に行きました。
金村: 宣伝も何もしていないのに、満員に膨れ上がりましたからね。僕は亡くなった鈴木貴久とネット裏の通路で試合を見ていました。もう、1試合目で勝った段階で感動ですよね。すると、2試合目に向けたインターバル中に仰木さんが僕を見つけて、「カネ、来たか。ベンチに入れ」と。本当はベンチに入ってはいけないのに、ジャンバーを借りて、相手から見えないバットケースの後ろで試合を見ていました。僕の代わりに出てくれた吹石(徳一)さんが一時は勝ち越しとなるホームランを打った時には、涙が出そうになりましたよ。ベンチも仰木さんと太さんが、抱き合ってのたうち回っている。うれしい半面、試合に出られない悔しさもあって、複雑な心境でした。

二宮: 第2試合は無情の時間切れ引き分け。予約していた祝勝会はどうなったのですか。
金村: 残念会です。でも、優勝を逃した状況では何軒もははしごできないですよね。そんな中、1軒だけ銀座のクラブが僕たちを待っていてくれていたんです。クラブの女の子も感動して、もう深夜1時を回っていたのに、店を開けてくれていました。

二宮: いや〜、まだまだ話は尽きませんね。また、そば焼酎「雲海」で一杯やりましょう。
金村: そば焼酎「雲海」は本当にうまかったです。家に持って帰って、ぜひ楽しみたいと思います。

(おわり)

金村義明(かねむら・よしあき)
1963年8月27日、兵庫県生まれ。報徳学園高時代は3年時(81年)に甲子園春夏連続出場。夏の大会はエースとして予選から決勝まで1人で投げ抜き、全国制覇を果たす。同年のドラフト1位で近鉄に入団。内野手に転向し、4年目の86年からサードのレギュラーに定着し、サイクル安打も達成。89年にはリーグ優勝を経験し、90年はオールスター初出場を果たす。94年オフにFA宣言を行い、中日に移籍。97年には交換トレードで西武に移る。西武では主に代打、DHとして活躍し、99年限りで引退。現在はテレビ、新聞などで解説を務める。現役時代の通算成績は1262試合、打率.258、127本塁打、487打点。


 今回、金村さんと楽しんだお酒は本格そば焼酎「雲海」。厳選されたそばと、宮崎最北・五ヶ瀬の豊かな自然が育んだ清冽な水で丁寧に造りあげた深い味わい、すっきりとした甘さと爽やかな香りが特徴の本格そば焼酎です。ソーダで割ることで華やかな甘い香りが際立ちます。
提供/雲海酒造株式会社

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 金村さんの直筆サインボールを本格そば焼酎「雲海」(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「金村義明さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は8月12日(木)までです。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。
◎クイズ◎
 今回、金村義明さんと楽しんだお酒の名前は?

 お酒は20歳になってから。
 お酒は楽しく適量を。
 飲酒運転は絶対にやめましょう。
 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

(構成・写真:石田洋之)


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