アテネの借りは北京で返す。男子棒高跳びの澤野大地は先の日本選手権で標準記録A(5メートル70)をクリアして優勝し、2大会連続の五輪代表に決定した。前回のアテネ大会は20年ぶりの決勝進出を果たしたものの、世界の壁は高く13位。それから4年、澤野は着実に力をつけ、世界と対等に戦える位置までやってきた。日本の“鳥人”は北京の空へ高く舞い上がることはできるのか。当HP編集長・二宮清純がニッポン放送「スポーツスピリッツ」内で電話インタビューを行った。その一部を紹介する。
二宮: 前回のアテネ大会、澤野選手は決勝に進出しましたが、残念ながらメダルには手が届きませんでした。ただ、日本人で20年ぶりに決勝に残れたことは自信につながったのでは?
澤野: そうですね。でも、あの時は「(メダルを狙う選手と)同じ土俵の上で戦えていないな」と痛感しました。決勝に進出した16人のうち、最初の高さからスタートしたのが、僕ともう一人くらいしかいませんでしたから。メダルを狙う選手たちの蚊帳の外で試合をしている感覚がありました。「同じ土俵の上で戦いたい」と強く思いました。だから五輪後、ひとりでポールを担いで海外を回ることを決めたんです。

二宮: 世界と同じ土俵で戦うために、この4年間、いろいろな経験を積まれたと思います。4年前の自分に足りなかったもの、逆にいえば、これを掴めばメダルが獲れるというものは見えてきましたか?
澤野: 大切なのは自分の気持ちのコントロールでしょう。結局、出場している選手はほとんど力は変わらないと思っています。その中で一番高く跳んだ者が勝つわけですから、いかに自分の跳躍ができるかが重要です。どんな状況でも周りに流されず、自分で自分をコントロールできるかが、勝負の分かれ目になるのではないでしょうか。

二宮: ところで、水泳では水着のレーザーレーサーなど、使用する用具が大きくクローズアップされました。棒高跳びでは体を支え、跳ね上げる上でポールが重要な役割を荷います。何か規定はあるのでしょうか。
澤野: 基本的にポールは何を使っても大丈夫です。僕は試合に向けて、いつも7本くらいのポールを持ち歩いていますね。モーターだったり、動力が入っていれば話は別ですが、そうでなければ物干し竿だろうが竹の棒だろうが、ポールの材質は問われません。

二宮: 空中を舞っている時はどんな感覚ですか。無重力状態みたいに浮いている感覚なのか、それとも跳んでいる感覚なのか……。
澤野: 基本的には跳んでいる感覚です。ただ、無重力とまで感じないまでも、空中でふわっと浮くような感覚はあります。ボールをポーンと上に投げたら、ちょっと止まってゆっくり落ちてきますよね。例えるなら、そんな感じです。

二宮: 調子のいい時とそうではない時で感覚に差はありますか?
澤野: 調子がいい時は、その日、朝起きて一歩目から違いますね。すっすっすっと体が軽く進んでいくような感覚がします。

二宮: 北京の本番ではぜひそういう感覚で挑みたいですね。
澤野: そうですね。おそらく予選通過ラインは例年通り5メートル70でしょう。ひとりでヨーロッパを回ったのも、いろんな経験を積んだのもすべては北京オリンピックのため。それら全部をぶつけて、北京では澤野大地らしく跳びたいですね。

<この原稿は二宮清純が出演中のニッポン放送「スポーツスピリッツ」7月7日放送分の内容から再構成したものです>