2日、日本人として初めてNBAプレーヤーとなるなど、バスケットボール界のパイオニア的存在として知られる田臥勇太が日本バスケットボールリーグ(以下、JBL)のリンク栃木ブレックス(以下、リンク栃木)に入団したことが明らかとなり、都内で記者会見が行なわれた。
 日本バスケットボール界のスーパースターが6季ぶりに日本のコートに帰ってきた。田臥勇太、27歳。バスケットの名門・能代工業高校(秋田)で史上初の高校3大タイトル3年間制覇(9冠)を達成した彼は、ブリガムヤング大学ハワイ校への留学後、2002年にはJBLスーパーリーグ(当時)のトヨタ自動車アルバルクに入団し、リーグ新人王を獲得した。

 さらに翌年には米国に渡り、サマーリーグを経て03年9月にデンバー・ナゲッツと契約し、日本人として初めてNBAプレーヤーとなった。翌年にはフェニックス・サンズと契約。NBA公式戦初出場を果たし、スピードあふれたプレーを披露した。

 その後、紆余曲折を経ながらもNBAの舞台に再び立つことを目標としてきた田臥。そんな彼がこれまで拠点としてきたのは米国だった。ところが、ここにきて突然の日本チームへの入団発表。果たしてNBAの夢を諦めてのものなのか――。

「自分の目標は変わらずNBAにチャレンジすること。そのチャレンジの一貫としてここ(リンク栃木)をステップにできるように今シーズン、ベストを尽くしたいと思っている」  
 冒頭のあいさつで彼ははっきりとNBAにかける気持ち、意気込みがこれまでと全く変わっていないことを口にした。

 では、なぜ日本のリーグに復帰することを決めたのか。山谷拓志代表によれば、田臥が契約書にサインをしたのは8月30日。本人が宇都宮に着いたのも昨日で、まだ住む場所も決まっていないという。
 決断の理由の一つには能代工時代の恩師、加藤三彦ヘッドコーチの存在があったようだ。

「これまでNBADL(NBAデベロップメントリーグ)でやってきて、どういうものかを経験してきた。だが、局面を変えるという意味で、やはりもっと試合でプレーがしたいと思った。その中で自分のスタイルをよく知ってくれている加藤HCの下でやった方が先につながるのではないかと思ったので入団を決めた」

 一方、田臥の育ての親とも言える加藤HCは、「感激」という言葉を何度も繰り返し、その表情からは米国でひと回りもふた周りも成長した教え子と再びともに戦える喜びに満ち溢れていた様子がうかがえた。

「言葉でなく、行動で示すことができる選手はなかなかいない。そういう貴重な選手である田臥を獲得できたことが純粋に嬉しい。自分自身、田臥のスタイルが好きだし、日本のファンにも見せてあげたい。
(リンク栃木の)選手たちには田臥と一緒にプレーして成長してほしいと思っている。そして自分の得意なプレーを伸ばしてほしい。できないことを補うやり方よりも、自分の得意なものを見つけて、それに純粋にチャレンジすることが大事。田臥はそれを出してくれる選手だと思っているので、今は早く選手たちと練習をやらせて、26日の開幕に備えたいという気持ちでいっぱい」

 かつての恩師から絶大なる信頼を寄せられた言葉を受けた田臥だが、貪欲な姿勢は今も昔も変わってはいなかった。そのことを如実にあらわしているのが背番号だ。「原点に戻るという意味をこめて選んだ」という背番号は「0」。

「日本のバスケット界に貢献できることは嬉しい。プライベートでも仲のいい五十嵐圭選手(日立サンロッカーズ)など、同い年の選手とマッチアップできるのも楽しみ。
 具体的な数字とかではなく、NBAへの道を切り拓くためにも得点、アシスト、全ての面で圧倒的なスタッツを残したい」

 昨季、JBLの下部リーグで優勝し、今季よりJBLに参戦するリンク栃木。能代工の指揮官として高校バスケ界のトップを走ってきた加藤HCも今年4月に就任したばかりで、プロチームのヘッドコーチとしては新米だ。
 果たして、田臥の存在は新参者のチームにどんな影響をもたらすのか。そして、NBAの舞台にカムバックすることはできるのか――。26日、JBLの2008−09シーズンが開幕する。