過日、イタリアに飛んだ。ブラジルW杯後に日本代表監督を退任したアルベルト・ザッケローニに会うためだ。

「私の住む町へようこそ」

 場所はアドリア海を臨む小さなリゾート地チェゼナティコ。夏の終わりながら、バカンスを楽しむ観光客で溢れていた。そして温かく出迎えてくれた彼も、「今はサッカーのことは考えていないんだ。家族との時間を大切にしている」と住み慣れた地元に戻ってリラックスした時間を過ごしているようだった。

 雑誌のインタビューは1時間以上にわたった。話の中心は言うまでもなく、期待されながら1分け2敗と結果を残せなかったブラジルW杯を振り返って。ザッケローニは紳士らしい落ち着いた語り口調ながら、時折、語気を強めることもあった。

 強く印象に残ったのは、初戦コートジボワール戦を述懐したときだ。戦いが消極的になってしまったことを非常に残念がっていた。
「すべては監督である私の責任」と前置きしたうえで、彼は言った。

「ボールを持っていないときはそんなに問題じゃなかった。要はボールを持ったときだ。全員がボールを欲しがらなければならないし、全員が(パスコースの)選択肢を出してあげなければならない。我々のアイデンティティーは、相手陣内に押し込んでサッカーをすることだ。それはフィジカルの部分で世界より劣っている我々が取るべき道。自分たちを信じて2点目を取っていれば、3点目も続いていたのかもしれない。コートジボワールはお互いの距離が離れていて、両サイドバックが上がって2人のセンターバックで守っている状態だった。我々にチャンスはあった」

 攻撃こそ最大の防御――。
 本田圭佑が先制点を挙げて1-0になって以降、ザッケローニは2点目を奪いに行く姿勢をチームに期待していたことが分かる。だが、チームはヤヤ・トゥーレに警戒の色をより強め、ディディエ・ドログバの迫力も重なって最終ラインが下がっていく。お互いの距離感が遠くなり、守勢に回ったところで逆転を許してしまった。

「たとえうまくいかなかったとしても、信じ切る力、やり続ける力が必要だった」と彼は唇を噛むようにして言葉を吐き出した。自分たちがやってきたことを“出させてもらえなかった”という認識ではない。指揮官からしてみれば、世界の強豪相手にもやれるはずなのに“出すことをためらった”と捉えているようにも聞こえた。

 相手がたとえ強豪だろうが、勇気を持ってチームが最終ラインを押し上げて全体をコンパクトにし、スピードとテクニックを活かしたコンビネーションでゴールに迫るというザックジャパンのカラー。しかしながら4年間、積み上げてきた成果をブラジルの地で発揮することはできなかった。

 インタビュー中、彼はずっと日本代表のことを「我々のチーム」と言った。「もはや日本からいなくなった存在なのに、ついついそう言ってしまう」と苦笑いした。
 彼が今なお日本を愛していることは伝わってくる。息子ルカさんの経営するレストランでは和食をモチーフとした食事を楽しみ、器用に箸を使いこなしていた。「日々、誰かに日本の思い出話を語るのが今の仕事」と嬉しそうに相好を崩した。

 日本代表監督を退任してからは代表チーム、クラブチームといくつかオファーも舞い込んだようだ。しかしそのすべてを断っている。日本での4年間があまりに充実していて、それに勝るようなミッションを見いだせないというのが大きな理由だった。

 大舞台で結果を残すことはできなかった。しかし彼には、日本を愛する気持ちとともに日本代表を成長させたという強い自負がある。強豪の仲間入りを果たせる、その前段階まで日本が来ているという認識を持っていた。

 日本が強くなるために今後、何が必要になってくるのか。
 そう尋ねると、ザッケローニはすぐに言葉を返してきた。

「日本がこれから何をしなければならないのか。それは自分たちのやるべきサッカーを、強豪相手に出すことだ。それも1試合、2試合じゃなく、継続的に出していく。そのためにはアウェーに出ていってドイツ、イタリアといった強いチームととにかく試合をやって、経験値を上げることだ。そこに尽きる。日本サッカーは世界から認められてきている。日本の人々はそれをもっと自覚してもいい」

 日本サッカーの可能性を、誰よりも信じている。
「これからも一人のサポーターとして見守り続けていくよ」
 ザッケローニの心は、日本とともにある。

(このコーナーは第1木曜日に更新します)
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