1年春から先発の一角を担い続けてきた大塚豊。東京新大学野球リーグでは異彩を放ち、数々の栄光をつかんできた。その大塚が今年、全国の舞台でスカウトの度肝を抜く活躍を見せた。全日本大学野球選手権で3試合連続無四球完投勝利をやってのけたのだ。舞台が大きければ大きいほど燃えるという大塚。3種類のフォークボールを自在に操る右腕にプロへの意気込みを訊いた。
―― 大学選手権では3試合連続無四球完投勝利を挙げた。
大塚: 実は選手権前まではあまり調子がよくなかったんです。リーグ戦でもプロを意識しすぎたのか、思うような結果が出なかったので「ダメかな」と思っていたくらいなんです。でも、それで逆に開き直れました。「プロのことは置いといて、とりあえず試合に集中しよう」って思えたんです。それがああいう結果になったんだと思います。特に3試合目の東洋大戦は疲れはありましたが、だからこそ力まずに無心で投げることができた。5点は入れられてしまったんですけど、内容的には一番良かったと思います。

―― 要因となったものは?
大塚: 自分は150キロを投げるようなピッチャーではないので、真っすぐはコントロールとキレ、そして変化球で勝負している。記録を意識せずに、そのピッチングがしっかりとできたからこその結果だと思っています。

―― その活躍の結果、日本ハムから2位指名を受けた。
大塚: 確かに春はよかったのですが、秋は調子が悪くて思うような結果を残すことができなかったんです。だから、指名もどうかなと思っていました。もしあったとしても、上位はないだろうと。ところが、日本ハムから2位指名を受けてビックリしました。嬉しさよりも、ホッとしましたね。

―― 球団からの期待は?
大塚: スタミナがあることと、どのポジションも経験しているということだと思います。先発したいという気持ちがないと言えばウソになりますが、与えられたポジションで精一杯頑張っていきたいです。

―― 日本ハムへのイメージは?
大塚: 八木智哉さんや小谷野栄一さんと大学の先輩もいるので、不安はそれほどないですね。チームとしては全員野球のイメージが強いです。テレビからも一生懸命さが伝わってきます。それと、ファンも熱い。11月のファンフェスタには4万人以上もの方が来てくれていたんですが、その熱気は予想以上でした。自己紹介の時に名前を呼ばれると、声援をいただいたんです。「早くこの札幌ドームで投げたいな」と強く感じましたね。

 大塚は松坂大輔や小谷野も在籍していた江戸川南リトルリーグの出身。「高校なんか比じゃない」という程、厳しい練習に耐え、中学1年時には全国優勝も経験している。その江戸川南時代が彼の原点だという。

―― 野球はいつから?
大塚: 小学3年からです。最初はピッチャーやっていたんですけど、リトルリーグに入ってからケガをしてしまって、内野とキャッチャーをやっていました。江戸川南リトルリーグで全国優勝した時はキャッチャーでした。

―― リトルリーグ時代の思い出は?
大塚: あんなに厳しかったのは、ないですね。練習は土日と祝日だけだったんですけど、一日の練習量がすごくて……。練習に対しても厳しくて、ちょっとでもダメだなと思うと、その場で帰されたりするんです。もう辞めたくて辞めたくて……。親はいつも仕事で家に帰ってくるのが遅かったんですけど、毎週金曜日になると親の職場に泣きながら「やめたい」と電話していました(笑)。

―― 辞めなかった理由は?
大塚: 監督が怖くて「辞めたい」という勇気がなかったんです。一度、決心して言いに行ったんですけど、監督を前にしたら結局何も言えずに、そのままアップに入っちゃいました(笑)。でも今思うと、辞めなくてよかったなと。最後は日本一になることもできましたし。

―― キャッチャーの経験は今も生きている?
大塚: そうですね。中学1年だったので、深くまではわからないですけど、キャッチャーの気持ちもわかりますし、生かされていると思います。それと内野もやっていたので、フィールディングの面とかもプラスになっていますね。

 大舞台ほど本領発揮!

 大塚の武器は、空振りを狙う、カウントを取る、打たせてとるという3種類のフォークボールと、気持ちの強さだ。果たして、どんなふうにして養われたものなのだろうか。

―― 自分の最大の武器は?
大塚: 自信があるボールといえば、やはりフォークボールですね。高校時代、カーブは投げられたんですけど、スライダーの曲がりが悪くてあまり得意じゃなかったんです。それで2年の時に監督から「フォークを投げてみたらどうか?」と言われたのがきっかけでした。投げてみたら意外と感触が良かったので、投げ込みの時もフォークを中心に練習するようになったんです。3年の時には高校レベルでは自信を持って投げられるようになりました。

―― 大学レベルでは?
大塚: 大学に入ってからも最初は通用したんです。でも、そのうちどんどん打たれ始めて……。それでフォークだけではダメなんだとわかりました。真っすぐのキレだったり、他の変化球とのコンビネーションを組み合わせていかないと振ってくれないんだなと。

―― フォークボールは3種類。
大塚: 前はカウントをとるフォークと空振りをとるフォークと、アバウトにその時の感覚で投げていたんですけど、今はカウントをとるフォークでもしっかりと高めから落としたり、チェンジアップ気味にしたりと考えて投げるようになりました。あとは普通に空振りをとるフォークと、左バッターに対してシンカー気味に外に逃げる感じの流れるようなフォークと投げ分けています。握りは全部同じなんですけど、リリースの時の抜き方の感覚で投げ分けているんです。

―― 習得方法は?
大塚: 練習で習得したというより実戦の中で覚えていきました。いいバッターと対戦した時にどうやったら抑えられるのかなと常に考えていって生まれたものばかりなんです。例えばシンカー気味に投げたらどうだろう、と思いながら投げていくと、すぐにではありませんが、身についてきました。

―― そのほか自信のあるものは?
大塚: メンタル面ですね。実はリーグ戦よりも全国大会での方がいいピッチングができるんです。リーグ戦はあまり観客がいないので、アドレナリンが出なくて、あまりよくなかったりするんです。ところが、神宮球場や東京ドームなんかでやるような大きな大会になると、俄然やる気が出て思い通りのピッチングができたりするんです。特に劣勢の試合とかピンチになると燃えますね。

―― ピンチの時に心がけているのは?
大塚: 気持ちの部分で逃げないことです。打たれたら打たれたでしょうがない。大事なのは次はどうしようか、という切り替えなんです。あとは打たれた直後は特に気をつけています。そのままの流れで投げてしまうと、痛い目にあうことも少なくないんです。だから打たれたときこそ、1球1球、意志のあるボールを投げるように心がけています。

―― メンタル面が強化されたきっかけは?
大塚: 今年の春のオープン戦で早稲田大に1−6で負けたんです。その2日前に亜細亜大戦にも投げていて、確かに疲れがたまっていました。調子もあまりよくなくて、自分の中で「疲れているんだから打たれてもしょうがない」って思っちゃったんです。監督には見事に見抜かれていましたね。「お前がそんなんじゃ、チームは終わりだ」というふうに指摘されました。それで反省の意味も込めてその日と翌日、50本ずつ坂道を走ったんです。走りながらいろいろと考えることができて……。あれもいいきっかけになったなと思います。

 尊敬しているピッチャーは岩隈久志(東北楽天)という大塚。マネをしたわけではないというが、構えたときの姿はなんとなく岩隈を彷彿とさせる。果たして、プロの世界でどんなピッチャーを目指すのか。

―― プロへの意識はいつから?
大塚: 子供の頃は“将来の夢”でしたね。現実的な目標として考え始めたのは大学2年の時の大学選手権で東北福祉大に1−0で完封勝ちしてからです。ドラフト候補に名前がリストアップされるようになったことで、自分の中でも「頑張ればいけるかな」という思いが出てきました。

―― 実際にプロへの道を切り開いた。要因となったものは?
大塚: 高校時代は甲子園に行くことや技術的にうまくなろうということしか考えていなかったんです。1年秋からエースナンバーをいただいて、今考えるとチームの中だけで満足してしまっていた自分がいましたね。でも、大学に入ってからは野球だけじゃ成長できないんだということを監督から教えられました。私生活や人間性を磨くことによって、技術の方も成長していくということを、実際に大学4年間で実感することができたんです。
また、1年生の頃から全国大会を経験することによって、上には上がいるということを知ることができたのも大きかったですね。4年の夏には日本代表の合宿にも参加しました。わずか2日間だけでしたが、下級生にも自分よりいいボールを投げるピッチャーがたくさんいて、改めて自分はまだまだだなと思いました。だからこそ、春の成績で満足せずに秋を迎えられたのだと思います。

―― プロでの課題は?
大塚: 体格はいい方だと思いますが、筋肉自体があまりないんです。特に下半身が弱くて粘りがない。スピードが出ないというのはそれが原因だと思うんです。今はそれを課題にして筋トレにも取り組んでいます。下半身が強化されれば、もっとスピードが出るんじゃないかと思っています。

―― ピッチングでのこだわりは?
大塚: 先発完投ですね。大学では結構打たれたりしても監督は代えずに完投させてくれたんです。プロでは難しくなると思いますが、ダルビッシュ有選手のように完投させてもらえるくらい首脳陣に信頼されるピッチャーになりたいですね。

―― 尊敬しているピッチャーは?
大塚: 岩隈選手です。昨年、21勝挙げたときのピッチングを見てすごいなと思ったんです。というのも、もともと150キロくらいのボールでバンバン抑えるような速球派だったと思うんです。それをケガを乗り越え、自らのピッチングスタイルをかえて、なおかつあれだけ勝てるんですから。普通、速球派投手ってプライドやこだわりがあって、なかなか変えられない人も多いと思うんです。

―― ファンへのアピールポイントは?
大塚: どんな時もで愛されるようなピッチャーなりたいです。結果を出すことも大事ですけど、お客さんが見ていてワクワクするようなピッチングをしたいです。そして応援したくなるような存在になれればいいですね。それくらい自分もしっかりと気持ちを入れて投げていきたいと思っています。

 大学の恩師・岸雅司監督からはいつもこんなことを言われていたという。「自分のためだけだったら限界はある。しかし、人のためだったら限界はない」。ファンはもちろん、両親やこれまで支えてきてくれた多くの人たちへの感謝の気持ちを込めて、大塚はこれからも投げ続けていく。


大塚豊(おおつか・ゆたか)プロフィール>
1987年12月20日、東京都出身。江戸川南リトルリーグでは捕手として全国制覇を達成。創価高では1年秋からエースナンバーをつけて活躍した。創価大でも入学直後から先発ローテーション入りを果たす。リーグでは最優秀投手、最多勝利、ベストナインなど数々のタイトルを受賞。今年の大学選手権では特別賞に輝いた。182センチ、83キロ。右投右打。

(聞き手・斎藤寿子)

☆プレゼント☆
 大塚豊選手の直筆サインボールを抽選で2名様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の冒頭に「大塚豊選手のサインボール希望」と明記の上、住所、氏名、連絡先(電話番号)、この記事への感想をお書き添えの上、送信してください。当選は発表をもってかえさせていただきます。たくさんのご応募お待ちしております。


 携帯サイト「二宮清純.com」では、「2010ルーキーたちの軌跡」と題し、ドラフト指名選手のインタビュー記事を先行配信中。ぜひ携帯サイトもあわせてお楽しみください。