生まれも育ちも千葉県。少年時代には何度も千葉ロッテマリーンズの応援にマリンスタジアムを訪れ、高校時代には予選でスタジアムのマウンドを踏んだ。そんな生粋の千葉県人である清田育宏が昨秋のドラフトで地元球団ロッテから指名を受けた。「12球団OKとは言っていたけど、やっぱりロッテに指名されたかった」と清田。しかし、上位指名を狙っていた彼にとって4位という順位は予想外だった。自分へのふがいなさに、すぐにプロ入りを決断することができなかった。そんな彼がプロ入りを決意した理由は何だったのか。その真相に迫った。
―― ドラフト会議で自分の名前が呼ばれた瞬間の気持ちは?
清田: 本社の方で野球部のマネジャーとテレビを観ながら待たせていただいていました。名前を呼ばれた瞬間はやっぱり嬉しかったですし、ホッとしました。ただ正直、もう少し早い段階で呼ばれるかなとも思っていたんです。

―― 悩んだ末のプロ入り。決め手となったものとは?
清田: プロに行くということについては迷いはなかったんです。ただ「あぁ、今年の成績ではこれくらいの評価なのか」と自分に対する悔しさがあって……。都市対抗でも全く打てなかったですし、もう1年残ろうかとも考えました。でも、同じロッテに1位指名された荻野貴司の存在が大きかったですね。

―― 荻野選手の存在とは?
清田: 知り合ったのは2008年夏に行なわれた日本代表の合宿でした。野手で同年代が僕と荻野だけだったので、ホテルが同じ部屋だったんです。それからよく連絡するようになりました。彼の人間性も好きですし、野球に対しても尊敬しています。たとえプロで荻野が先に活躍するようになっても、「頑張れよ」って心から言えると思うんです。でも、「自分も負けないぞ」と。僕が荻野から学ぶことも多いですし、逆に彼が僕から学んでくれたらとも思っています。そんなふうにして、彼とならお互いに切磋琢磨しながら頑張っていけるんじゃないかと。近い将来、一緒にプレーできたら最高ですね。

―― ドラフト後、荻野選手とどんな話を?
清田: 実は会議が始まる前に電話で話をしたんです。順位が重なるだろうから「まず同じチームはないだろうね」と。だからドラフト後は彼も気まずかったと思いますよ。だから僕から「ちょっと呼ばれるの遅かったわ。でも、まぁしょうがないよね」って言ったんです。きちんと入団するって決めてからも連絡したんですけど、彼も気にしてくれていたみたいで喜んでくれました。「一緒に頑張ろう」と。

―― 自分自身、プロに行ってからの自信は?
清田: 自信がなければプロに行こうとは決心しなかったと思います。「あと1年社会人でやってから」という話もありましたが、プロに行けば周りはすごい人たちばかり。そんな環境でやるだけで、自分も絶対に伸びると思うんです。あとは負けないという気持ちで一生懸命やるだけ。いえ、人生かかっていますので、やらないといけないと思っています。ドラフトの順位については行くと決めてからは吹っ切れました。

 恩師との出会い

 清田に訪れた転機は2度ある。ピッチャーから野手に転向した大学時代。そしてNTT東日本入社1年目での仁村薫氏との出会いだ。特に清田にとって仁村氏は恩人とも言える存在。「仁村さんと出会わなければ、今はない」と清田も感謝しきりだ。果たしてどんな指導を受けたのか。

―― 大学時代、ピッチャーから野手に転向した理由は?
清田: 大学3年の秋季リーグが終わって新チームになった頃ですね。同級生には大場翔太(福岡ソフトバンク)や左の鈴木寛隆(JR東日本)、1つ下には上野大樹(ロッテ)がいて、なかなか登板機会が与えられなかったんです。それで何かを変えなければいけないなと。このままでは上のレベルで野球は続けられないなと思って、自分から野手に転向することにしました。4年時にはレギュラーをとって、プロ志望届けも出しました。でも、監督には「社会人に進んだほうがいい」と思われていたようですね。実際、行ってよかったなと思っています。

―― 社会人2年間で一番成長した点は?
清田: 1年目に元プロの仁村薫さんにつきっきりで指導してもらったおかげで、今回プロに行けたと思っています。特に重点的に指導されたのは、バッティングのフォーム。それまでは遠くに飛ばそうとするあまり、肩の遠心力で打つような感じだったんです。でも、肩を入れずに真っすぐに打てと。最初は個別でティーバッティングばかりやらされました。汗はかくし、手はマメだらけになるしでバットが握れなくなりましたよ。「もう打てないです」って言っても、「そんなこと言ってるんじゃない!」って叱られたりして。当時は「なんなんだよ」なんて思っていましたけど、今思うとしっかりとフォームを固めようとしてくれていたんでしょうね。

―― プロを強く意識したのは?
清田: 仁村さんの指導を受けて徐々に結果が出るようになると、「オマエの能力だったら、プロにいける可能性はあるから」と言われるようになったんです。それから強くプロを意識し始めましたね。仁村さんに出会っていなかったら、自信をもって「プロに行きたいです」とは言えていないかもしれません。大学の時は「いけたらいいな、かかるかな」っていう感じだったんですけど、今回は「かかるでしょ」という気持ちで臨みました。今が一番自信をもっていけるかなと思いますね。

―― プロでの課題は?
清田: どこが課題というより、ゼロからのスタートだと思っています。基本的なスタイルを変えるつもりはありませんが、考え方とかはこれから教わる方によっていろいろと変わっていくと思います。今は仁村さんの教えが体に染み付いているという感じですね。

―― 仁村さんの考え方というのは?
清田: とにかく詰まらせてはいけないんです。詰まったら打球が飛ばないので、詰まるくらいなら泳げと。泳ぎ方で打球は飛ぶということを覚えろと教えられたんです。最初は「泳いでもいいの?」と疑問に思ったんですけど、単に振るのではなく、粘りを大事にしろということだと思うんです。体で粘って粘って打つと。

 球団から与えられた背番号は「1」。清田への即戦力としての期待の大きさがうかがい知れる。清田自身はどんなプロ野球選手を目指しているのか。

―― 自分の役割は?
清田: 今回のドラフトでは育成選手を含めて5人指名されました。その中で社会人出身は荻野と大谷智久さんと僕の3人。荻野も大谷さんも結構大人しい性格なので、僕がムードメーカーになって盛り上げていけたらなと思っています。

―― 自分自身の性格は?
清田: 周りからは「オマエは何も悩みがなくていいよな」なんて言われるんですけど、野球のことになるといろいろと考えちゃう方ですね。

―― 今までで一番悩んだ時期は?
清田: 昨年の都市対抗の時期は本当に苦しかったですね。結果を残したいという思いが強すぎて、1試合打てないくらいで「何で打てないんだろう」ってずっと考えちゃいました。「振るだけだ」って思って打席には入るんですけど、そこでまた打てないと考えちゃって……。試合中になかなか切り替えができないんです。例えば、他の人のバットを借りてみるとかっていうことも一つだと思うんです。でも、やっぱりこだわっちゃう。でも、本当はそういうこともやらなくちゃいけないと思うんです。一つのことに凝り固まっていたら、なかなか悪い状態から抜け出せませんから。これからはそういう勇気も持ちたいなと思っています。

―― 座右の銘は?
清田: 「猪突猛進」って言葉はかっこいいなぁと思いますね。あとは自分の実体験として「継続は力なり」ですね。当たり前のことなんですけど、これがなかなか難しいんです

―― 実際に継続していることは?
清田: 練習ですね。どんな日でもバットを一度は握ります。バットを持たない日はないですね。一日あいちゃうと、握る感覚が薄れてしまうんです。そうなると心配性なので考えちゃうんですよ。でも、バットを握って5回でも振ると「あ、いけるわ」ってスッキリできるんです(笑)。

―― 最後にファンへのアピールポイントは?
清田: ドラフト後、行く行かないでちょっと騒がせてしまったので、その分もキャンプから元気に全力でやりたいですね。ファンの皆さんに愛されるような選手になりたいと思っています。

 地元出身者だけにロッテファンからの期待も大きい。マリンスタジアムに「清田育宏」の名前がこだまする時、大声援が鳴り響くことだろう。その日が一日でも早く来ることをファンは首を長くして待っている。


清田育宏(きよた・いくひろ)プロフィール>
1986年2月11日、千葉県出身。市立柏高時代は最速144キロを誇るエースとして活躍。卒業後は東洋大へ進学し、3年時の秋季リーグ終了後に野手に転向した。4年春にはベストナインを獲得。同年秋の神宮大会では初優勝に貢献した。2008年にNTT東日本に入社。09年夏のアジア野球選手権ではMVPを獲得した。180センチ、85キロ。右投右打。

(聞き手・斎藤寿子)

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