昨秋のドラフト会議、12球団で最も多い3人のキャッチャーを指名したのがリーグ3連覇、7年ぶりの日本一を達成した巨人だ。その一人がアマトップクラスのスローイングを誇る市川友也だ。球団が彼に用意した背番号は、V9時代の正捕手、森昌彦(現・祇晶)氏以来となる背番号「27」。そのことからも、彼への期待の大きさがうかがい知れる。家族全員が巨人ファンという市川。そして自らも幼少時代から巨人ファンだったという。奇しくも、東海大相模高、東海大と、原辰徳監督と同じ道を歩んできた彼が、2年間の社会人経験を経て今、 “ポスト阿部”候補に名乗りを上げた。
―― ドラフトでは巨人から4位に指名された。
市川: チームメイトと一緒にテレビで観ていたのですが、まさか指名されるとは思っていなかったのでビックリしました。どこの球団からも「指名するよ」とは言われていませんでしたから。だから、名前を呼ばれた時はチームメイトも大興奮だったんです。

―― ファンフェスタや優勝パレードでの巨人ファンへの印象は?
市川: いやぁ、すごかったですね。人数が半端じゃなかったです! パレードは一瞬だけしか見ることができませんでしたが、来年は自分もあそこにいられたらいいなと思いました。ファンフェスタでの挨拶では「阿部さんのような球界を代表するキャッチャーになれるように頑張ります」と言ったんですけど、大勢のファンの前ですごく緊張しました(笑)。

―― 背番号「27」について。
市川: 40番台とか、もっと数字の多い背番号だと思っていたので、ビックリしました。キャッチャーでは森さん以来という、すごくいい背番号をもらえて、本当に嬉しいです。

―― プロを意識するようになったのは?
市川: 大学3年の頃からですね。高校の時も候補に名前はあがっていたんです。でも、自分の中ではとりあえず大学に行くと決めていたので、プロに行くというイメージはあまりありませんでした。大学3年になって、ある程度活躍するようになってからちょっと自信が出てくるようになりましたね。

―― 最大の武器は?
市川: スローイングだと思っています。ファンにも一番にそこを見てもらいたいですね。キャンプからバンバン思いっきり投げていきたいと思っています。

―― 逆にプロでの課題は?
市川: 全ての面でレベルアップしなければいけないとは感じています。その中でもキャッチャーなので、やっぱり守備を磨かなければいけないと思っています。ある程度、肩には自信はありますけど、プロはレベルが高いと思うので。

―― リードするにあたって、重要視していることは?
市川: とにかく点を取られないことが重要です。事前にビデオを観ているので、バッターの弱点を念頭に入れて臨むんですけど、その場ではバッターのタイミングの計り方に注意して見ていますね。変化球に合っているとか、真っすぐに合っているとか。次の打席でタイミングを変えてくるとすぐにわかりますよ。あとは感覚ですね。キャッチャーではないとわからない感覚だと思いますが、このボールにだんだん合ってきているなぁ、とか。そういう細かいところも見られるようになってきました。

―― キャッチャーとして重要なことは?
市川: 視野の広さですね。キャッチャーは「このカウントだったら次にエンドランがあるかな」とか、「こういう状況だったらバッターはどう打ちたがるかな」とか、先を読んでいろんなことを考えなければいけません。ですからバッターをよく観察するんです。それがクセになって、グラウンドを離れても暇があれば観察しちゃうんです。ピッチャーに対しても同じです。よく見て、どんなタイプのピッチャーかを把握するんです。例えば、試合で打たれてその後、何をするのか。練習するのか、それともただ落ち込むだけなのかって。

―― 自分の中でバッティングと守備との割合は?
市川: 断然、守備の方が高いですね。あまり割合を考えたことはないですけど、ほとんどもう守備に意識があります。キャッチャーとしてはいくら打っても守りがダメだったら、自分としては納得することはできませんから。逆に打てなくても、守備で貢献して、勝った時には嬉しいですよ。特に完封とか完璧に相手のバッターを抑えた時には、最高の気分になります。

 リード面での成長

 これまでで最大の試練は大学時代。最も得意とするセカンドへの送球が突然、乱れ始めたのだ。さらに社会人1年目にはリード面で監督に叱られる毎日を過ごした。そんないくつもの壁を乗り越え、市川はどのように成長したのか。

―― 今まで一番辛かったことは?
市川: 大学2年の時、急に送球ができなくなってしまいました。イップスなのかわからないんですけど、投げたらほとんど暴投になるんですよ。それもファーストやサードには普通に投げられるのに、セカンドだけ投げられないんです。僕は昔からずっと強肩が売りで、スローイングの面を一番に評価してもらっていたんです。その一番自分に自信があったことができなくなったっていうのはすごくきつかったですね。原因は全くわかりませんでした。

―― 試合には出られていたんですか?
市川: レギュラーにはなれませんでしたけど、オープン戦などには出場していました。2年生になる直前の3月から夏場くらいまで調子がずっと悪かったですね。それである時、「もうダメだったらいいや」って開き直ったんです。そしたら急に投げられるようになりました。特に何を変えたとかではないんです。多分、気持ちの問題だったんでしょうね。

―― 社会人に入ってから悩んだことは?
市川: リード面ですね。1年目はずっと監督に怒られ続けていました。そうするうちに、自分のリードじゃなくて、「監督ならどうするかな」みたいに弱気な考えをするようになったんです。そういう時って結構打たれるんですよ。そうなると試合の度に打たれてしまって……。

―― 大学までのリードは通用しなかった?
市川: 最初は大丈夫だったんですけど、途中からは打たれっぱなしでしたね。今思うと、真っすぐ、スライダーと同じ系統のボールを続けすぎていました。そういう打ちやすいリードが多かったかなって思います。大学時代はバッターの特徴もわかりやすかったので、それほど苦労はしませんでした。でも、社会人に入ってから一気にバッターのレベルも上がって、それまでのリードでは通用しなくなったんです。

―― 解決策は?
市川: 毎回試合前は相手チームのビデオを観るようになりました。それまではオープン戦なんかはビデオを観るってことはしなかったんです。でも今はオープン戦でも、必ずビデオを観てから試合に入るようになりました。今ではだいぶリードの幅が広がりましたね。特に緩急を使えるようになったのは大きかったと思います。大学時代はそれほど緩急のイメージはなくて、どちらかというと真っすぐとかスライダーばっかり使っていたんです。でも、それでは社会人では打たれてしまう。いかに遅い球をうまく見せるかっていうことを考えるようになりました。

―― 参考にしている本は?
市川: 野村克也さんの『野村ノート』です。人間性のことも書いてあるんですけど、配球についてもすごく学ぶことが多いんです。この本を読んで、いい選手というのは、人間性もしっかりとしなければいけないんだなと感じました。

 大学の同級生には2年前に同じドラフト4位で巨人に入団した加治前竜一がいる。1年目から一軍で活躍する同級生の姿に少なからず刺激を受けた市川。念願のプロ入りを果たした彼は、果たしてどんな活躍を見せてくれるのか。たった一つしかない正捕手の座を自らの手で手繰り寄せるべく、キャンプから首脳陣にアピールしたいところだ。

市川友也(いちかわ・ともや)プロフィール>
1985年5月9日、東京都出身。東海大相模高、東海大学出身。東海大4年秋にはベストナインに選出された。2008年に鷺宮製作所に入社。強肩の持ち主で特に定評あるスローイングはアマトップクラスを誇る。100メートル11秒台の俊足とパンチ力のある打撃も魅力だ。176センチ、78キロ。右投右打。

(聞き手・斎藤寿子)

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