あれから、もう10日以上経つ。

 9月30日の広島-阪神戦は、地元マツダスタジアムでの、石井琢朗の引退試合であった。

 9回裏は6番・堂林翔太から。この日、1番に入った石井に回すには2人以上出なければならない。石井が熱心に教えたという先頭の堂林は鮮やかなレフト前ヒット。安部友裕が送って、石原慶幸は四球。

 一、二塁から東出輝裕が犠牲バントを決めて2死二、三塁。一打逆転サヨナラのシーンで石井に回すという、まあ見事な演出というか、巡り合わせで石井の現役最後の打席を迎えた。

 打球はライトへ舞い上がった。誰もが“抜けろー”っと念じたはずだが、伸びを欠いて平凡なライトフライ。まさにゲームセット! という試合だった。

 スタンドには「琢朗さん、広島に残って」とか「ありがとう」のプラカードが躍る。球場がこのような雰囲気に包まれたのは、近年では、あの黒田博樹がFA宣言をするかどうかで揺れたとき。残留を熱望するファンがライトスタンドに、いまや伝説となった巨大な横断幕をかかげた試合である。そして、旧広島市民球場のラストゲームのセレモニー。この2つ以来ではないだろうか。

 でも、考えてみれば、ちょっと不思議である。黒田はカープの大エースとして君臨していた。市民球場は、広島という都市の戦後の歴史の生き証人であった。

 一方、石井は基本的には大洋ホエールズで育ち、横浜ベイスターズでスターになった選手であり、カープでは現役最後の4年間を過ごしたにすぎない。それでもファンは、わがカープの大スターの引退として彼を遇した。

 これはなぜか。ファンは、ちゃんと見ている、ということである。

 この4年間、彼は毎試合先発で大活躍をしたわけではない。しかし、先発した試合も、代打のときも、出場しない日も、彼のふるまいには、一種の「誇り」というべきものがあった。

 たしかにカープは万年Bクラスの弱小チームに甘んじている。しかし、オレはプロとして何者にも負けない、弱者といえども強者に勝つすべはある――顔がそう語っていた。

 ファンは、この精神をこそ愛したのである。それは4年間か20年間か、というような物理的な時間を超越している。さらにいえば、現在の選手、首脳陣に、この精神が欠けていると多くのファンは直感的に感じていたのである(今季9月の大失速は、その象徴的なできごとだろう)。
 
 試合後の石井の挨拶を引用しておく。
「僕にとって、このカープの4年間というのは、まちがいなく財産です。そして、カープのユニホームに袖を通し、プレーできたこと、ファンの皆様がいつも送ってくれた声援は、僕の誇りだと思っています」

「来シーズンはこのカープとともに優勝争いをして、打倒巨人をめざして(場内大歓声)、球界をもりあげていきましょう」
「誇り」という言葉、「打倒巨人」という言葉に、彼の本質が良く出ている。だからこそ、ファンは彼を愛した。
 
 それは、逆にいえば、カープというチームの現状、あるいは経営のあり方に問題があることを、多くのファンが見抜いている証左でもある。

(このコーナーは二宮清純と交代で毎週木曜に更新します)


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