8月29日(土)からスタートした2015年度の天皇杯全日本サッカー選手権大会(第95回大会)。8月30日(日)に行われた1回戦では、愛媛FC(J2)が1−0の僅差で、辛くも香川県代表チームの多度津FC(四国リーグ)を退け、2回戦へと駒を進めている。
「天皇杯」は、フルオープンエントリー制のトーナメント大会として古くからの歴史がある。時には、格下チームが格上チームを破る「ジャイアントキリング」と称される波乱の展開が、ひとつの醍醐味として楽しまれている大会でもある。

 今年度の1回戦においても、そのジャイアントキリングが早くも起こっている。セレッソ大阪(J2)が大阪府代表のFC大阪(JFL)に、ザスパクサツ群馬(J2)が岐阜県代表のFC岐阜セカンド(東海社会人リーグ)に、また、栃木SC(J2)が茨城県代表の流通経済大学(関東大学リーグ)に、それぞれ敗れており、戦国時代を想わせる下克上のような展開が今年も各地で繰り広げられているのだ。

 そんな中、残念なことに今大会から第2種加盟登録チームの参加資格が廃止されることになり、高校(育成)年代チームの活躍の場がひとつ失われてしまったのである。各地域の高校やクラブの下部組織にあたるU-18&ユースチームなどは競技人口も多い。向上心に満ちあふれている若者たちのジャイアントキリングに賭けた戦いを観ることができないのは、個人的にも寂しく感じている。
(写真:ウォーミングアップを図る愛媛FC U-18選手)

 廃止の要因としては、「スケジュール的に(当該チームの)参加が難しい」「選手への体力的な負担が大きくなる」などがあるとは思う。だが、無限大の可能性を秘めた、若くて分厚い選手層を保持する高校(育成)年代チームだからこそ、いろいろなレベルへ力試しができる場を用意してあげたり、参加可能な大会数を増やして出場機会の少ない選手たちにも経験の場やチャンスを与えてあげたりすることは、「将来の日本サッカー界において大切なことなのではないか?」という気がしてならない。

 だからこそ、今回の参加資格の廃止については納得できない部分がある。「他の大会と重なり、スケジュールが厳しい」とか、「所属選手が少なくコンディション調整や起用が難しい」などと思っているチームがあるのならば、個々のチームやクラブにおいて、大会への参加、不参加や重要度を判断して決めればよいだけの話である。参加資格を奪うまでの措置が、本当に必要なのだろうか。

「愛媛FC」というクラブ名。最初に、この名前を全国に轟かせたのは、トップチームではなく、愛媛県代表として天皇杯へ出場した愛媛FCユース(現U-18)の活躍によるものであった。
(写真:愛媛FC U-18、2015プリンスリーグ四国、公式戦直前の風景)

 1997年度の天皇杯(第77回大会)へ出場した愛媛FCユースは、1回戦で富山県代表の社会人チームであるアローズ北陸を破るというジャイアントキリングを成し遂げる。第2種登録チームが第1種登録チームに勝利したのは、初めての快挙だった。

 2回戦では、JFL(1997年シーズン)2位の東京ガス(後のFC東京)を相手に延長戦まで持ち込んだが、あと一歩及ばず、惜しくも敗れた。それでも、その大健闘ぶりが認められ、中央のマスコミにより、全国に向けて「愛媛FC」の名が大きく報道されたのだった。

 時は流れて、今ではJ2クラブの下部組織(育成組織)として、堂々たる活動をしている愛媛FC U-18。先輩たちによって築かれた愛媛FCの名前に憧れ、集った若者たちが今日も日々の鍛錬を続けている。そんな彼らのほとばしる青春の力を目一杯ぶつけられる舞台を、もう一度、取り戻してあげたい。天皇杯という夢の舞台への復帰を切に望んでいるのだ。


松本 晋司(まつもと しんじ)プロフィール>
 1967年5月14日、愛媛県松山市出身。
 愛媛FCサポーターズクラブ「Laranja Torcida(ラランジャ・トルシーダ)」代表。2000年2月6日発足の初代愛媛FCサポーター組織創設メンバーであり、愛媛FCサポーターズクラブ「ARANCINO(アランチーノ)」元代表。愛媛FC協賛スポンサー企業役員。南宇和高校サッカー部や愛媛FCユースチームの全国区での活躍から石橋智之総監督の志に共感し、愛媛FCが、四国リーグに参戦していた時期より応援・支援活動を始める。


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