パラリンピックが下半身不随を意味するパラプレジア(paraplegia)とオリンピックの合成語であることは、今では広く知られている。
 パラリンピックの起源はユダヤ系ドイツ人医師ルードヴィッヒ・グットマン卿が提唱した車椅子利用者によるアーチェリー大会。1948年7月、ロンドン五輪開会式に合わせて同市郊外のストーク・マンデビル病院内で入院患者を対象にして行われた。グットマン卿が“パラリンピックの父”と呼ばれる所以である。

 この頃から既にグットマン卿は「将来的にこの大会が真の国際大会となり、障がいを持った選手たちのためのオリンピックと同等な大会になるように」(日本パラリンピック委員会HP)と障がい者スポーツの将来を見通していた。そして、そのとおりの展開をたどる。オリンピック開催地で国際ストーク・マンデビル大会が開かれるようになったのは60年のローマからで、第1回パラリンピックと位置付けられている。

 その後、下半身不随以外の障がいを持つ人々も参加が可能に。パラプレジアに代わってパラレル(parallel)という言葉が用いられるようになり、88年ソウル大会から、正式名称も「パラリンピック」となった。

 パラリンピックが定着した今、「障がい者スポーツ」という名称を「パラスポーツ」に改める動きが本格化している。日本障がい者スポーツ協会によれば、国際パラリンピック委員会(IPC)は障がい者を表す「the disabled」を不適切な単語と見なし、「para-sports」を使用するよう、その働きかけを強めているというのである。

 率直に言えば、健常者がやろうが、障がい者がやろうがスポーツはスポーツである。わざわざ後者を「パラスポーツ」と区別して呼ぶこと自体おかしい。ベストセラー『五体不満足』の著者・乙武洋匡は「オリンピックもパラリンピックもひとつの大会として開催してもらいたい」と語っていた。

 いずれは、そんな時代がくるのだろう。また、そうあるべきだと思う。しかし理想を実現するには、目の前の壁をひとつひとつ取っ払っていくしかない。

 パラスポーツとは何か。パラリンピックの起源を知り、現実を直視し、未来を展望する――。そうした営みの先にスポーツのバリアフリー化はある。

<この原稿は15年9月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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