今年の育成ドラフトで双子の兄弟が指名を受けた。兄の寛人は巨人へ、弟の隼人は楽天へ。小学校1年から野球を始め、大学までずっと同じチームで二遊間コンビを組んできた2人。しかし、大学卒業後は別々のクラブに入り、プロを目指してきた。そして「最後の挑戦」と決めた今年、2人は運命の糸に手繰り寄せられるように、そろってプロの扉を開けたのだ。今回、インタビューしたのは兄の寛人。彼は大学4年時、右肩を痛め、1年間棒に振った。卒業後は野球を諦め、一般企業への就職を決めていたという。果たして、そんな彼がここまでたどり着くことができたのはなぜなのか。その経緯と、プロへの意気込み、そしてお互いに“相方”と呼ぶ弟についてインタビューした。
―― ドラフトで指名を受けたとわかったときの気持ちは?
川口: 当日のお昼頃、巨人のスカウトの方から「一応、指名する方向でいる」という電話があったんです。でも、「一応」であって確定ではありませんでしたから、まだわかりませんでした。所属する西多摩倶楽部の監督と事務所で待機していたのですが、20時過ぎに「指名した」という電話があって……その瞬間はもう何とも言えないくらい嬉しかったです。

―― 今年はプロへの挑戦は最後と決めていた。
川口: 年齢も年齢ですからね。今年テストを受けて、ダメだったらプロは諦めようと。もし指名を受けていなかったら、きっぱり野球はやめていたでしょうね。というより、もう道具も見たくなかったかもしれません。それくらい、今年は自分を追い込んでやってきたので。

―― 球団にはどの部分が評価されたのか?
川口: 第一に守備だと思います。体は小さいんですけど、肩には自信があるんです。それを活かした守備範囲の広い選手を目指してきました。具体的にイメージしていたのは、中日の井端弘和さん。守備範囲の広さと読み、それに堅実なプレーは本当にすごいと思います。

―― ショートとしての醍醐味は?
川口: 守備位置の取り方を考えながら守るところですね。例えば、ピッチャーが緩いインコースのボールを投げたら、だいたいが引っ張ってくるので、右打者だったら少しサードの方に寄ったりとか、球が速いピッチャーだったらスイングが遅れることを計算して、センターの方にに寄るとか。そういう読みができると、チームを助けられるんです。抜けそうなところを捕ってアウトにした時にピッチャーが喜んでくれるのを見ると、こちらまで嬉しくなります。ピッチャーにとっては、そういうプレー一つでピッチングが変わってくるでしょうし。自分のプレーうんぬんだけではなく、ピッチャーのことも考えながらやっています。

―― ピッチャーの心理を考えるようになったきっかけは?
川口: 恥ずかしい話なんですけど、大学時代、僕と弟の隼人が二遊間を守っていたのですが、ピッチャーが四球を出すたびにふてくされた態度をとっていたんです。下を向いて土を蹴ったりして。ピッチャーにはそれがプレッシャーになってしまって、逆に四球を出したりしていたんです。僕らとしては無意識にやっていて気づかなかったんですけど、周囲から指摘されて……。それで隼人と話し合って、それからは声をかけたりしてピッチャーが投げやすい雰囲気をつくろうと心がけました。ピッチャーのことも考えるようになったのは、それがきっかけです。

 大学4年時の挫折が自信に

 兄の寛人は温厚な性格で堅実な守備がウリ。翻って弟の隼人は寛人の言葉を借りれば「短気」で、守備よりもバッティングを得意としている。双子でありながら、全く違うタイプの2人。一番近い存在でありながら、一番のライバルでもあった彼らは切磋琢磨しながら成長してきた。そんな彼らがなぜ、大学卒業後は別々のチームへと進んだのか。そこにはそれぞれの苦労と挫折があった。

―― 野球を始めたきっかけは?
川口: 小学校1年の夏に家族で広場に出かけたときに、地元のリトルリーグが練習していたんです。僕らも親とキャッチボールはしていたので、「オレらにもできるんじゃない?」と軽い気持ちでチームに入りました。そしたら、守備を買われてすぐに上級生に交じって試合に出させてもらえるようになったんです。初めての大会は僕がセカンドで背番号15、隼人はショートで16番。結構、僕のところに打球が飛んできたんですけど、全部さばいたことを覚えていますね。試合後、周りから「やるじゃないか」って褒められたんですけど、自分としてはただ捕って投げただけ。当たり前のことをやっただけで褒められたのが嬉しくて……。

―― それから大学までずっと同じチームで二遊間コンビを組んできた。なぜ、大学卒業後に別のチームに入ったのか?
川口: 2人とも、大学卒業後は社会人でプレーすることを目指していたんです。でも、僕は4年生になってすぐに肩を痛めてしまいました。練習でダイビングキャッチをしようとして、思わず右手を地面に突いてしまったんです。大学のグラウンドは人工芝だったので、亜脱臼してしまって。もう本当に痛くて、1年間、全く投げることができませんでした。2年生の時からキャプテンを任されていたのですが、試合に出場できないということで居残り組に入れさせられたんです。それが、すごくショックでしたね。試合には出られなくてもキャプテンとしてチームをまとめることはできると思っていたので……。自分が何のために野球をやっているのか、わからなくなってしまいました。
 隼人は隼人で試合には出ていましたが、不調が続いていました。結構、強豪の企業チームへの話もあったのですが、その年は打率も残せず、エラーも多かった。それで最終的にはどこからも声が掛からなかったんです。でも、大家ベースボールクラブ高島(滋賀)の人が他の選手を見に大学を訪れたときに隼人に目をつけて、それでとってもらえることになりました。僕もケガさえしていなければ一緒にいける、という話だったのですが……。

―― 結局、肩は全く治らなかった?
川口: はい。当然、僕にはどこからも話はなかったので、もう野球を辞めて就職をしようと。実際に就職活動をして一部上場企業から内定もいただきました。

―― その後、西多摩倶楽部に入ることになった理由は?
川口: 監督に内定の報告をしに行ったら、「まだやれるんじゃないか」と言われたんです。僕自身は肩を上げることもできない状態でしたから、正直、もう野球はいいと思っていました。でも、監督が何度も話をしてくれて、それで両親とも相談した結果、やっぱり不完全燃焼のままでは、という気持ちになったんです。それで話をいただいていた西多摩倶楽部に入りました。

―― その時の経験は今に活かされている?
川口: 当時、すごく辛かったんですけど、野球を好きな気持ちは全く薄らぐことはありませんでした。肩が痛くて投げることはできなかったのですが、捕るくらいはできたので、練習は少しも嫌だと思わなかったんです。ああいう状態の時でも自分が野球を好きでいれたということが、今は自信につながっています。

―― お互いに苦労しながら、プロの道を切り拓いた。ドラフトで指名後にはどんな言葉をかけあったのか?
川口: 当日の夜中、少し長い電話をしました。もう来年は26歳ですから、1年1年が勝負になってくる。ですから「とにかく死ぬ気でやって、1年で結果を出せるようにお互いに頑張ろう」と言い合いました。隼人との対戦が楽しみです。

 巨人と楽天。セ・パに分かれた2人だが、彼らがまず踏む舞台、ファームでは同じイースタンリーグに所属している。これまで彼らが対戦したのはただの1度だけ。昨年10月の琵琶湖大会での2回戦。結果は弟の隼人が所属する高島ベースボールクラブが大勝した。しかし、個人的にはセンターオーバーの二塁打を放った寛人に対し、隼人はポテンヒット1本に終わった。「絶対に弟には負けたくない」。そう言って、普段は温和な寛人も野球となると、負けん気の強さを見せる。その彼が目標とするのはどんなサインにもしっかりと応えられる“ザ・仕事人”。野球への情熱と人一倍の努力で1年目での背番号2ケタを目指す。

川口寛人(かわぐち・ひろと)プロフィール>
1985年8月7日、山梨県生まれ。大月短大付属高、山梨学院大出身。小学1年から野球を始め、双子の弟・隼人(滋賀高島ベースボールクラブ)と二遊間コンビを組む。大学卒業後、西多摩倶楽部に所属。強肩を買われ、二塁手から遊撃手に転向した。平日は一般企業で仕事をしながら、コツコツと努力を重ね、プロを目指してきた。今年は巨人のテストを受け、見事育成選手として指名を受けた。171センチ、70キロ。右投右打。

(聞き手・斎藤寿子)

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